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もぐもぐキューカンバー008

正午を過ぎても、服はまだ少し湿っていた。そのままじゃ風邪を引くだろうと、訝屋が案内するがままに彼の根城へと招かれる事になった。


離れていくにも拘わらず、川のせせらぎがじっとりと耳に張り付くように残った気がした。土足で思考に立ち入ってくる。身勝手で、目を背けることを許さないみたいに。


河童。

亡くなったはずの幼なじみ。

引き込まれた二十人余人。


現実感なんて何一つ無かった。


「ほら、着いたよ」


訝屋の声で顔を上げる。そこにあったのは、古びた公民館だった。入口の脇には、『逢住公民館』と書かれた縦看板。虫に食われていて、年季を感じざるおえなかった。


「ここだ」

「……」


どう見ても廃墟。


「ここって、大丈夫なんですか?」


「あぁ、大丈夫だよ。電気もガスも上下水道も使える。とりあえず2人はシャワーを浴びてくるといい。俺はその間に軽い準備をしておくから」


訝屋はなんの躊躇いもなく正面の玄関を開け、僕らを招き入れた。盗人猛々しいとは、少し違うのかもしれないけれど、不法侵入を共犯させるにはあまりにも態度が軽かった。


「乾燥機は無いから、洗濯機回したら適当に干しといて。あぁ、さすがに外干しは流石にバレるから、日当たりのいいとこにでも。あと、脱衣所に買ったばっかのダクついてる置いてるから、遠慮せずに使ってくれていいよ」


皿谷ちゃんを先にシャワー室に向かわせ、小心者の僕は不法侵入の刑罰だけ検索する。最悪3年以下の拘束刑または10万以下の罰金だそうだ。前科持ちになるのは勘弁願いたい。


「……先に使わせてもらって、すみません」


少女の頭から湯気が立つ。サイズが合っていないスウェットは肩口がずり落ちて、何度も引き上げてはまた落としている。成人男性用の短パンを履いているのだろうけれど、スウェットの下から膝丈までぶかぶかのそれが見えた。


「寒気とか、身体がだるかったりはしない?」


ケツを浮かせて、川に流されてくる。どれだけの時間水に浸かっていたのか、風邪でも引くんじゃないか、そういう心配があった。


「今は、なんともないみたいです。心配してくれて……その、ありがとう」


「それなら、良かった」


その華奢な外見に見合わず、案外少女はタフなのかもしれない。


皿谷ちゃんと入れ替わりで熱いシャワーを浴びる。生き返った。夏日らしいが、まだまだ寒暖差が激しい、気を抜いてしまえば僕の方が風邪をひいてしまう。山中の田舎町は、よく冷える。


