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「待っている」


 と、彼女は言った。

 たぶんそれは無理な話だろうと、彼の理性的な部分はそう考えていた。


 彼と同じ星域に生まれた同人種であっても、常命の殻を打ち破り不老のまま時を過ごすに至る人間は極まれ(・・)であるのに、長命種などフィクションの中にしか存在しなかった地球人の常識を受け継ぎ、恐らくその固定観念に精神を引きずられるだろう明花には、自分と同じ時を生きるのは難しいだろう。


 小さな頃からまるで一心に飼い主に懐く子犬のように裏表なく自分へと好意を寄せる彼女だったが、そもそもその好意と言うのもある種、不安に満ちた世界に生きていたからこその現実逃避的な依存の可能性を考えていた。


 "ただ彼が最後の最後の瞬間まで一緒にいてくれた"

 ……それだけで死の恐怖やそれに至る痛み苦しみそれすらも気にならないなど、普通の精神状況では到底あり得ない。

 だがしかし、そこに脳内麻薬とも呼ばれるβエンドルフィンやセロトニン、ドーパミン等の脳内伝達物質の介在があったとすれば、その状態に説明もつく。

 それらの物質に対する計測は行っていなかったが、明花の場合、一般に死の直前に大量分泌するといわれる脳内伝達物質が数日間に渡ってかなりの量分泌されていた可能性が高かった。


 不自然な出来事にも調べてみれば殆どの場合、原因がある。

 だから、明花から彼に寄せられる純粋な好意にも、理由があるのかもしれない。

 何しろ滅亡をすぐ目の前に控えた不安に満ちた時代のことだ。

 人間の精神と言うのはそう強いものでもなく、解決不可能な困難に対、人は逃避の道を取りがちになる。

 だけどそれはけっして悪い事ではなく、最後の最後まで正気でいるには、それしかないから逃避するというだけの話。


 明花のノアに対する好意はあまりにも純粋で、強すぎた。

 それこそ、"一緒にいられるだけで幸せ"だと、脳内にあり得ない量のβエンドルフィン等を分泌し続けさせるほどにだ。

 あの感情もそう言った"逃避"の一つに数えられるだろうと、彼は思った。


 "明日"の見えない不安感が原因で心拍数が高まっているにも拘わらず、身近な異性である自分に対しての恋情からときめきを覚えているとの勘違いが彼女には無かっただろうか?

 いわゆる吊り橋効果と呼ばれるそれを切っ掛けにして、日々の生活の中に絶えず付きまとう不安と恐怖が勘違いから成る彼に対する好意を継続させ、現実への逃避がさらにその感情を高めて行ったのだとすれば、最後まで幸せだったと断言出来るまでの状況に至る道筋が、すんなりと見えて来るではないか。


「明花は……僕が目覚める時に生きていてくれると思うか?」


 脳の活動を押え、仮死の状態へと導くための薬剤の液中への投下や、万が一その状況で事故が起きないよう機器全体の点検や仮死状態移行後の設定の調整を行う電脳(ナノマシン)に向け、ノアは問いを投げかけた。


『わからん』


 返されるのはそっけなくも常識的な内容だ。


 可にも不可にも、断言するに足る根拠がない。

 ほぼ不可能であるとしても、1%でも可能性があればそれは"わからん"と言う事になる。

 ただ、以前であればこの銀色の電脳(ナノマシン)


