第二十一話 謎解きは花嫁衣裳に囲まれて
「着きましたわ、香織様」
そっと輿の御簾が挙げられた。
衣桁に掛けられた鮮やかな衣装がぐるりと部屋を囲み、部屋の中央に並んだ長卓子には煌びやかな宝飾品が目に眩しい。
先日来た、尚儀局の一室。耀藍と香織の婚礼準備の部屋だ。
その豪勢さは王族の婚礼もかくや、というものだが、並んだ中央の衣裳、鳳凰が見事に刺繍された真紅の対の衣裳は特に目を引く。
「婚礼の正装が完成しましたの。鳳凰の刺繍に時間がかかってしまいましたわ。でも、素晴らしい出来栄えでございましょう?」
紫珠が真紅の衣裳の前で柔らかく微笑んだ。
香織も微笑み返す。
「ええ、とても綺麗ですね」
「では、こちらに袖を通していただきとうございます」
衣桁から真紅の花嫁衣裳を外す紫珠の背中に、香織は言った。
「紫珠様、なぜ玲栞様たちに毒入りの杏仁羹を食べさせたのですか?」
紫珠の動きが止まる。
「香織様、いったい何をおっしゃっておられるのかわたくしには——」
「たぶん、紫珠様の目的はわたし、ですよね?」
紫珠は言葉を継がない。代わりに香織は話し続けた。
「後宮厨の稼働を停止して、後宮の皆さんを栄養失調状態で倒れるように仕向け『王家の呪い』だと噂を流す。そうしてわたしへの心象を悪くし、皆さんがわたしを疎んじ、わたしが孤立したところで、わたしを排除する計画だったのではないですか? 今からなさろうとしているように」
紫珠が真紅の花嫁衣裳を手に、ゆっくり振り向き微笑んだ。
「まあ、香織様ったらおかしなことを。きっとお疲れなのでしょうね。試着はすぐに済ませますので、お許しくださいませ」
「紫珠様がわたしを疎んじる理由はわかったと思います」
耀藍へ想いを寄せるあまりの嫉妬。
紫珠にとって、香織は想い人を奪う悪人なのだろう。
「お気持ちは御察しします。誰かを想う気持ちが誰かを憎むことにつながることも」
もし自分が逆の立場だったら。
――耀藍様を想う恋い慕うあまり、きっとわたしは……。
紫珠を憎んだだろう。耀藍と結ばれない自分の未来を呪っただろう。
でも、それでも。
「杏仁羹に入れた毒は、後宮厨で大量に出た青梅の種ですよね。紫珠様に後宮厨を案内されたとき、おかしいなって思ったんです。あんなにたくさん綺麗に処理された青梅があるのに、その種がどこにもなかった。塵入れにも」
「ほほ、お話がいろいろと飛びますこと。香織様が何をおっしゃっているのか見当もつきませぬが、青梅の種? そんなこと誰も気にしませんわ。なかったのは尚食女官が塵捨て場へ持っていったからでは?」
「そうです。青梅の種なんて普通、誰も気にしません。《《だからこそおかしいんです》》」
「何を——」
「後宮厨がほぼ稼働していない今、塵はほとんど出ないはず。生ごみでなければ、そんなに気にする必要はない。そして、あれだけ綺麗に実を剥がして処理された梅の種なら生ごみにはならず、塵入れにそのまま放置されていたはずです。それがなくなっていたのは、持ち去った人がその価値を知っていたから。つまり、《《生の青梅の種が猛毒になると知っていたから》》です」
「…………」
「梅の種は生のままでは猛毒ですが、加工すれば美味しくいただける。あの種の中の白い実が好きな人だっているくらいです。わたしも好きです。
食べ物は人を幸せにするものです。だから、あんなふうに梅の種が人を害するために使われたことが許せない。それに、無関係で善良な玲栞様たちに毒入りの杏仁羹を食べさせた理由もわかりません」
す、と紫珠の顔から表情が抜け落ちた。
「……黙って聞いていれば偉そうに。無関係? 善良? あなた、本気で言ってるの?」
無表情の顔がわなわなと震え、それはやがて大きな哄笑となった。
別人のように大きな声で笑う紫珠に、香織は背筋が寒くなる。