訝屋の言っていた着替えは確かに脱衣所にあった。ビニール袋に乱雑に入れられたまま。タグがつきっぱなしの衣類、封すら空いてない下着類。


それらが、まだ10セット近くある。こんな買い方をする人間が居るんだろうか。


「上がりました、お待たせしてすみません」

「待ちくたびれたよアリクイ君。ほら、こんなに首が長くなっちゃった」


シャワー室から上がれば、大広間で皿谷ちゃんが座っている。湯気で湿らせた前髪、鳥肌はもう立っていなかった。


袖の余ったスウェットを握り込みながら、遠慮がちにカップ麺を啜っている。一口食べては小さく息を吐く。どうやら熱いらしい。


訝屋はホワイトボードになにやら書き殴っている。畳の隅にはコンビニ袋と、読みかけの週刊誌。衣類の塊。古い畳の匂いがする。


「あの着替えって、訝屋さんだけのですよね?」


「依でいいって。面白いことを言うね。俺の後ろに女でも見えてるのかな? 急に何を言い出すんだよ」


「いや、新品をああも買いだめしてるのって、こう。珍しいと」


「お、探偵気取りかい?」

「そんなんじゃないですよ、ちょっと気になっただけです」


どっぷりと椅子に腰をかけたまま、彼はゆっくりとこちらを見る。


「……まぁ、いいやそういうことにしといてやるよ。特段理由なんてないんだけどね。ただ荷物を減らし、現地で調達できるものをわざわざ持ち歩きたくないだけだよ」


「……お金結構かかりそうですけど」


「でもそのお陰で2人とも風邪引かずに済むんだ、礼があってもいいんだぜ」


「……ありがとうございます」

皿谷はカップ麺を置いて慌てて頭を下げた。


「案の定、君ぶっかぶかだけどね。まぁ夕方には乾くだろうし、それまでは辛抱して」


「助かりました、お金払いますよ。新品でしたし」

新品特有の匂いがする。ジーンズは少しだけ硬かった。


「金は困ってないから、そういうのは間に合ってる。行く先々でやってるルーティンみたいなもんだから、アリクイ君が気にすることじゃない」


「そう、ですか……わかりました。ありがとうございます」

「それと、行く先々ってことは、放浪者なんですか?」


「実際似たようなもんだよ。ただそこまで自由はしてないんだけどね。これでも仕事で動いてる」


「仕事?」

「サラリーマンだよ、ごくごく普通の」

「嘘でしょ」

「失礼だなぁ」


「本当は、何者なんですか」

「えー聞いちゃう?」

「勿体ぶらないでくださいよ」


怪異蒐集家、それだけは聞いている。いや、それしか聞いていなかった。それが何を指すのか、僕はまだ何も話してもらえていない。


「そうだなぁ」


訝屋は少し考えるように天井を見上げた。


「肩書きだけなら、簡単なんだよ。怪異蒐集家ってやつさ」


「それは聞きました」

「じゃぁ、そういうこと」


「そうじゃなくて、一体それは何をする人なんですか。あなたは何者なんですか」


「十分じゃないか、魚屋さんが魚を売るように。八百屋が野菜を売るように、怪異蒐集家は怪異を収集するんだよ。そういうお仕事さ」


「仕事ですか」

「そうだよ、怖い上司もいる」


「じゃぁ、その怪異ってのは一体なんなんです?」

「怪異は、今日少年だって見ただろ」


「河童ですか」

「そ、そういうよく分からない奴らの総称」


「よく分からないです」

「わかるように話してないからね」


「……信じろって言うほうが難しいですよ」

「別に信じろだなんて一言も言ってない。勝手に聞いてきたんだろ、結構君は身勝手だな」


訝屋はホワイトボードを指で叩く。


「まぁいい。怪異や俺みたいなオジサンが何なのか、なんてのはこの際どうだっていい。大事なのはそこじゃない」


乱雑だった事情が一つ一つホワイトボードに整理されていく。河童、皿谷潜、引き込み、記憶喪失。

その中で、皿谷ちゃんだけはずっと自分の名前を見ていた。


「俺は、有り体に言ってしまえば、河童を退治しに来た駆除業者だと思ってくれたらいい。今はそういう認識で間違いない。だから、君の幼なじみちゃんを在るべき形に返す、そしてこの事件を終結させるのが今のタスクだ」


「で、アリクイ君はどうしたい?」


「……僕は、とにかく皿谷ちゃんの記憶をどうにかしてあげて、お家に返す。もしくは……親を拒絶するような、なみなみならない家庭事情があるなら、それも含めて知ってどうにかしてあげたい、そう思ってます」


「救ってあげたい、と。殊勝な心掛けだね。他人を助けてあげたいなんて、到底そんな高尚な思想は持てないよ。それで、当の本人はどうなんだい? 皿谷ちゃん。アリクイ君はこういってるけど」


「私は……分かりません。迷惑かけるくらいなら、今のままでもいいんです。河童の方が危なしいそっちの解決が先なんじゃないでしょうか」


「河童の話はしてないだろ」


訝屋は即答した。


「俺が聞いてるのは君の話。皿谷潜がどうしたいかだ」


「…………私は、このまま何も思い出せなくても大丈夫です。────でも、忘れてる事にはきっと大切なこともあって。もし記憶が戻るなら、戻って欲しいって思ってます」


「なるほどね、あんまり確証は無いけれど、状況からして皿谷ちゃんのソレは少なからず関係してることは間違いなさそうだよね、だったら」


「俺達の利害は、この河童の件の真相を暴き、解決する。その方向性で一致する。だから協力しようぜ、お二人さん。」


「……わかりました」と皿谷。

「そんな事……言われなくたって」と僕は返す。


「言葉にしてしまうのが大事なんだよ。言いそびれは、致命傷になり得るからね」


思わせぶりな口調でそう語る。訝屋の言ってることには、確かに心当たりがあった。


「じゃ、何をどうするっていう話なんだけど。現状の問題は2つ。“黒い手”もとい、河童、もとい幼なじみちゃん。沢山の人を引き込もうとしている彼女。それと、記憶喪失になった皿谷ちゃんだ」


ペン先でホワイトボードを叩きながら、彼は続ける。


「河童もわかる、それが川へ引き込んでいる。でも、河童で記憶喪失が絡むなんて俺は聞いたことがない。毛色が違うって言ったらわかってもらえるかな、まぁ、何かしらそっちも曰く付きかもしれない」


「かもしれない……ですか?」

「そ、かもって感じ。無関係とは思わないし、それでも関係してるとなるとその筋がはっきりしない」


「別に君たちを危ない事に巻き込もうって気は無いんだ。あの“黒い手”については俺の方で対処を考えて、準備する。だから、君達は皿谷ちゃんの記憶の方だね」


「ふたりで、皿谷潜を見つけてほしい。今一番噛み合ってないんだ」


「……本人がここにいますけど」


「そうじゃない」


訝屋は首を振る。


「皿谷潜っていう人間を探してこい」


意味が分からなかった。


「本人が覚えてなくても、周りは覚えてる。本人が忘れても、残るものはある。痕跡を残さずに生きるなんて、できっこないんだよ」


そこまで言われて、ようやく意図が見えた。記憶を探せと言っているんじゃない。


「だから探して、拾っておいで」


訝屋はホワイトボードの『皿谷潜』を二度叩いた。


「この子が、どんな奴だったのかを」

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