4話(1)
このは生憎の天気だった。
薄い膜のような雲に覆われた空。いつもの鮮やかな青空は色彩に乏しい灰色に塗り潰されていた。雨が降りそうなほどではないものの、太陽の光が遮られた景色は見る者をどこか憂鬱な気分にさせた。
そんな空模様の下に、間の抜けた腹の音が響いた。
「あ~お腹減った~」
アーチがミョウザの紙飛行船の上で怠そうにお腹をさする。
「呑気ね。もう少し緊張感もちなさいよ」
諫めるパラァ。しかしその直後、パラァ自身のお腹もきゅるると鳴った。体内に潜んでいた寄生虫を吐き出したことで、以前よりも食欲が回復していた。とはいえ他人を注意しておいて自分が鳴ってしまっては説得力がない。パラァは赤面した。
「パラァもお腹減ってるんじゃーん」
「う、うるさいっ!」
「まあそろそろ昼時だしな」
「ラゴースはどう?」
アーチが隣に問いかける。ラゴースはもうひとつの紙飛行船に座り並走していた。腕を組み目を閉じていたラゴースが薄く目を開き横を見る。
「問題ない」
「でもちょっと残念だったな。ラゴースの変身が長く続かないなんて。ドラゴンの背中に乗って移動とか、物語の冒険者っぽくてやってみたかったんだけど」
「悪かったな、役に立たない半端者で」
ちょっとした軽口を真に受けられてしまい気まずい空気が流れる。アーチがミョウザの頭を小突き反省を促すと、ミョウザは「悪い、そんなつもりじゃ」と謝った。
「……冗談だ」
真顔で告げるラゴース。真に受けてしまったのはミョウザのほうだったらしい。ミョウザは恥ずかしさと怒りで顔を赤くした。
「じ、冗談ならもっとそれっぽく言え!」
「見て!」
パラァが前方を指差す。これまで続いていた陸地が途切れ、海が見えてきていた。
広大な海のさらに向こう。水平線の只中にひとつの島がぽつんと鎮座しているのが見えた。異様なのは島の上空。ただの曇り空とは違う、墨を落としたように真っ黒な雲が島を中心に広がっていた。
遠くからでも異常事態が起きているのがわかる。
禍々しき様相の孤島。
「あれがオーマグァ島……」
アーチたちが目指してきた最終目的地。
オーマグァ島がそこにあった。
一同に緊張が走る。あそこに行けばすべてが終わる。何事もなく封印できればそれに越したことはないが、当然そう簡単にはいかないだろう。敵の襲撃があるのは確実だ。おそらくそれが最後の戦いになる。
人類の存亡をかけた最終決戦の時がすぐそこまで近付いている。言葉にしないまでも、全員が同じことを考えていた。
「ひとまずあそこに下りよう」
一行は海の手前にある町に着陸した。
港町タイグワン。海に面した集落と言う意味ではアーチの故郷と同じだが、広さや家の作りの立派さからザブン村よりもはるかに栄えているのは明らかだった。なだらかな丘に沿って階段状に家々が立ち並び、海側から見ると舞台の観客席のような壮観さがある。一方で潮風の匂いは故郷と変わらなかった。昨日までのアーチなら、ギヤカニ国のときと同じく観光気分でしゃいでいたことだろう。
しかしアーチを始め、今の一行に風景を堪能している暇もなく、一目散に港へと出た。港にはすでに多くの住人たちが集まっていて、異様な黒雲を不安そうに眺めていた。
曇り空に加えて風も強く、鉛色の海は荒い波が立っている。黒雲を背負うオーマグァ島と相まって、どこか終末を思わせる光景だった。
「なんか見るからにヤバそーって感じ」
「どうやってあそこまで行く?」
「ミョウザのいつものじゃ駄目なの?」
「風も強いし、あれだと万が一海に落ちたときにどうしようもないからな。紙で船を作ってもどうしようもないし」
「船かぁ……ねぇ、誰かあそこの島まで連れて行ってくれる人いないー!」
港町なだけあっていくつかの船が停泊している。自前で用意できないなら誰かに乗せてもらおうというのは安直ながら当然の発想だった。
藪から棒な呼びかけに周囲の人たちは困惑する。
「お嬢ちゃん、あんなところに何しに行くつもりだい」
近くにいた壮年の男が怪訝そうに訊いてきた。
「えーっと、まぁ……人助け?」
世界の平和を守りに行きます、などと言ったところで信用されないのは明白なのでアーチは言葉を濁した。
「なんにせよ、今はやめておいたほうがいいわ。こんな荒れた天気じゃ危ないもの」
男の妻らしき女性がごもっともな忠告をする。だがアーチたちはここでまごついている暇はない。
「だけどあたしたちどうしてもあそこに行かなくちゃいけなくて」
「あんたら船が必要なのかい」
枯葉のような声が介入。白髭を蓄えた老人が夫婦の背後から姿を現した。
「モートリーさん……」
女性にモートリーと呼ばれた老人が、ここは任せろと言うように手を上げ夫婦を下がらせる。老人は足が悪いのか、杖を突きながらゆっくりと近付いてくる。年老いてはいるものの、老人の目には文字通りの荒波を越えてきた男が持つ力強さがあった。
