第66話:貴族令嬢の致命的な部分
「お風呂を出た後だと、やっぱり牛乳が飲みたくなるね」
「残念ですが絵理華さん。牛乳を牛乳として飲むようになったのは近世に入ってからですよ」
「……やっぱないよね」
牛乳そのものの利用は紀元前からヨーロッパ・アジアなどの世界諸国で確認ができるのだが、搾ったばかりの生乳には雑菌が多く、直に飲むことは不可能であるため、チーズなどの乳製品を加工する際の材料として用いられてきた。
昨今わたしたちが飲んでいる牛乳は、19世紀の微生物学者・パスツールとベルナールによって生まれた、100℃以下の温度で殺菌処理をすることで風味を失わない方法・低温殺菌法をきっかけに普及したものであるため、牛乳が飲まれるようになったのは微生物や菌類などの研究がさかんとなった、近世ヨーロッパからである。
はずなのだが、
「あら?貴女、牛乳を飲んだことがあるんですの?」
瓶の中にある乳白色の液体を揺らしながら、メイアが驚いたような顔をする。
「牛、乳…………?」
「何であるんですか?」
「何でも何も、私が作らせたものよ?」
こくこくと喉を動かしながら呷る。
「光属性の魔法を使って消毒(殺菌のことだが、中世には『菌』という考え方はないため消毒となっている)処理をして特別に作らせた、とても高価な飲み物でしてよ?……でも、貴女たちは牛乳のことを知っているようですので、特別に私の物を差し上げますわ。感謝して飲むことね」
呆然とする二人の手に瓶に詰められた牛乳が渡される。
「私たち昼型吸血鬼は、人間に迎合して社会に上手く溶け込むことで吸血衝動を満たしているというお話はしましたよね?動物の屠殺・モンスターの討伐など様々な方法で吸血衝動を解決することができますが、それを毎日しようと思うと難易度は上がってくる。しかし、一日一回の吸血衝動はどうにか満たさないといけない。そこで吸血鬼たちの間で考え出されたのが、牛乳やチーズなどの乳製品を摂取することなのよ」
「……ごめん。何言ってるか分からない。吸血って血を吸うことだよね?それと牛乳に何の関係があるの?」
「貴女、ドウブツエンとやらで動物に関するお仕事をするんでしたわよね?だったら、これくらいのことは知っておいて欲しいものですわ」
岩場の上に空になった牛乳瓶を置く。
「牛が食べた物の栄養は血液を通して乳へと運ばれるのだけれど、その血液の中に含まれている栄養素を凝縮させて乳にある乳腺槽へと貯め込んだものが牛乳――厳密に言うのであれば、消毒処理をする前だから生乳だけれどね――になるのよ。つまり、牛乳は牛の血液に含まれている成分を凝縮したものだから、成分はイコールまでとは言わないけど似ている部分があるの。だから、私たち昼型吸血鬼は牛乳などを使った乳製品を摂取することで吸血衝動を抑えることができるのよ」
「だったら、ずばりそのまま加工肉を食べればいいだけの話じゃないの?ほら、ソーセージとか魚・塩漬けで保存された肉なんかでも大丈夫ってことだよね?」
「勿論それでも大丈夫ですわ。しかし、肉類となると保存が長期間可能な代わりに塩漬けにされているから味が落ちてしまうし、牛乳となるといつまでも鮮度が保てるわけじゃないから、保存ができてせいぜい3~4日程度。どちらも一長一短があるのだけれど、牛乳の大きな美点としては、『吸血している』という暗示と錯覚を自分に施すには液体である牛乳の方が何かと都合がいいのよ」
「じゃあさじゃあさ、ラクダのキン〇マなんてどう?」
「はい…………?」
この兎は突拍子もないことを言いやがる。
敬語を使うのも忘れてしまったメイアが目を白黒させる中、通称駄兎の言葉は続く。
「何処かの国ではラクダのキン〇マが高級食材として食べられているって聞いたことがあるのだー!そういう料理を探せば、もっと効率のいい方法があるんじゃないの?」
「だったら、ワインとパンとかでもいいんじゃないの?ワインは神の血で、パンは神の肉だったよね?」
「珍しく的を射た発言ですが、それは十字教独特の考え方ですよ絵理華さん……」
ワイン=神の血、パン=神の肉とするのは十字教の思想だ。主神ヴィルリアを信奉する単一神教を主な宗教とするこの世界には存在しない思想である。
「というか、ヨーロッパならブラッドソーセージがありますよね?中世期には間違いなく料理として存在するでしょうし、要はそれを食べればいいだけの話じゃないですか?」
日本ではほぼ全くと言っていいほど根付かなかった文化だが、アジアやヨーロッパ・北欧などでは「ブラッドフード」と呼ばれる動物の血を使った料理が存在する。
