1話(5)
一夜明け、朝日がザブン村を明るく照らす。
村の外れにある墓地。いくつかの墓石が並んでいる。そのうちのひとつの前にアーチは立っていた。その腰には〈聖剣ヴァーエイル〉が提げられていた。
「行ってきます……お母さん」
母に出発の挨拶を告げる。背後にはデフトンたちが見守っていた。
「アーチ、本当にいいのだな」
「だから昨日から何回も言ってるじゃん。これはあたしの役目。こんな大変なこと、怪我人のおじいちゃんに任せてらんないからね」
「おじっ……はは、その通りだな」
ドルクが笑い、すぐに真面目な顔になる。
「頼んだぞ。不甲斐ない老いぼれに代わりに、どうか世界を」
アーチは頷く。
幼馴染のロウルが申し訳なさそうにアーチを見ていた。
「ごめんアーチ。僕も一緒に行くって言えたらいいんだけど……僕には何もできないから」
「そんなことないって。昨日の魚、美味しかったからさ。全部終わって帰ってきたら、また食べさせてよ。ね?」
アーチが幼馴染の肩をぽんと叩く。ロウルは控えめに笑った。
「……うん、たくさん釣って待ってるよ」
「わたしは一緒に行くわよ! ピポイを連れ戻さなきゃいけないんだから」
パラァがアーチの頭上をくるりと一周する。
「うん、よろしくパラァ!」
アーチは手を差し出し握手を求める。パラァは渋々といった風にその手を指先でちょんと突いた。
「ほら、早く行くわよ! 時間がないんでしょ」
出発の時が近付いていた。
アーチたちが村の出口の前まで行くと、そこには村人たちが集まっていた。
「あ、アーチだ!」
集団の中にいた子供たちがアーチに気付く。駆け寄って来るなりアーチの脚に抱きついた。
「おーおー、こんな朝からどーしたガキんちょたち」
「アーチ、村を出て行っちゃうってほんと?」
昨日海で助けた少年が寂しそうに尋ねてくる。子供たちだけならず、村のみんなは話を聞きつけて集まってくれたらしい。
「大丈夫だって。すぐ帰ってくるから」
「ほんと? 約束だよ?」
「ほんとほんと」
実際は帰って来れる保証はない。アーチ自身、本音を言うなら不安のほうが大きい。けれでも、だからこそ、自分に言い聞かせる意味でもアーチは子供たちに約束をした。ほかの村人たちも「気を付けてね」や「頑張って」と声をかけてくれる。ひとつひとつの言葉がアーチを勇気付けてくれた。
魔族を封印し、無事に故郷へ帰ってくる。アーチは改めて決意した。
「それじゃあ……いってきます!」
デフトン、ロウル、ドルク、村の人たち。みんなを顔を見てから、アーチはザブン村を出発した。みんなの姿が見えなくなるまで、うしろ向いて手を振っていた。村が見えなくなってようやくアーチは進行方向を向いて歩き始めた。
「さびしい?」
パラァがアーチの横を飛びながら訊いてくる。
「そりゃね。でも、ちょっと不謹慎かもしれないけど、ワクワクもしてる。なんだかおっきなことやろうとしてる感じ、悪くないよ」
「ふーん。呑気なことね」
森を切り拓いた道を悠々と歩むアーチ。空は今日も今日とて快晴で、アーチたちの旅立ちを祝福しているかのようだった。
アーチは太陽に手を翳す。
眩さに目を細め、晴れやかな笑みを浮かべた。
「今日もいい天気! 最っ高~!」
◆
暗雲。
その島の上空は鉛色の雲に覆われていた。
島には小高い山が屹立し、蛇がのたうつような形の石階段が下から上へと続いている。
頂上付近が平らに整地されていて、周囲を木々が覆う。
しかし最奥にある〝それ〟は自然にまったく馴染まない物々しい佇まいで鎮座している。金属製の箱のようなものだった。
祠だ。その箱は金属でできた祠だった。
両開きの扉には、赤、青、緑、白、四色の魔石が嵌め込まれている。あと一ヶ所窪みがあるが、そこには何も嵌められていなかった。