『恐らく無理だろう』


 とでも言う否定寄りの返答を返していただろう。

 口調こそ明花の好む高飛車な色の強いものであっても、彼にたいする気遣いが感じられるあたり、やはり機人への進化が進んでいるようだ。


「……そう、だね」


 電脳(ナノマシン)の返答に頷きながら、彼は唇に微かな笑みを刻んだ。


「もし必要な時には……明花に伝えて。僕は、彼女が彼女の生を幸せに生きる事だけが願いだから、自分の人生を一番大事に考えるようにって」


 何も自分と交わした約束に雁字搦めになり、幸せを逃す人生を送ることなど無いのだ。


『───分かった、伝えてやろう』


 了承の言葉を返した銀色の電脳(ナノマシン)は行っていた作業を終え、彼のマスターの前の宙に静止した。


『……随分と穏やかな顔ををしているではないか。マスター・ノア』


 言われてノアは溶液の中、自分の口許に触れてそれが笑みの形に引き上げられているのを確認すると、それを更に深めて目もとを和ませた。


「不思議だな」


 笑みに和ませたままの両目を閉じると、瞼の裏にほんの少し前まで目の前にいた彼女の面影が鮮やかに描かれる。

 水槽の表面に顔を押し付けんばかりにして此方を見上げる黄褐色と青の澄んだ両目は確信に溢れ、彼が元気になるまで待ってると言った声も口調も不自然なところなどなく……。


 だから彼は、そんな彼女を信じてみてもいいと、思った。


 理性はそれを否定する。

 恐らくそれは無理だろう───と。

 その上で、滅びへ向かうストレスに満ちた地球(せかい)から解放された彼女は、幼馴染に対する恋心への逃避の必要もなく、徐々にその気持ちの温度を下げて行くだろうと予測した。


 一般に恋愛ホルモンと呼ばれるモノは、2~3年でその分泌を終えると言われている。

 不安定な情勢下にあったからこそ、苦痛と恐怖を駆逐するレベルでの脳内麻薬の分泌を促す一因となったのだろう恋愛ホルモンも、このゴールディロックス階層世界で安定した日々を送るうちに消えてゆくのが正常な推移。

 恋は冷め、自分以外の誰かがいつか彼女の隣りに立つだろう。

 この場にこの電脳(ナノマシン)がいる事から考えて、『金色の王』と言う虚構が明花を支える未来は潰えたのだろうけれど、それでも恐らく誰かが彼女の心を射止めることもあるはずだ。

 そしてその恋は、愛になり実を結ぶのかもしれない。

 彼女は誰かの妻になり子を成し、やがて老いて彼が目覚める頃にはもう存在しないのだろう……と、そう彼の理性は冷静に判断を下している。


 けれど、彼は彼女を信じる決断をした。

 きっと自分は夢の無い一瞬の……けれど現実には長い眠りの時を経て目を覚ましたならば、またあの可愛くも愛おしい少女に出会う事が出来るはず。

 白い髪に白い肌、黄褐色と青の目と言うゴールディロックス階層世界の中にあっても少し風変りな色彩を持つ彼女は、たった今の別れの時のままに瑞々しい肌をして、あの両の目に彼への純粋で真っ直ぐな好意を宿したまま、再会の日に現れる。


 もし万が一、億が一、目覚めた先が既に明花と言う少女の存在しない世界だとしても、彼女の人格が戻ることなくただ一度の再会も果たせないままこの溶液の中、精神的自傷で彼女の面影を記憶の中にさぐる行為を繰り返しながら朽ち果てていく絶望に比べるなら、遥かにまし(・・)と彼には思えた。

 だから例え彼女の言う


「待ってる」


 との約束が守られなかったとしても、それはそれ。

 諦めではなく、偽りも隠し事もない自分として彼女と向き合う未来の瞬間だけを夢見て、彼は溶液の中で笑みを湛え、静かに目を閉じた───







 ───それは彼にとってほんの一瞬の微睡(まどろみ)であり、その実100年を数える空白の時間。

 彼が再び目を開いた時、周囲には最後に目を閉じた時とほとんど変化は見られなかった。

 もともとは彼女……明花の人格を目覚めさせるために試行錯誤を行った研究室(ラボ)兼私室の物置として使っていた狭い空間。

 飾り気もなくただ四角いだけの室内に必要な機材だけを詰め込んだその場所と、現在の自分が置かれる状況を覚醒しきらぬ頭で彼が何とか認識した頃、部屋の扉が開かれ、隣室から一筋の明かりが差し込んで来た。

 自然光に限りなく近い白い陽射しが物語るのは、外界が現在まだ明るい時刻にあるということと、その光を背負って一人の人間が自分のいる治療用水槽(キュアポッド)へと近づいて来ていると言う事実だけ。