フィリピンではスープ、イギリスではソーセージ、北欧ではパンケーキなどにして食卓に並ぶのだという。
が、
「肉料理ばかり食べるのは栄養面で偏ってしまうから、あまり好きではないのよ。牛乳であれば多少大目に摂取しても大丈夫だと聞いたことがあるし、量の調整がしやすいから便利なのよ」
とのこと。
牛乳には多くのカルシウムが含まれ、身体の中で不必要となったカルシウムは便や尿となって体外に排出されるため、多く牛乳を摂ることは特に問題がないと言われている。
しかし、成人女性が一日に必要とする鉄分量は6.5mgと言われているのに対し、牛乳1Lに含まれる鉄分量は0,6mg。一日に牛乳11Lも飲むなど不可能なため、牛乳だけでは栄養が偏ってしまうし、吸血本来の目的が鉄分の摂取であるのならば、牛乳や乳製品だけでは摂取量が足りないのも確かである。
「でも、それだと結局栄養が偏っちゃうよね?それに、血液特有の『鉄っぽい味』を味わいたかったらブラッドフードの方がいいんじゃないの?」
「まるで血を吸ったことがあるかのような言い方ですね絵理華さん」
「いやほら、指とか怪我した時に舐めたことない?!血の味ってみんな知ってるもんだと思ってたけど?!」
「女神なので分かんないですねえ。血を流したこともないので」
「『鉄っぽい味』を堪能するのには、確かにブラッドフードを食べた方がいいのでしょう。でも、」
顔を背けながら恥ずかしそうに口を開く。
「私、その『鉄っぽい味』がどうしても苦手で、血の味が強い肉は食べられないのよ」
「ぶはははははは!!!」
ここで一人。
その様子を静かに聞いていたハロイラが盛大に笑い転げる。
「きゅっ!吸血鬼なのに血の味が苦手でありますか!?魔法が苦手なドラゴンとか、歌が下手なセイレーンみたいな感じでありますか!?」
「……悪かったわね。ハロイラさん。ローゼンガウラ家のお嬢様が血の味が苦手な吸血鬼で」
「面白いやつは大歓迎でありますよ!!それに、」
目元の涙を太い指で拭いながら言葉を続ける。
「私のことを「ハロイラ」と呼び捨てにしても構わないので、私もメイア殿の名前を気兼ねなく呼んでも大丈夫でありますか?折角ここまで打ち解けた話をした仲ですし、これからも仲良くしたいであります!!」
「ええいいわよ。その代わり、貴女もこれから自分について話すのよ?257年の間に培ってきた武勇伝を、ね?」
「私の武勇伝でありますか?そうでありますな!では、まずは腹の真ん中に深々と刻まれた切創の話から!!」
「あーあー。ルナティちゃんは痛い話は嫌だぞう」
「見てるかいネメアの獅子。君がこれから向かう動物園は、あれくらいに騒がしくて楽しい場所だよ」
「がう……」
大型ネコ科動物同士で気が合うのか、ネメアの獅子とタイガは横に並んでライザーたちの様子を窺う。
☆★☆★☆
牛乳よりも白い景色が何処までも続く天の世界。
「お呼びでしょうかゼレスト様」
白亜の空間に立つ白装束に白い髭を蓄えた男の前で、短くばっさりと切られた金髪の女性が頭を垂れる。
「ふむ。来たかテルルよ。早速だが本題に入る」
杖を雲の床の上に突くと、空中に画像が表示される。
「ワシが管理する世界で、生命の理を捻じ曲げたものがいる。術者はカロル。生き返ったのはアラキラとXXX。禁忌とされていた『リヴァイヴァル』を使って、二者は生き返った」
「では、その三者を『天罰』によって処分しろとのことでしょうか?」
「もう少し後でのう」
「と、言いますと?」
「何やら面白いことが起こりそうなのじゃよ」
離れた場所にあるカミサマTVを起動させると、その画面にはアラキラが映る。
「とは言いましても、『リヴァイヴァル』を使って生命の数を操作ことには違いありません。即刻排除すべきなのではないでしょうか?」
「まあ待つのじゃ。今はその時ではない。だが、もしその時を迎えたらテルルには地上に降りて三人を排除してもらおうと思う。そのことだけは覚えておいてくれい」
「承知しました。……ところで、お姉さんは地上では上手くやっているでしょうか?」
「気になるのかのう?」
「いくら罰とは言え、カミサマパワーを奪った状態で地上に降ろすのは、あまりにも無理があったのでは?」
空中で古いテレビのチャンネルを捻るかのような動作をすると、テレビの画面が勝手に切り替わる。
「山城殿や北欧神話の神たちと上手くやっているようじゃわい。それに、地上には多くの仲間ができたようじゃ」
そこには楽しそうに笑う金髪の女神が映し出されていた。