「もしかしたら協力してやれるかも知れんぞ」
「船を出してくれるの?」
「そうだ、と言いたいところだが、見ての通りの老いぼれだ。ワシはもう船には乗れん。だが代わりに、使えそうなやつを紹介してやる」
「ほんと!?」
「待って。こんなに都合のいい話、何か裏があるかもしれないわよ」
「た、たしかに。またあいつらの作戦とか……」
警戒心を露わにするパラァにミョウザも同意する。
「二人とも考えすぎじゃない?」
「これくらい疑ってかからないと。何を仕掛けてくるかわからないんだから」
ただでさえ相手の策略によって窮地に陥りかけたのだ。しかも意図せずその片棒を担がされていたパラァからすれば警戒せずにはいられなかった。
疑いの目を向けられる老人が喉を震わせて笑った。
「簡単なことだ。昔、似たようなことがあったのでな。四十年ほど前か。今日みたいに海の荒れた日に突然この町に現れて『あそこまで送ってくれる人はいないか』と尋ねてきたやつらがおった。その中にはきみと同じ、素っ頓狂な鎧を着た女性もいたな」
「それって……」
「英雄たちをあの島に送り届けたってこと!? 人魔大戦のあのときに!?」
驚愕に目を剥くミョウザ。老人は「昔のことだがな」とはにかむ。
魔族を封印するために英雄たちは船でオーマグァ島へ向かった──という事実は伝聞や歴史書では散々語られている。しかし誰がその船を操縦していたかまでは言及されることはなかった。
この老人こそがその人だった。かつての英雄を知る歴史の生き証人だった。
「ワシの名はモートリー。元船乗りのジジィだ」
モートリーが差し出した手を握り返すアーチ。皺が刻まれた手は意外とがっしりしていた。
「あたしはアーチ。早速だけど、船に乗せてくれそうな人紹介してもらえる?」
「ついてこい」
一行はモートリーのあとをついていく。少しでも急ぎたいところだが老体を急かすわけにもいかないので、詳しい事情や目的を説明して間を持たせた。
そうしているうちに一軒の家の前に到着した。
「紹介してくれるのってどんな人?」
「弟子みたいなものだな。少々変わり者だが、腕は確かだ」
言いながらドアをノックするモートリー。
「モートリーだ。カーネイ、いるか?」
するとがしゃがしゃと忙しない音が聞こえてきた。少ししてドアが開き、中からひとりの青年が出てきた。ラゴースほどではないもののそこそこ大柄で、着古したタンクトップからは逞しい肉体が覗いている。一方で首から上には体格に反したひ弱そうな顔があった。頬には煤か何かの黒いもので汚れていた。
「お師匠、どうしたんですか?」
「こんなときにお絵かきか」
モートリーが家の中を覗き込む。最低限の家具しかない簡素な室内には、紙に描かれた絵が散乱していた。テーブルの上には筆や絵具が乱雑に置かれていた。
「絵を描いていると落ち着くんです……そちらの方々は?」
「カーネイ、悪いが今から海に出てもらう」
「い、今からですか?」
「あたしたちあの島に行かなきゃいけないの」
アーチはオーマグァ島を指し示す。カーネイはそれを見て曇り空に負けないくらい表情を曇らせた。
「でもこんな天気に……」
「引き受けてくれるのなら……あの話、聞いてやらんでもないぞ」
「本当ですか!?」
モートリーがそう告げた瞬間、カーネイは一転して前のめりになった。
「どーゆ―こと?」
「さぁ?」
事情がわからず顔を見合わせていると、またアーチのお腹が鳴った。決まりが悪そうに苦笑するアーチ。
「うちで食っていくか? 何事も腹が減っていてはいかんだろう」
「いいの? じゃあお言葉に甘えて!」
「カーネイ、お前も来い」
「は、はい!」
事態は急を要する。しかし腹が減っては戦はできない。まさしくこれやらやろうとしているのは命を懸けた戦いのなのだ。敗因が空腹なんてことになっては笑い話にもならない。今はひとまず腹ごしらえが得策だ。
カーネイ青年を伴いモートリーの家を訪れると、女性が出迎えた。
「お父さんおかえりなさい……あら、お客さん?」
「娘のプランだ。プラン、すまないがこの子らに何か食べるものを用意してやってくれ」
「わかりました。ちょっと待っててください」
突然の来客に動じるどころか、モートリーの娘プランはむしろ愉快そうにアーチたちを迎え入れた。
しばらく待っていると、テーブルの上には魚介系をを中心としたたくさんの手料理が並べられた。
「どうぞ。簡単なものばかりで申し訳ないけど」
「おいしそー!」
アーチたちはそれぞれ思い思いの料理に手を付け食事を始めた。アーチとミョウザは焼き魚、ラゴースは蒸した海老、パラァは葡萄に齧りつく。
「他所からのお客さんなんて久しぶりだから張りきって作っちゃった。カーネイくんもたくさん食べてね」
「あっ、は、はい!」
