11_似ている
夜は、ずいぶん深くなっていた。
レオンの熱は、まだ下がらない。
セレナは寝台のそばに座り、濡れた布を取り替えた。
額に触れるたび、驚くほど熱い。
「……レオン様」
返事はない。
時折、苦しそうに眉を寄せる。
いつもなら、聞いてもいないことまで話す人なのに。
静かなレオンは、妙に落ち着かなかった。
新しい布を水に浸し、額へ乗せようとした。
そのとき。
手首を掴まれた。
「……っ」
レオンの瞼が、ゆっくりと開く。
「レオン様?」
青灰色の瞳はぼんやりとして、焦点が合っていない。
それでも。
セレナを見つけた途端、苦しそうに寄っていた眉が緩んだ。
「……やっと」
「え?」
「よかった」
掴んだ手に力が入る。
引かれた。
身体が寝台へ傾き、そのまま強い腕に抱き込まれる。
「レオン様?」
熱い。
服越しでも分かるほど、身体中が熱を持っている。
「離してくださいませ」
返事はない。
レオンはセレナの肩へ顔を埋めた。
「……会いたかった」
掠れた声だった。
セレナの手が止まる。
「ずっと」
腕に力がこもる。
「ずっと、会いたかった」
あまりにも弱い声で。
押し返そうとしていた手から、力が抜けた。
いつものレオンではなかった。
笑っていない。
からかってもこない。
ただ、何かに縋るようにセレナを抱いている。
「……落ち着いてくださいませ」
どうしたらいいのか分からず、背中へ手を添えた。
すると。
「……やっと君に」
頬に、柔らかなものが触れた。
セレナは固まった。
口づけ。
そう気づいたときには、もう一度。
こめかみに。
髪に。
確かめるように、何度も落ちてくる。
「レオン様?」
首筋に熱い吐息が触れた。
「……っ」
思わず身体が強張る。
「おやめくださいませ」
聞こえていない。
首筋へ唇が触れる。
一度。
もう一度。
「レオン様」
「……ん」
返ってきた声が、ひどく甘い。
耳元へ唇が寄る。
「もう、いなくならないで」
胸がざわついた。
何かがおかしい。
温室で迫ってきたときとは違う。
あのときは、セレナの反応を見ていた。
今は違う。
頬へ触れる手も。
髪を撫でる指も。
口づけの落とし方も。
あまりにも自然だった。
まるで何度もこうしてきた相手に触れているような。
「……レオン様?」
顔を上げる。
青灰色の瞳が近くにある。
けれど、自分を見ているようで見ていない。
そのことに気づいた瞬間。
背筋が冷えた。
レオンの手が腰へ回る。
ドレス越しに身体の線を辿り、そのまま下へ伸びる。
セレナはその手を掴んだ。
「おやめください!」
それでも、レオンはぼんやりとセレナを見ている。
「違いますわ!」
大きな声が出た。
動きが止まる。
「わたくしを見てくださいませ!」
両手で胸を押す。
「わたくしはセレナです!」
青灰色の瞳が揺れた。
「セレナ・エルグランです!」
ぴたり。
すべての動きが止まった。
荒い呼吸だけが、二人の間に残る。
レオンがセレナを見る。
今度は、ちゃんと目が合った。
「……」
青灰色の瞳が見開かれる。
セレナの顔。
自分の腕。
腰へ回していた手。
順番に見て。
手が離れた。
「……ごめん」
身体も離れる。
「ごめん」
掠れた声だった。
ぽろり。
涙が落ちた。
「……レオン様?」
もう一つ。
レオンの頬を伝う。
「どうなさいましたの?」
「……似てたから」
「え?」
レオンは俯いた。
「君が」
声が震えた。
「俺の愛する人に、似てたから」
『やっと』
『よかった』
『会いたかった』
『もう、いなくならないで』
セレナはようやく、あの言葉の意味を知った。
「……そうでしたの」
「ごめん」
大きな身体が丸くなる。
涙が、ぽろぽろと寝具へ落ちた。
セレナは迷ってから、黒い髪へ手を伸ばした。
そっと撫でる。
「その方を、とても大切にしていらっしゃるんですね」
「……うん」
「でしたら、ほかの女性と間違えてあんなことをなさったら、その方が悲しみますわよ」
レオンの肩が止まった。
「大切にしていらっしゃるんでしょう?」
「……うん」
小さな声だった。
「大切だよ」
「でしたら――」
「でも」
レオンが遮った。
「もう、会えなくて」
セレナの手が止まる。
「……会えない?」
「俺を置いて、逝ってしまった」
息を呑んだ。
レオンは俯いたまま、ぽつりと続けた。
「ずっと一緒にいると思ってた」
涙が落ちる。
「朝起きたら、隣にいて」
もう一つ。
「帰ったら、いて」
声が掠れた。
「次の日も。その次の日も」
少し黙って。
「いると思ってたんだ」
セレナは何も言えなかった。
ただ、黒い髪を撫でる。
「……会いたい」
レオンが呟いた。
「もう一回でいいから」
ひどく小さな声だった。
「会いたい」
セレナの手が、ゆっくり髪を梳く。
どう慰めればいいのか分からない。
亡くした人を戻すことはできない。
似ているというだけの自分が、その人になることもできない。
だから。
「レオン様」
「……うん」
「わたくしは、その方ではありません。その方の代わりにはなれませんわ」
レオンが動かなくなった。
「……」
「レオン様?」
ゆっくりと顔が上がる。
涙に濡れた青灰色の瞳が、セレナを見た。
ひどく傷ついた顔だった。
「……?」
一粒。
涙が落ちる。
次の瞬間。
レオンの顔が崩れた。
「……っ」
息が詰まる。
堪えようとしたのか、口元を押さえる。
けれど。
涙が次々と溢れた。
大きな肩が震える。
「レオン様?」
「……ごめん」
「どうして謝るんですの」
「ごめん……」
それ以上、言葉にならなかった。
セレナは戸惑って、伸ばしかけた手を止めた。
けれど、声を殺そうとするたびに肩が大きく震えるのを見て。
そっと黒い髪へ触れた。
一度。
もう一度。
レオンはもう、セレナに触れようとはしなかった。
ただ俯いたまま、泣いていた。
セレナも何も聞かなかった。
その夜。
泣き止むまで、ずっと。
レオンの髪を撫でていた。