「ようやく目覚めたか」


 と、その男は彼に言った。

 同時に室内の照明が点灯し、いつの間にか下半分が摺りガラス状に加工がなされていた水槽の透明樹脂越しに、彼の目にも男の姿がはっきりと見えた。

 細身の長身、わずかに白髪が混じった黒髪とどことなし自分に似たその容姿に、遠く霞んだ記憶が蘇る。


「……ずいぶん()()()()姿()で現れたね」


 記憶にあるよりもその表情に幾分の尊大さが表れているようではあったが、それはかつて彼が地球に子供の姿で降りた時、自分の父親として銀色の電脳(ナノマシン)に操作させていた人形だった。


「たまに『金色の王』に入ることもあるが、最近は殆どこの姿だ。生体人形と違って劣化の補修も簡単だし丈夫だぞ。……うむ、喜べ。どうやら細胞の修復は完全に終了しているようだ。いま溶液を抜いてやろう」


 水槽の裏手に回って何やら操作していた男が彼にそう言うと、水槽内の溶液の水面が音もなく速やかに下降を始める。

 頭頂から頸部、肩を過ぎ胸から腹部へと水位が下がるにつれ、両の足にどれほどぶりにか重力が身体の重量を伝えて行くのが感じられた。

 浸かっていた溶液の特性上、筋力などに劣化は無い。

 若干ふらつきながらも自分の足で身体を支えた彼の周囲を覆う透明樹脂が、溶液の水位が0(ゼロ)になるのと同時、床面へと収納されて行った。

 取り巻く外気を胸に吸い込めば、気道や肺を満たしていた溶液が瞬間的に蒸散し、吸い込んだ空気と入れ替わる。


「こういう時は"シャバの空気はどうだ?"とでも言うべきか? 101年と5か月半ぶりの外界だな。……さっさと服でも身につけろ」


 押し付けるように寄越された下着と衣服を身に着けながら、彼は自分がこの水槽の中に結局100年以上の時を過ごしていた事を知った。

 101年と5か月半。

 彼女……鈴岡明花の人格と再会を果たしてからは、凡そ99年の時が経過している。


 彼は何の変哲もないコットン素材のパンツとクレリックシャツに袖を通し、ボタンを留めようとしたが上手く行かない。筋力は落ちていなくとも、さすがに100年を超える休眠で指先の神経が鈍っているようだった。


「……チッ。仕方のない……」


 舌打ちと表情の割には甲斐甲斐しく、そして意外と器用な指先で、かつて父親役をさせていた人形の中の電脳(ナノマシン)は、彼のシャツのボタンを留めて行く。

 やけに人間臭いその様子を観察しながら、彼は問いを発した。


おまえ(・・・)は、まだ使役型の電脳(ナノマシン)? それとももう、機人と呼んだ方がいいのかな?」

「まあ、境界線上ってところか。……ちなみに、今の私の名は"ジル"と言う。これはずいぶん前にマスター・明花によってつけられた名だ」

「明花に……」


 彼女は今、どうしているのか?

 口に出したいと思いながらも怖くて出せないその疑問を察しないわけは無いのに、ジルは物問いた気に自分を見る彼を追い立てるよう部屋の外へ向け背を押した。


「靴と靴下は隣りの部屋のベッド辺りにある。私に男に靴下やら靴やらを履かせてやる趣味はない。寝ぼけていないでさっさと穿け。……上で"彼女"に逢うと約束をしたのはお前だろうが」


 白い床と壁、丸い天窓。芝生の上に今は無人となった培養槽が鎮座する部屋に覚束ない足取りでよろめき入り、ベッドの端に腰かけて靴下を穿きながら、ノアはいまだ完全に覚醒しきっていない頭でジルの言葉の意味を探った。

 治療用水槽(キュアポッド)の溶液に長く浸かると、覚醒時に"寝ぼけ"と呼ばれる状態になる事が多い。

 100年もの間、意識もなく自分で自分の身体を動かしていないのだから、意識と身体が正常に戻るまで多少時間がかかるのも当然のこと。

 全裸の上に寝ぼけた自分を彼女に見せるのは嫌だと、再会はこの地下空間ではなく彼が『はじまりの地』と名付けた第100階層の草原で───そう自分自身が指定したのを思い出した。

