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第十五話 会いたくてたまらなかった人



「まあ! 李宰相と術師様……耀藍様! ご機嫌麗しゅう」


 紫珠が即座に拱手する。女官たちも慌ててそれに倣った。


香織こうしょく!」

 顔を上げれば、会いたくてたまらなかった人が駆け寄ってくる。


「どうしたのだ、何があったのだ!」

「耀藍様……」



 話そうとアクアマリンの双眸を見上げれば、会いたかった気持ちが溢れて胸がいっぱいで言葉が喉につかえる。


(しっかりしてわたし! ちゃんと何があったか話さなきゃ)


 ぐ、と手を強く握りしめる。その手を取ってくれる耀藍につかまって、立ち上がる。さっき、横になっていたところを急に起きたのでまだ足元がふらつく。


「耀藍様、李宰相、先ほど紫蓮宮の侍女四人と玲栞様が倒れました。原因は昼餉の後に食べた杏仁羹きょうにんかんだと思われます」

「「杏仁羹?」」


 香織は唇をかむ。今ここで香織の考えを言うべきか。

 大量の青梅の種が消えたこと、どこからか差し入れられた杏仁羹、それらの差配が可能だったのは紫珠であること。でも。


(毒物混入事件だという確かな証拠がないまま、紫珠様を疑うようなことをここで言えば、紫珠様のことも皆さんのこともまた不快にしてしまうわ)



 そのとき、おっとりとした声が上がった。


「李宰相、耀藍様。その杏仁羹は、香織様が手づからお作りなられたと聞いておりますわ」


 鴻樹と耀藍は顔を見合わせる。


「香織様が? 誰が言ったのですか?」

「さあ……尚儀局の女官たちが後宮厨の尚食女官に聞いたのだったかしら? 詳しい出所は存じませんが、香織様は確か、王城へ来られる前に食堂を営まれていたとか。それに、昼餉前後の忙しい時間帯に杏仁羹を作れる余裕のある女官はおりませんし、ね」


 いかにも香織が犯人だと言わんばかりの物言いだ。

 耀藍と鴻樹は視線を合わせる。ここで事を荒立てるのは得策ではない。なにしろここは愛憎渦巻く女の園。


 耀藍が頷いた。


「とにかく香織を休ませたい。顔色が悪いし、ふらついている。連れていってもいいだろうか」

「まあ耀藍様、それでしたら宦官を呼びますわ」



 紫珠が耀藍の袖に触れた。

 不敬とも言える行為だが、尚儀局長官であり、上位女官である紫珠のたおやかな仕草は、何かの儀式のような自然な振る舞いに見える。



「寝台を用意させましょう。李宰相と耀藍様におかれましては、せっかく後宮まで足をお運びになったのですから、お茶をお淹れしますわ。あいにく玲栞殿が臥せっておられますので、わたくしめがお茶を――」


 しかし艶やかなもてなしの言葉は最後まで述べられなかった。

 耀藍が紫珠の手を振り払い、香織を抱き上げたからだ。


「ちょ、あの、耀藍様、わたし大丈夫ですので」

 香織は動揺して降りようとするが、耀藍の腕はしっかりと香織を抱き上げて放そうとしない。

「紫珠殿、せっかくだがけっこうだ。我らは茶を飲みに後宮ここへきたわけではない。それに、最愛の婚約者を休ませるのに他人の手を借りるつもりもない」

「え、あ、あの、ですが耀藍様」



 耀藍は振り返る。青い瞳が冴え冴えと紫珠を睨んだ。

「それから、気安く名を呼ぶな。オレの名を呼んでいい女人は香織だけだ」



 口をパクパクさせたままの紫珠など意にも介さず、耀藍は部屋を出ていった。



「この件に関しては掖廷令えきていれいに調べさせますので、皆さんは安心して職務へ戻ってください。くれぐれも根も葉もない噂をたてないように」


 

 女官たちが鴻樹に拱手して見送る中、紫珠だけが呆然自失のまま耀藍が出て行った扉を凝視していた。







 鴻樹の計らいで宦官を呼び、紫蓮宮の一部屋に設えた寝台に香織は横になっていた。


「すみません、鴻樹様、耀藍様」


 香織が言うと、二人は苦笑した。


「謝るのはこちらだ、香織。玲栞に御鍵を持っていかれ、何もできずにすまぬ。つらい思いをさせたな」


 寝台の傍らに座っている耀藍がそっと香織の手を握った。


「ほんとうにすみませんでした。璃晴という侍女や他の侍女にも話を聞きましたよ。玲栞様の『公主教育』とやらがかなり行き過ぎていたと」

「あの、それは……きっと玲栞様なりに、いろいろと考えたことだと思います。わたしに佳蓮様のような素晴らしい公主になってほしいと願われたのだと」


 鴻樹が溜息を吐いた。


「はあ、もう香織様はお優しすぎますよ。話を聞いただけでも酷かった。あれじゃあ折檻です」

「本当だぞ、香織。我らは玲栞に直談判に来たのだ。それがあんなことになっているとは。玲栞は未だ目を覚まさないらしいし」

「ですが、怪我の功名と言いますか、事件が起きたからこそ堂々と掖廷令に監視を頼めます。今後は『公主教育』なるものは一切ナシですから、御安心ください、香織様」

「そうですか……お気遣いいただいて、ありがとうございます」


 そう言ったものの、香織としては複雑な気分だった。


 確かに折檻のような『公主教育』だったが、玲栞には玲栞の考えがあったと思うし、佳蓮のようになってほしいという玲栞や他の女官や侍女の気持ちもわかるから。



「佳蓮様、旅行を楽しんでおられるでしょうか」

「ええそれはもう。先ほど、手紙も届きましたよ」

「え! 本当ですか。何ておっしゃってます? いつ帰国されますか?」


 食い気味な香織に耀藍が捨てられた子犬のような顔をする。


「香織は、久しぶりにオレに会ったのに佳蓮の帰国の方が楽しみなのか……?」

「まあまあ、耀藍様」


 鴻樹が苦笑した。


「香織様、後で佳蓮様の手紙をこちらへお届けしますね。それから医官に薬湯を申しつけたので、耀藍様に飲ませてもらってください。じゃあ耀藍様、後はお願いしますよ」


 邪魔者は消えます、と言わんばかりに鴻樹はそそくさと部屋を出ていった。




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