もぐもぐキューカンバー007
「キュー……カンバー……?」
そう呟いたのは皿谷だった。聞き慣れない言葉だったのだろう。小さく首を傾げている。
「キューカンバー。英語でキュウリだよ、皿谷ちゃんは知らないかな? 今は義務教育でも習うはずだけど」
「それは、何となく分かりますけど」
「じゃあ話は早い」
早くない。全く早くない。
隣を見る。皿谷は相変わらず小さく首を傾げたままだった。さっきまで少しだけ柔らかくなっていた表情が、今度は純粋な困惑に塗り変わっている。
「つまりキュウリ釣りですか?」
僕は訝屋に問う、自分でも何を言っているのかよく分からなかった。
「違う違う。キュウリで釣るんだよ。きゅうりは餌、そこに残弾があるだろ。コンビニで三本イチキュッパ、田舎は直売コーナーがあるから素晴らしいね」
「安いんですか?」
皿谷がぽつりと聞く。
「安いよ」
「へぇ……」
「食べる?」
「えっと。じゃぁ、頂きます。」
与えられたまるまる1本のキュウリを皿谷潜は不思議そうに、小さく齧り付く。味付けもされてないプレーンキュウリなんて、美味しいものでも無いだろうに。
「変なもの与えないでください」
「なんだいその言い草は、丹精込めて作られた山田さんちのキュウリなんだよ」
「誰なんですか、その山田さんって」
「パッケージに書いてあるだろ。たぶんその気の良さそうなおばぁちゃんだよ」
カリッ、ポリッと水々破裂音。皿谷ちゃんはその小さな口で齧りながら、くだらない僕たちの会話を妙に真面目な面持ちで聞いていた。
「で、一体何を釣るつもりだったんですか。」
「当ててみなよ」
「……魚、ですか?」
「鮎とかだったら、美味しいく食べれたのにね」
「……じゃぁ、違うんですね」
「違う」
「だったら、鳥ですか」
「まぁ、その発想は悪くない。けど、だったら川に垂らしとく必要なんてないだろ」
「そらなら、一体なにが釣れるっていうんですか」
訝屋は余ったきゅうりを指で弾く。
「河童だよ」
「河童、ですか?」
聞き返す、何か聞き間違えたのだと、そう思った。
「そう、河童」
冗談を言うあの顔を期待した、それでも訝屋の顔つきは違った。真顔。信じられるわけもないその“河童”の二文字を、眉一つ動かさずに淡々と言う。
その温度の低さは、到底与太話じゃ無かった。
「急に、なんですか。……河童って。」
繰り返す。頭に皿があり、手には水かきを持つ、亀の甲羅を担いだ、緑色の肌をした、河童。
小学生でも知っているような、そんな昔話の存在。
「河童は、河童だよ。それともなんだい。俺がまた冗談を言っているように見えるのかな」
「……それは。いや、そもそもそんな物が存在するわけないじゃないですか。妖怪なんて、それこそ古い怪談、昔話の世界の話ですよ」
予想通りで退屈だ、そう憂いたげな表情をみせる。
「面白いほど普通の反応だ、面白みがなくて飽き飽きする。信じるも信じないも、それは好きにしたらいい。アリクイ君の自由だ。人間見てない物は信じない、見たものを信じる。───或いは、見えないから信じるし、見えていても信じられない事だってある」
「……何が言いたいんですか。」
「そうだろうね。じゃわかるように話してあげようじゃないか。俺は親切なんだ」
「はぁ。」
「そもそも、アリクイ君。河童ってなんだと思う?」
「何って……」
急に聞かれて即答できるほど、深く考えた事なんて無かった。一つ一つ、その特徴を思い出し考える。
「川、に住んでるイメージがありますよね」
「そうだね」
「人型、二足歩行で」
「そうそう」
「頭に皿を乗せてる、乾いたらダメだとか割れたらダメだとか」
「典型的な部分だね」
「亀の甲羅を背負ってる」
「なるほどなるほど」
「もっと詰めてみようか。顔はどんなものを思い浮かべる?」
「そりゃぁ、妖怪ですから。全身的には緑色で、こうギョロっとしていて、口も大きくて。嘴ってあったんですっけ?」
訝屋は満足そうに頷いた。
「まぁここらが及第点だろう、じゃぁ次」
まだあるのか。
「おいおい、そんな顔すんなよ。ちゃんと後でわかるから、そう焦るなよ。ほら皿谷ちゃんも一緒に考えて」
「はぁ……」
「先ずは、皿かな、なんで皿だと思う? ほらアリクイ君考えて」
「いや、知りませんよ。なんでって、そういう物じゃないんですか」
「面白くない答えをするねぇ。皿谷ちゃんはどうかな、何か心当たりはあるかい?」
突然振られた皿谷は、その小さな口に頬張っていたキュウリを慌てて飲み込んで、一呼吸。
「えっと……水を入れるため、ですか」
「いいねぇ、柔軟で想像力がある。面白みがある答えだ。そういうのは好きだよ」
訝屋は嬉しそうに膝を指で叩く。
「でも、違う。残念」
