3話(5)
アーチがゴルジッドと戦闘を繰り広げている一方、西区域の中心地はパニック状態となっていた。
突如現れ街を破壊し始めた巨大魔獣。大通りを我先にと逃げまどう住民達。混乱の声の中には「邪魔だ!」「どけ!」などの場性も聞こえてきた。
巨大魔獣が威嚇するように重低音の雄たけびを上げる。住民達の悲鳴がさらに恐慌の度合いを高めた。
魔獣から離れていく人々。その流れに逆らう集団があった。
武装した自警隊が巨大魔獣の前に立ち塞がり、整然と隊列を組む。
「魔法班構え!」
杖型マジェットを持った隊員達が横一列に並ぶ。杖に嵌め込まれた魔石に光が灯る。
「放て!」
アミュウの号令で火炎の弾丸が一斉掃射された。火球は巨大魔獣の胴体に全弾命中。爆発が何重にも起こり、魔獣が爆煙に包まれる。
だが──。
「何!?」
驚愕に目を見開くアミュウ。煙が晴れたそこには、まったく無傷の魔獣が立っていた。爆炎は全て頑強な肉体に防がれていた。
「効いていない……」
隊員の誰かが呟いた。ほかの隊員達も言葉にはしないものの、相手の強靭さに動揺しているのが見て取れた。
「怯むな! 次弾用意!」
杖を持った隊員が再度魔法で一斉に攻撃する。しかし今度も巨大魔獣にダメージを与えられている様子はなかった。それでも魔法兵士は攻撃の手を止めず斉射を続ける。
「撃ち続けろ! デカブツにたんまりと食らわせてやれ!」
発射された火球は全弾命中。絶え間なく爆発が起こり、火炎が魔獣の巨躯を覆い尽くす。爆音が何重にも重なり地面を揺らすほどの衝撃となる。
「グオオオオオッ!」
巨大魔獣が叫びを上げる。
苦悶の絶叫──ではなく、怒りの咆哮だった。
「まずい……総員退避!」
直観で危険を察知するアミュウ。しかし指示を出すには遅かった。
巨大魔獣は腕を水平に振るい、左右両側の建物を破壊する。腕が振り抜かれると、破壊された無数の破片が大質量の弾丸となって地上に降り注がれた。
「うわああああっ!」
誰とも知れない悲鳴が巨大な壁面の瓦礫に押し潰される。自警隊員だけではなく逃げ遅れた一般市民までもが瓦礫の下敷きになっていく。大通りは一瞬にして阿鼻叫喚に陥った。
「ハアッ!」
アミュウは混乱の中でも冷静さを失わず、飛んでくる瓦礫を両断していく。
やがて攻撃が止むと、アミュウはすぐさま周囲の状況を確認する。
崩壊した建物。負傷した人々の呻き声。流れる血。凄惨と言うよりほかない光景が広がっていた。
「隊長! ご無事ですか!」
隊員が少し離れたところから呼びかける。瓦礫が邪魔ですぐには近寄れなかった。
「私のことはいい! 無事な者は負傷者を回収して撤退しろ!」
「しかし……」
「いずれほかの区域からの増援が来る! それまでは私が」
「隊長危ない!」
アミュウは反射的に振り返る。
目の前に鋭い鉤爪が迫って来ていた。
迂闊だった。一瞬でも敵から目を離すべきではなかった。いくつもの反省が脳裏をよぎりつつアミュウは剣を横にして防御の構えを取る。鉤爪の直撃は防いだものの、大木のような巨腕の勢いを止めることは出来ず、アミュウは突き飛ばされ建物の壁に叩きつけられた。
「かはッ!」
肺から空気が押し出され一瞬呼吸が止まる。鎧を着ているにも関わらず背中には激痛。視界が明滅し、少しでも意識を緩めたら意識が飛びそうだった。立っていられずうつ伏せに倒れるアミュウ。
「隊長!」
「私に構うな。急いで避難を……」
最初からアミュウは自分ひとりでどうにか出来るとは思っていなかった。この国の人々を守るために一秒でも時間が稼げるのなら命も惜しくない。そう覚悟していたが、どうやらその役目すら全うできそうになかった。
アミュウは力を振り絞り片膝を立てる。頭上では鉤爪が再び振り下ろされようとしていた。回避しようにも足に力が入ってくれない。無駄だとわかりつつも剣を掲げて防御を試みる。
隊員の痛切な絶叫が遠くに聞こえる。巨大魔獣の動きがやけにゆっくりに見えた。
霞みゆく視界に、太陽の光がやけに眩しく感じた。
「グオオオオオッ!?」
