第十四話 疑いたくはないけれど。
(後宮厨から消えた大量の青梅の種が、侍女たちや玲栞様が食べた杏仁羹に使われたなら辻褄が合うわ)
めまい、吐き気、嘔吐、顔色の悪さ。どれも青梅中毒の症状に当てはまる。しかも、青梅で最も毒の強い部分は種だ。
あれだけ大量の種があれば数人分の致死量の毒を抽出することは可能だろう。杏仁羹を作っているといえば人目を気にせず堂々と作ることができる。
王城術師婚礼の儀を控えて後宮厨の実権を握っているのは尚食局ではなく尚儀局だ。そして、青梅の種をこっそりどこかへ運び、杏仁羹を作らせることができるのは尚儀局の長である紫珠だ。
理由はわからないし、信じたくもない。
優しくしてくれた紫珠を疑いたくはないが、今わかっているのは紫珠なら毒入りの杏仁羹を玲栞たちに食べさせることができた、という事実。
「あらあら、御心配なく。香織様の分のお薬湯もただいま作らせておりますので、こちらは侍女や玲栞殿に譲ってあげてください」
「紫珠様……」
冗談めかして柔らかく笑う紫珠を疑いたくない。
しかし、尚儀局の女官が玲栞の寝台脇に薬湯の椀を運ぶのを見た瞬間、香織はとっさに動いていた。
「きゃあ! 何なさるんですか!」
まだふらつく足で横から手を入れた香織は均衡を崩して倒れてしまい、尚儀局の女官は玲栞用の椀をひっくり返してしまった。
「侍女の方々も……それを飲んだら駄目です!」
香織の勢いに、椀を受け取ろうとしていた侍女たちは戸惑った。
「あらあら……まるで毒でも入っているかのような扱いですわね」
「すみません、紫珠様。でも、侍女のみなさんも玲栞様も、明らかに毒を盛られたのです。今まで侍女や女官たちが倒れた症状とは似て非なるものでした」
「それで、毒を盛ったのがあたくしだとお疑いなのですか?」
「そ、それは……」
青梅の種のことをこの場で説明するべきだろうか。
香織が迷っていると、紫珠がすっと動いて、女官が持っている盆から侍女用の椀を一つ取った。
「紫珠様!」
驚いて思わず紫珠に飛びついた香織だが、紫珠はすでに椀を干してしまっていた。
「これは滋養強壮効果のある薬湯で、毒ではありませんわ。これで信じていただけましたかしら」
呆然とする香織に、紫珠は微笑む。
傍らに立っていた女官が、盆を持った手をぶるぶる震わせた。
「もう我慢できないわ! 貴女、尚儀局の長官である紫珠様にこんな無礼なことをしてタダで済むと思っているの!」
そうだそうだと女官たちから声が上がる。
「この際だからはっきり言っておきますけど、あたしたちはあなたを公主と認めていませんわ!」
「そうよ! 正式な儀式もしていない公主なんか認められるものですか!」
「あなた、市井で食堂を営んでいるんですってね。そんな女が急に公主なんておかしいわよ!」
自分が王城内で多くの人に歓迎されていないのは薄々感じていた。けれど、こうして面と向かって負の思いをぶつけられると戸惑いと悲しみに胸がきりりと痛む。
「紫珠様、ごめんなさい。わたし心配になってしまって、つい」
気にしないでくださいな、と紫珠が柔らかく微笑むことを期待していた。
けれど、紫珠は寂しそうな、複雑な笑みを湛えた顔で言ったのだ。
「香織様、残念ですわ」
残念?
残念とは、どういうことだろう。
香織が戸惑っている間にも、女官たちが詰め寄ってくる。
「そんなんじゃ足りないわ! 紫珠様に平伏して謝りなさいよ!」
そうだそうだと詰め寄る女官たちに囲まれ、香織はのろのろと膝を折った。
(わたしが間違っていたんだわ)
目の目で侍女たちが苦しみ、玲栞が死にそうになるのを必死に救命活動をして、敏感になっていた。
考えてみれば紫珠が玲栞たちに毒を盛る理由などないし、同僚を見舞って薬湯を持ってくるのごく自然なことだ。
「申し訳ございませんでした」
床に座って香織が頭を下げると、ぐっと髻を掴まれた。
「もっと床に顔を付けるのよ!!」
強く押されて、額が床にぶつかる。そのまま強い力で押さえつけられて香織は身動きができなくなった。
「香織様。あたくし香織様が好きですし、疑いたくもありませんの。ですので、こんなこと申し上げたくないのですが……あたくしが聞いた話では、件の杏仁羹をお作りになったのは香織様だということでしたが?」
紫珠の柔らかい声が頭の上から降ってくる。女官たちがざわついた。
「それは本当なのですか紫珠様!」
「だとしたらこの人、自分の罪を紫珠様になすりつけようとしたってこと?!」
「なんて女なの!」
女官たちが色めき立った。
香織の頭を押さえつける力が強くなったときだった。
「何をしているんです!」
室内に響いた声に、場の全員がハッとする。
この後宮という場所ではほとんど聞くことのない低い男性の声は。
「李宰相! と……術師様?!」
紫珠の上ずった声に、香織も身を硬くした。