「紫珠様、落ち着いてください」
「わたくしに指図しないで! 下賤の女が!」
紫珠がキッと香織を睨みつけた。
「ええそうよ。わたくしの目的はあんた。美しい絹の衣裳に群がる害虫のようなあんたを排除すること。聖厨師だかなんだか知らないけど、あんたみたいな下賤の女が耀藍様の花嫁なんて有り得ない。佳蓮様ならともかく、なんであんたなんかが……!」
真紅の衣裳を手に、紫珠がつかつかとこちらにやってくる。
香織は反射的に紫珠と距離を取るため後じさりした。
「さあ、この衣裳を着なさい!」
部屋の中央には長卓子がいくつも置かれ、その上に装飾品や意匠、婚礼用品の目録などの資料が置かれている。その間を縫うように動く香織に紫珠は追いつかず舌打ちする。
「あんたみたいな卑しい女には一生かかっても着られないような衣裳なのよ!」
「紫珠様! こんな状況で衣装合わせなんてヘンです! どうかお気を鎮めてください!」
「わたくしに指図しないでって言ったでしょうっ、あんたに選ぶ権利はないのよ!」
(ダメだわ、この部屋からいったん出なくては)
紫珠の名誉のために大事にはしたくなかったが、このままでは話が進まない。
部屋を出て内侍省へ向かおう、と決心したそのとき、耳の奥を何かがくすぐった。
—―く。香織。
「よ……」
耀藍様、と言いかけて慌てて口をつぐむ。
紫珠から逃げながら部屋を見回す。誰もいない。けれど耳の奥をくすぐるこの声は。
—―聞こえるか。聞こえたら頷いてくれ。
香織はコクコクと頷いた。
—―よし。香織、よく聞いてくれ。紫珠殿が持っている衣裳は着るな。襟に毒針が仕込んである。
「ええ?!」
—―部屋の中央をはさみ、真紅の衣裳が掛かっている反対側に純白の衣裳があるだろう。そこに紫珠殿の本当の想い人がいると、そう紫珠殿に言え。
「ええええ?!」
紫珠は真紅の衣裳を手に鬼気迫る顔で追ってくる。こんな状況でそんなことを言えとは無茶ブリな。というか、耀藍はそこにいるのか。
などと考えている間に紫珠が間合いを詰めてきた。
「もう逃げられませんわよ」
さあ、と紫珠の手が伸びてきたので思わず香織は叫んだ。
「紫珠様! 毒は駄目です! これ以上罪を重ねては紫珠様のためによくありません! その衣裳を置いてください!」
「な……」
紫珠は香織と手元の衣裳を交互に見た。
「な、なにを言うの。これはあんたに試着させてやろうとして――」
「毒針なんて紫珠様も危ないです! そうやって持っていて刺さったらどうするんですか!」
「!」
「そこに静かに置いてください! ええと……そこの純白の衣裳の影に紫珠様の想い人がいらっしゃるのですよ!」
紫珠が目を剥いた。その目は血走り、噛みしめた皓歯がぎりぎりと音を立てる。
「どこまでもわたくしを馬鹿にしおって……!」
どん、強く胸を突かれて香織は床に倒れた。その上に紫珠が馬乗りになる。
「さあ着ろ! 着るのだ!」
紫珠の腕が香織を押さえつける。
「やめて……!」
必死に抗うが、紫珠はすさまじい力で香織の腕を掴み、真紅の袖を通して哄笑した。
「おお似合うこと。最高の死装束でしょう?」
「し、じゅさん……!」
組み敷かれている香織が不利だった。紫珠は笑いながら香織の腕をひねり上げ、もう一方の袖を通していく。
(もうダメかも……耀藍様、せっかく教えてくれたのにすみません……!)
せめて最期に一目、耀藍様に会いたかった。
視界がにじんだ、そのとき。
「耀藍様、なぜここに?!」
紫珠の驚きの声と同時に身体が軽くなった香織は、さっと身体を起こす。
紫珠の腕を押さえ、真紅の衣裳を部屋の隅へ投げ捨てているのは今まさに会いたいと願ったその人。
「遅くなってすまぬ、香織」
アクアマリンの双眸を和ませた耀藍がそこにいた。