鉤爪が振り下ろされることはなかった。むしろ巨大魔獣は兜に覆われた顔を押さえ苦しそうにしていた。
「何が起きている……?」
アミュウは目の前の状況に理解が追い付いていない。それもそのはずだ。アミュウ反撃した覚えはない。かといって増援が駆け付けて攻撃を仕掛けたわけでもない。誰も何もしていないのにこれまでで一番ダメージを受けているという謎の現象が起きていた。
だがそれで戦況が好転したわけではなかった。むしろ余計に逆上させてしまったようで、悶絶する巨大魔獣はアミュウの真上の建物を乱暴に殴りつけた。壁が砕かれ、大きな破片が垂直に落下してくる。アミュウはまだ立ち上がれない。
瓦礫がアミュウを圧し潰そうとしたその時──
大きな拳がそれを打ち砕いた。横から介入してきたその拳は緑の鱗に覆われた、ドラゴンのものだった。
大柄な男がアミュウの眼前に立つ。
牢屋に捉えられているはずのラゴースだった。
「ラゴース、何故貴様がっ……」
「下がっていろ」
ラゴースの背中から翼が生え上空へ飛翔。巨大魔獣の顔の高さまで上昇する。すると相手もラゴースを捕捉し、目障りなハエを叩き落とすがごとく鉤爪を振るう。
しかしその前にドラゴンの拳が顔面に叩きこまれた。爆撃魔法にもびくともしなかった魔獣の巨体が吹っ飛ぶ。後方の建物に激突し、半身が埋もれるほど倒れ込んだ。
「なんて力だ……」
「隊長、今のうちに!」
瓦礫を乗り越えてきた隊員がアミュウに肩を貸して立ち上がらせた。アミュウの疑問の目が空中のラゴースに向けられる。
「牢屋にいたはずのあいつがどうして……?」
「ごめんなさい!」
いつの間にいたのか、見覚えのあるフェアリー族の少女──パラァがアミュウに頭を下げていた。
「きみはたしか……」
「わたしがあの人のお願いしたの。みんなを助けてって」
「きみが?」
「ええ……」
神妙に頷くパラァ。
脳裏にははつい先ほどのことが思い返されていた。
────────────
────────
────
自警隊事務所の地下。暗く冷たい牢屋が地響きで揺れる。一度大きな揺れが発生して以降断続的に起こっていて、そのたびに天井からパラパラと砂の粒が降る。
外で何か非常事態が起きているのは間違いない。それにも関わらず、ラゴースはアーチ達が去ったときから一歩も動かないままで、まるで時間が止まっているかのように微動だにしていなかった。
そんな停止した世界に小さな影が舞い降りた。
「助けて!」
パラァが切羽詰まった様子で鉄格子の前に飛んでくる。余程急いで飛んできたのか、額には汗が滲み息も上がっていた。
「地上が大変たことになってるの!」
「そのようだな。音だけでもわかる」
「だったら協力して! 大きな魔獣が暴れてるの!」
「無理だ」
「どうしてよ! 変身すればこんな牢屋くらい簡単に出られるでしょ! ほら早く!」
体の小さなパラァは鉄格子の隙間をすり抜け牢屋の中に入る。ラゴースの服を引っ張って立たせようとするが、当然びくともしない。それでもパラァは急かすように引っ張り続ける。
ラゴースが無機質な石の床を見詰めながら告げる。
「……俺には関係ない」
雫が零れるような小さな呟きだった。
「関係ないって……この国がなくなったらあなただって困るでしょ!?」
「俺がこの国にいるのは金になる依頼が多く集まるからだ。ここが駄目になったらまた別の国に行くだけのこと」
「でもこのままじゃたくさんの人が死んじゃうかもしれないのよ!?」
「それは自警隊がどうにかするべきことだろう。俺が協力してやる義理はない。それに……どうせ俺は鼻つまみ者だからな」
淡々と話していたラゴースだったが、最後の言葉には僅かに陰りが落ちていた。パラァが服を引っ張る手を止める。
「何よ、さっき言われたこと気にしてるの?」
「……そうではない。とにかく、ほかを当たってくれ。俺は然るべき処罰を受けるまでここから動くつもりはない」
そう言った切りラゴースは沈黙してしまった。外界から自身の存在を遮断するように瞑目し、大男は不動の岩石と化した。