 レースアップのショートブーツの紐をなんとか結んで立ち上がると、ジルはすでに背を向け部屋の外へ歩き出していた。


 もしも彼女がまだ生きていれば、もう120歳に近い年齢。

 最悪の状態だった彼女との再会前の試算では、あともう20年近くは余計に細胞の修復にかかる予定だったのだから、かなり早く目を覚ます事が出来てはいる。

 ……とは言え、普通の人間であればとうに人生を終えているだけの時間が経過してしまっていた。

 しかしジルの言葉からすれば、どうやら何がしかの者が"外"で彼を待っているようだ。


 重力制御式の昇降板に乗り本当の外界(・・・・・)へと向かいながら、彼を待つ誰かとは誰なのかをノアは考える。

 もちろんきっと、それは明花に違いない。

 だけど、もしかしたなら彼女の血を引く誰かであるのかもしれない。


 彼がいくら彼女が自分の幸せだけを考えて生きて欲しいと願ったとしても、明花のこと。

 自分が幼馴染を残して逝かざるを得ないとなれば、子孫を残し彼の元へ託そうとするなど、ありそうな話だった。

 それとももしかしたら、『はじまりの地』の見晴らしの良い緑の丘に待っているのは、明花の墓標であるのかもしれない……。


 ゴールディロックス階層世界地下から第100階層までを一気に昇るGに晒されながら、彼は自分を待つ可能性について考えた。


 例えば待っているのが年老いて車椅子に座った老女の明花であっても、それが彼女であるのなら、どれほど嬉しい事か。

 彼女がまだ生きていてくれているのならば、自分は彼女の最期を地球での最期同様看取る事が出来るだろう。

 その後は……そう、自分もきっともう時の流れに負けて老いて行くんだろう……と、彼は思った。

 それはそれで幸せだ。

 最後に見送れたと言う想い出を胸に、そう長くない時間で自分もまた逝けるだろう人生なら、辛くない。

 もしこの向うに待つのが彼女の残した血族であれば、その子やさらにその子供辺りまでを見守り、見送り……それからゆるゆると老い朽ちて行く人生もまた、寂しくはあっても幸せなものであるだろう。

 先に待つ物がもしも明花の墓標であったなら、日々そこに参りながら彼女が生きたゴールディロックス階層世界のこの先をほんの少しだけ見守って、自分もまた、彼女の墓標の隣りに墓を並べよう。


 自分の想定が後ろ向きな物に偏っている自覚が彼にはあった。

 それに対する自己分析は簡単だ。

 治療用水槽(キュアポッド)での長期休眠前に信じると言った未来があまりに幸せ過ぎて、それが叶わなかった時に受けるダメージが大き過ぎるからこそ、最悪を想定し少しでも自身の心を守りたいと言う至極当然の自己防衛の本能からだ。


 フワリと浮くような感覚と共に昇降板が停止した。

 同乗していたジルが外部で待機しているのだろうステルス端末と交信し、岩石に偽装されている出入り口付近に人目が無いことを確認すると


「今なら大丈夫そうだ。急いで出るがいい」


 と、ノアを外へと押し出した。





 彼が最後にこの場所を目にした時、ここは見晴らしの良い緑の丘で、羊にも見える白い岩と低木と広葉樹がところどころに突出した草原が裾野に広がり、その向こうには森を控えたなだらかな山並みと、山並みの隙間は遥か峻厳な高山が連なる景色が広がっていたはずだ。