カーネイが上ずった声で返事をする。アーチたちよりも余程初対面かのように緊張していた。
「みなさんもどうですか? お口に合えばいいのだけど」
「さいこー! あたしも海の近くの生まれだから、地元のこと思い出しちゃった」
「本当ですか? それはよかったです」
「料理の腕ばかり上がっても、貰い手がおらんのじゃ意味ないわい」
テーブルから少し離れたところに座っていたモートリーが、コーヒーを啜りながらぼやいた。
「もう、お客さんの前でそんな話。貰い手がいないんじゃなくて、私のほうから断ってるんです。私がほかの家にいってしまったら、お父さんの世話をする人がいなくなっちゃうでしょう」
「人のことを言い訳に使うんじゃない」
「そもそも私、海の男って野蛮で嫌いなのよ。みんなカーネイくんくらい優しかったらいいんだけどねぇ?」
「いや、僕は……はい……」
カーネイは顔を真っ赤にして俯いた。その様子を見ていたアーチが何かを察しにやりと笑った。
「なるほど、そーゆーことね」
カーネイがプランに好意を寄せているのは明らかだった。しかしアーチより少し年上くらいのカーネイに対して、プランはうら若きと称するにはいささか頃合いを過ぎてしまっているように見える。おそらく一回りくらいは歳の差があるだろう。そのせいもあってか、プランのほうはカーネイをそういった対象には見ていないようだった。
「どういうことだ?」
「いーのいーの、お子様なミョウザは気にしないで」
得意顔のアーチに謎の敗北感を抱いたミョウザが「なんだよ」と不貞腐れる。
食事を続けているとモートリーが「ちょっといいか」と切り出した。
「食事しながらで申し訳ないが、改めて確認させてもらう。きみたちは魔族の復活を阻止するためにあの島に行きたいんだな?」
「そ、あそこにある祠? とかいうのに予備の魔石を嵌め込めば、復活する前にもう一回封印できるみたい」
「その魔石は今どこに?」
「ちょっと待って」
アーチは〈聖剣ヴァーエイル〉を鞘から引き抜き魔石に〈符律句〉を描いた。
「〈符律句〉第十番、収納の相」
すると〈ヴァーエイル〉魔石が発光し、そこからメイヒェンから預かった紫色の魔石が排出された。
アーチの手のひらに収まる魔石を確認すると、モートリーは「なるほど」と頷いた。
「復活までの正確な時間はわからないのだな?」
「うん。けどできるだけ急いだほうがいいと思う」
「そうだろうな。ということだ、わかったかカーネイ」
「えっ? いやあの、ちょっとよくわからないです」
魚の小骨を選り分けていたカーネイは未だに事態を飲み込めていない。
「いや、いい。とにかく、彼女らを向こうの島まで送っていくのがお前の役目だ」
「海に出るんですか? こんな日に」
「いや、僕は……」
プランに話しかけられるたびに口ごもってしまうカーネイ。見かねたモートリーが深い溜め息を吐く。
「カーネイ、さっき言ったことは嘘じゃないぞ。ワシは本気で考えてやってもいいと思っている。おまえと……」
モートリーはカーネイを見てから視線をプランに移した。その意味を察したカーネイは手元のコップを倒しそうになるほど前のめりになった。
「や、やります! やらせてください!」
「話はついたな。では食事が済んだら早速出発の準備だ」
モートリーの宣言通り、食事を終えると休む間もなく出航の準備に取り掛かった。アーチたちも船に乗り込み甲板で出発の時を待つ。
「用意はいいですか?」
準備が整い、カーネイが操舵室の窓から呼びかける。
「いつでも大丈夫!」
カーネイは青い魔石を操舵輪の中央に嵌め込んだ。一定の大きさ以上の船は魔力の補助を受けて稼働する。魔石が発光すると、自動的に碇が上がり帆が下げられる。
「では、出発します」
カーネイ操舵輪を握る。
その瞬間、
「行くぜ行くぜ行くぜえええええ! 久しぶりの船出だああああぁっ!」
聞いたことのない野蛮な叫びが港にこだました。声は操舵室から聞こえてくる。どうやら声の主はカーネイらしかった。
「なになにどーなってんの!?」
アーチが甲板から身を乗り出し、見送りにきていたモートリーに問いかけた。
「すまない、カーネイは操舵輪を握ると気性が荒くなる性格でな。まあそれでも船乗りとして技術は申し分ないから気にしないでくれ」
「いや落差エグすぎでしょ!」
「なんかメイヒェンさんといい、こんなんばっかりだな……」
「うるせぇぞテメェら! 黙ってねぇと舌噛むぜ!」
「いや待って待って! もう少し落ち着い」
「出発だァ! 振り落とされねぇように気を付けるんだな!」
アーチの制止もむなしく、船はものすごい勢いで港を出発した。アーチたちの悲鳴が波の音に消えていく。
「……あれさえなければいい子なんだけどねぇ」
プランが呆れ顔で溜め息を吐いた。
モートリーはそんな娘に「んん……」と曖昧な返事を返すことしかできなかった。