扉はわずかに開いていて、隙間からは闇よりも昏い漆黒が渦巻いていた。
「失敗だ失敗」
浅黒い肌を晒す半裸の男──ヴァンテラが階段を上がって来るなりぼやいた。
「そのようですね」
祠の前に立っていた男が飄々と告げた。男は細身に紳士服を纏い、半面が笑顔で半面が泣き顔の道化師風の白い仮面を被っていた。
「想定外だ。村の女にやられた」
「把握しております」
「あの剣はなんなんだ。妙な魔法を使いやがって」
「ですから聖剣にはくれぐれもご注意をと事前に申し上げておりましたのに……まあ、想定の範囲内ですが」
「なんだと?」
「まだ焦るような時ではないということです」
「オレの負けが織り込み済みだってのか?」
「うるさいぞ人間」
どこからともなく声がする。いや、その人物は最初からこの場にいた。
灰色の髪青色の瞳。人間を縮小したようなサイズで、背中からは透明な翅が生えている。
フェアリー族だ。
フェアリー族の少年が翅をはためかせて宙に滞空していた。
ヴァンテラは今の今までその小さな少年の存在に気が付かなかった。
「なんだぁ、そのフェアリー族のチビは」
「我々の新たな協力者ですよ」
「そんなちっこい奴が戦力になんのか?」
「それを今から確かめるんでしょう?」
木々の間で影が動いた。影の中に切れ長の目だけが浮かぶ。姿ははっきりと見えないが、声で女だとわかった。
女の目が愉快そうに細められる。
「見物させてもらうわよ。坊やが男になるところ」
「では、我も同席させてもらうとしよう」
さらに新たな声が加わった。しかし姿はどこにも見えず、天空から重厚な声だけが降り注いだ。空そのものが声を発しているようだった。
劣勢にヴァンテラは舌打ちをして押し黙った。
「それでは始めましょう──ピポイくん」
仮面の男は懐から小さな種を取り出した。
「これは魔族の力を宿した種です。これを体内に取り込めば、あたなは力を得ることができます」
ピポイは男から種を受け取り、青色の瞳でそれを見つめる。人間からすれば小さな種だが、ピポイの頭と同じくらいの大きさだった。
ヴァンテラが馬鹿にした笑い声を上げた。
「ははっ、そりゃ無理だ! 飲み込めなけりゃどうにもなんねぇ。所詮フェアリー族は」
ピポイは種に齧りつき、顎の力で噛み砕いた。ガリッ、ガリッ、と音を立てながら咀嚼し猛烈な勢いで種を食していく。完食すると、仮面の男が白い手袋に包まれた手で拍手をした。
「──お見事」
「これでぼくも……ぐあっ!」
突如ピポイが体を折り曲げ地面に落下する。
小さな体に激痛が駆け巡った。痛みは灼熱となり、生きながら焼かれるような極大の苦痛が少年を襲う。ピポイは絶叫を上げながらのたうち回った。
「そうそう、とてもキツいのよね、これ。私もこの時は頭がおかしくなりそうだったわ」
影の女が笑う。ヴァンテラは渋面を浮かべ、無意識に手の甲に埋め込まれている魔石を撫でた。ヴァンテラも種を摂取した時の苦痛を思い出していたのだ。
「がっ……ぐぅっ……がああああああああっ!」
ピポイは自身の体を抱き激痛に耐える。すると美しい翅が抜け落ち、背中から血が噴出。それは即座に凝固し、赤黒く結晶化する。結晶は禍々しい形の翅となった。
絶叫が止み、肩で息をしつつ顔を上げる。
綺麗な青色だったはずの瞳が、血の赤に変わっていた。
「おめでとう。これであなたは人間に復讐するための力を得ました。魔族はあなたを歓迎します。共に人間を滅ぼしましょう、ピポイくん」
「その名で呼ぶな。ぼくはもう弱いだけのピポイじゃない」
フェアリー族の少年は結晶の翅をはためかせて飛び立つ。
憎しみに満ちた赤い眼で睨みつける。
その両目が捉えるのは、人間たちが安穏と暮らす大陸。
「ぼくの……俺の新しい名は──」
雷鳴が轟き世界を威嚇する。
戦いが、始まろうとしていた──。