 山を背に視界を転じれば、切り立った断崖の下から輝く広大な海原。

 ジルに案内されて明花が初めて『はじまりの地』を見たのと彼の把握しているのはほぼ同じ風景だったのだが、どうにもその時とは様子が違う。


 いや、違うと言っても見晴るかす山並みや海原は変わらないし、変わりようもない。

 第99階層とこの『はじまりの地』を結ぶ昇降機出入り口は、相も変わらず小高い丘の上から動いてはいないのだが……。


 ───人がいた。

 一人二人ではなく、何人もの人間がせわしなく行き来する姿が、丘の上のあちらこちらに見えている。

 良く見れば、かつては動物の通り道程度しか無かった筈の緑の丘の上に、白いリボンのような道がうねるように作られていた。


「……これは」


 思わず口をついた驚きの声を聞きつけ、ジルが言う。


「今から72年前だな。明花の率いる冒険者パーティー『方舟(アーク)』が、第99階層に到達した。お前は覚えているか? あの階層のボスのロック鳥を、お前は"表のボス"と呼んでいただろう?」


 第99階層高高度エリアの難敵。

 巨大な白い怪鳥ロックの討伐は、エリアの低温度低酸素と言う環境に加え、戦闘行為が可能な足場が限られた領域であることも相まって、困難を極めた。

 超Sランク冒険者パーティー『方舟(アーク)』を中心とした上級パーティーでのレイド戦が実行されたのは、第99階層への初到達から5年も後のことだったのだ……と、ジルはノアに語った。


「あれは難敵だったからな、この『はじまりの地』が開放されたのは今から67年前の話だ。上級冒険者達が周辺を探索しつつ危険度の高い動物や植物を少しずつ駆逐して、下層階からの移民がぼつぼつ始まって……そろそろ60年近く経つか。『はじまりの地』開放から50年、それがお前の設けた終わりの始まりの開始期限だったろう?」


 この世界の創生のコンセプト作成から彼を手伝って来た相棒(ナノマシン)に言われ、ノアはようやく思い出した。

 『ゴールディロックス階層世界』は方舟(タイプ)の創生文明だ。

 綿毛に乗せて種を飛ばすタンポポのように、もともとは宇宙艦であった地下部分の階層から人間を惑星上へと広げ、この地に文明を根づかせるよう設計されている。

 危険が少なく居心地の良い下層階にいつまでも人が居つかぬよう、彼は『はじまりの地』が開放されて50年と言う猶予期間ののち、徐々に地下階層へのエネルギー供給を打ち切ってゆくよう設定を設けていたのだ。


「外は怖いと地下に居座ろうとしてた人間どもも、さすがに動力も資源も枯れて来るとなれば慌てて移住をし始めた。……昨今がそのピークと言うところだ」

「そうか。……だから」


 浮遊荷台(フロートキャリア)に荷物を積んで、小型の騎獣にそれらを引かせた人々が昇降機出入り口、すっかり草が刈られて平に均された広場に何台も集まっていた。

 これから彼らは隊列を組んで、丘を下って海の近くに切り開かれた集落へと向かうのだと、ジルが言う。


「いくつか小さな町が河と海の近くに出来ているのだ。……当初はな、この丘の上に街を作ると言う計画もあった。だが明花はそれに強硬に反対を唱えていた。結局、山の方からたまにワイバーンが来ると分かると、拓けた小高い丘に街をつくるなど危険だとここの開拓話は立ち消えたがな」


 その当時の事でも思い出しているのか、ジルは現在(いま)ではない何かを見る目でぐるりを見回し小さく笑った。


「アレはお前との待ち合わせ場所を荒らされるのは嫌だと言っていた。だがまあ、ここを手つかずに残すのは場所柄もあって無理な話だと諦め、結局一部を公園にすることでアレも合意したのだ」


 ジルが身振りで指し示す方に目を向けると、切り立った断崖になっている海に面した丘の外れには落下防止に小奇麗な柵が張り巡らされ、小さな東屋やベンチ、手入れの行き届いた花壇がぽつぽつと置かれているのが見えた。