「違うんですか」
「まぁ、頭の上に水を乗せとく必要がある。なんて、生物として欠陥品もいい所だろ」
「じゃ、次」
「答えは教えてくれないんですか」
「だから、焦るなって。アリクイ君、早漏はモテないぜ」
「……」
「次は、身体が緑なところかな」
「きゅうりの食べすぎとかでしょうか」
「そいつは傑作だ、君は小学校からやり直した方がいい。違うよ」
奇を衒ってみてもダメらしい。そう言えば昔、葉緑体が全身にあって、光合成をするため、みたいなそんな妄想をしたことがあった気がする。
「じゃぁ、ギョロ目は」「じゃぁ、亀の甲羅は」「じゃぁ、水かきは」「じゃぁ、川辺に住んでるのは」
「何故」
「違う」「違う」「違う」「違う」
訝屋の質問の応酬に、幾度となく間違いを突き付けられ、その度にスッキリしない違和感だけが積み上がっていく。
「……じゃぁ、一体なんなんですか」
この茶番に少しだけ苛立っていた。
「作り話なんだから、根拠なんてあるわけないでしょ」
「若いねぇ。アリクイ君。違うんだよ。その河童ってのは結果論なんだ、結果には必ず原因が伴う。作り話だって、ここまで全国的に語り継がれるには訳がある」
「ふたりが考えてくれたように、皿は本質じゃない。だったら先ずはこれを取る」
「甲羅も違う、これを取る」
「緑色を取る」
「ギョロ目も、水掻きも、」
「そうやって本質じゃないものは全部取ってしまう。────そうすれば、段々と見えてきたんじゃないかな。そこには、何が残ってる?」
「……人型ですか」
「そういうこと」
訝屋は満足気に頷く。
「川辺に居る、人型」
「それが原型だ。河童なんて偶像が出来上がってしまうよりもっと前の話さ」
彼は川の方へ視線を向けた。まるで何かが見えてるみたいに、確かに捉えているみたいに。
「治水なんて技術が今よりずっと浅かった大昔の話をしよう。堤防なんてなかった、だから川ってのは今よりもっと自然に近くて、つまり人間じゃどうにもならない物に近かった」
「……それが、どうだって言いたいんですか」
「それでも、今よりずっと川は身近だった。直接的な生活の要だったし、遊び場でもあった。そういうのもあって水難事故ってのは今の比じゃ無かったんだろう」
「……何が」
「わかるだろ、君は見てきてるはずだ」
嫌な予感がした。訝屋が何を言おうとしているのか。分からない訳じゃなかった。ただ、それを聞きたくなかった。
「頭の皿、なんて最初に言った人間は、皿谷ちゃんみたいに感性が豊かだったんだろうね。頭蓋が欠けただけなのに」
「緑の皮膚、これは見たまんまだったんだろうね。流れ着いたソレが変色しきって変わり果てた。それだけの事だったんだろう」
「水掻き、ギョロ目。そりゃぁ、膨らむし目だってちゃんとハマってる方が不思議だろう。それだけの力が川にはあるんだから」
「亀の甲羅を背負う、なんて笑っちまうよね。亀の方からそこに来ただけなんだろう。それくらいに長い時間微動だにしない、それくらいに気配がない」
「アリクイ君は、見覚えがあるんじゃないかな。こういう、人が変わったみたいに、“別人に見えてしまう”事象に」
「……もういい」
「……もう、十分です」
頭の整理が付かない。それでも、出てきたそれらは勝手に繋がっていく。見たくもない結論が、丁寧にお膳立てされていて。逃げ場なんてもう無かった。
「じゃあ、彼女は」
喉が張り付く。
「河童になったって、ことですか」
訝屋を睨む。目線がぶつかる、それでも彼の目は少しだけ優しかった。
「少なくとも安らかに逝って無い。それは確かだ」
「アリクイ君の話を聞く限りで言ってしまうなら、そういう手を引いてくれる奴、だったんだろ?」
「……えぇ」
「しかも、余っ程、彼女は元気らしい。」
訝屋は苦く笑った。
「困ったことにね」
「20人以上だよ。この数字がなんだかわかるかい?」
「それは……」
「この1年で、川に引き込まれた人間の数だよ。全員近い年齢で、此処で。そして辿っていけば、全て君の幼なじみへと繋がっていた。全員生前彼女と親しかった子らだ」
訝屋は皿谷 潜の方を見る。溺れ、記憶喪失となった彼女。
「全員未遂だったけどね、誰も死んじゃいない。それでもきっと、それは時間の問題だ」
「皿谷ちゃんもその被害者だと」
「状況からみるに、無関係とは考えにくいと思うよ。」
皿谷は、食べかけのキュウリを握ったまま固まっていた。
例えば幼なじみが、この川に住む化け物に成り果てていたとして。
それでも。誰かの手を引くような奴だった。良くも悪くも。放っておけば勝手に人を巻き込む。そういう奴だった。
そのせいで今、一人の少女が困っている。
放っておけるわけがなかった。