こうしている間にも揺れが起こり続け、外の逼迫した状況を知らせている。地上の街は、そしてアーチ達は無事でいるだろうか。
パラァは両方の手をぐっと握りしめる。その小さな両こぶしは微かに震えていた。
「……お兄ちゃんと会ったの」
「なんの話だ?」
あまりに脈絡のない発言に、対話を断ち切ったはずのラゴースが思わず反応した。
パラァは俯いている。暗くてはっきりとは見えないが、少女の目元には僅かな明かりを反射する何かが滲んでいた。
「わたしはいなくなったお兄ちゃんを探すために旅してきたの。でもお兄ちゃんは……ピポイは、魔族の味方になってた」
未だに話の意図が読めないラゴースはただ黙って聞いているしかない。
「本当はピポイを止めたかった。でも今のピポイに私の言葉は届かないみたいだったから……。だからピポイのことはアーチに任せて、わたしはこうしてあなたに協力をお願いしに来たの。それが今わたしにできることだと思ったから。だから……」
ラゴースを真っ直ぐ見据えるパラァ。その顔は泣いているような怒っているような、様々な感情でぐしゃぐしゃになっていた。
「ちょっと嫌味なこと言われたからって拗ねてんじゃないわよ! あなたも今あなたができることをやりなさいよ!」
──できたはずなのにやらなかったことを後悔したくない。
アーチが以前言っていたことだ。パラァは自分なりに力になれることを必死に考えた結果の行動だったが、その根底には無意識のうちに感化されたアーチの言葉があった。
だからこそ強大な力を持っていながら現状から目を逸らすラゴースが許せなかった。
「俺ができること……」
小さき少女から向けられた言葉を反芻するラゴース。
パラァは自分が涙を流していたことに気付き手で顔を拭う。深呼吸をして昂った感情を鎮める。
「わたし、さっきのあなたの話を聞いてひとつだけわからないことがあったの。どうしてあなたは女の人のお願いを引き受けたの?」
アーチ一行に家族を殺されたと語った旅芸人の女のことだ。
「依頼されたからだ」
「報酬は? お金で雇われたならわかるけど、何か渡されたの?」
「それは……」
何も受け取っていない。思い返せば、なんの見返りもなく他人のために他人を殺すのはリスクがあまりに大きい。今更ながらラゴース自身も不可解に思った。
「怒っていたんじゃないの? 女の人の家族を殺した誰かに対して」
「怒っていた? 俺が……?」
「お金のためとかじゃなくて、純粋に力になってあげたいと思ったんじゃないの?
そうじゃなきゃ復讐の代行なんてできっこないもの。だからって、人を殺すのは良くないことだけど」
ラゴース旅芸人に助けを求められたときのことを思い出す。
無残な姿で転がる三つの死体。泣きながら縋りつく女。あのときラゴースの胸の奥に渦巻いていた煮えたぎるような感情。
──許せない。
そう思った。あれはたしかに怒りだったのかもしれない。
「でも他人のために怒れる人は立派な人間よ。だからつまらない言葉に惑わされないで。わたしたちに力を貸して!」
パラァの力強い声が無機質な牢屋に響いた。
ラゴースはその残響を噛みしめるように目を閉じると、小さく笑った。
「たしかに拗ねていたのかもしれないな。お前の言う通りだ」
「お前じゃなくてパラァよ」
「そうか。パラァ、少し下がっていろ。ここから出る」
「じゃあ……!」
「ああ。それが俺のやるべきことならば──」
パラァは格子の隙間から牢屋の外へ出る。
おもむろに立ち上がるラゴース。後ろに回されている腕に力を込めると、金属の拘束具はあっさり壊れた。
ラゴースを捕らえていたのは牢屋ではなかった。他人から向けられる言葉、視線、行動。差別と迫害の意思をぶつけられる日々が、いつしかラゴースの心を失意の檻に閉じ込めていた。
しかし今、小さな少女の大いなる行動によってそれがこじ開けられようとしていた。
自由になった両手で鉄格子を掴む。左右に引っ張ると、頑強な格子が飴細工かのように容易くひしゃげた。
「──この力、存分に振るおう」