 花壇の横にある大きな石碑は、この丘がこの惑星の人類にとっての『はじまりの地』であることを刻んだ記念碑なのだと言う。


「ほら、お前の待ち合わせの相手が、あの四阿にいるぞ。私はそっちに出てる屋台で飲み物でも買って行ってやるから、さあ、行け」


 そんな言葉と共に軽く背を押され、彼は一番近い四阿に向けて歩き始めた。


 "四阿"と言うよりは"ガセボ"との表記の方がふさわしいだろう西洋風のその場所に、こちらに横顔を向け腰を下ろし、髪を整えているらしい小柄な女性の人影が見えている。

 明るい陽射しを遮る四阿の中の人影は、彼がそちらに歩きはじめて程なくこちらに気づいたらしく、肩にかかる長さの髪を揺らして立ち上がった。


 四阿の外へと飛び出して来た少女の髪の色は黒。

 それを確認した瞬間に、彼の身体から力が抜けた。

 強張った肩と腕、掌に食い込んだ自分自身の爪の痕が痛んで初めて、彼はどれほど自分がこの場に至るまで緊張をしていたのかを自覚する。


「明花……」


 口中に小さく呟いたその名の少女は、恐らくもうこの世界には存在しないのだと、彼は思った。

 四阿から日差しの下に飛び出して来た少女は、恐ろしいほど彼女に似ていた。

 黒褐色の髪に真っ白い肌、それに左右の目は鳶色をしている。色彩の相違の他の顔立ちと体型は、彼が最後に見た彼女との違いが見つけられない。

 色彩だけが違っている。

 それ以外はまるで、あの瞬間に時を止めたままのような姿をしていた。


 だがしかし、それはあり得ない。

 時を止めて常命の殻を破るにしても、普通であればもう少し時間がかかって然るべきで、もし彼女が今も生きているとしても全くあの時のままだとは彼も想定していない。

 現実に願望が混ざり込み錯覚を起こしそうになる自分を何とか律し、ノアは目の前の少女は明花にごく近い血縁であるのだろうと結論づけた。

 ───だが


「ノア、君……」


 彼を呼ぶ声もまた、最後に聞いたままの彼女の声。

 まさか……と思いながら、彼は彼女の名を呼んだ。


「明……花……?」


 微かに首を傾げて自分(・・)の名を呼ぶ幼馴染を見上げる少女の頬が、見るまに赤く染まって行った。


「…………うっ」

「…………う?」

「ぅううう~……どうしよう! う、動いてるノア君……超絶、嬉しい……!」


 更に傾ぐ彼の顔を凝視する彼女の両の目が、涙で揺らぐ。"老い"のおの字も見えない瑞々しい少女手が、赤く染まった彼女自身の頬と口許を覆うのを茫然と眼下に収める彼の耳に、抑えに抑えた少女の奇声混じりの呟きが飛び込んだ。


「……明花なのか?」


 両目を見開きもう一度、彼は彼女の名を呼んだ。


「そうだよ、明花だよ……ノア君!」


 そんな馬鹿な。

 まさか、ありえない……。

 理性の部分が否定な言葉を脳内にいくら吐き出したとしても、目の前の動いて喋るこの顔とこの姿はどう見てもどう考えても"彼女"以外の何物でもなく


「髪……と、目の色は……?」


 初見で彼女を見誤った原因を問えば


「白い髪は目立っちゃうから、変装。目はジルに貰ったコンタクトレンズでね、髪は染めたの。ちょっと地球の頃の私っぽくしようと思って。……変、かな?」


 と、彼女は不安そうに彼を見上げる。


「ううん。明花は何色をしても、可愛いから……」


 もしも肌が紫色だとしても、顔が迷彩柄であったとしても、明花が明花として存在してくれているならばただそれだけで幸せだと彼は笑い、彼女もまた、彼が彼であるならば、緑色でもブチュブチュのヌルヌルでも幸せだと泣きながら笑った。


「ノア君……大好き。……付き合ってください!」


 と、涙目で耳まで赤く染めながら明花が言った。


「僕も、明花が好きだ。ずっと傍にいて……明花」


 と、彼が言った。

 そして二人の為に飲み物を持って来た機人なりかけの電脳(ナノマシン)は、それを聞いて


「……そこからか」


 と、呆れた。





 方舟型創生文明『ゴールディロックス』は、ただ


「キミが好き」


 と言うそれだけで造られた世界。

 馬鹿馬鹿しくも永い時が過ぎた後の世に語られてみれば、実に神話らしい、そんな創生と創造のお話───

 


 

 




後日、その後とか番外的何かなど更新の予定。

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