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もぐもぐキューカンバー009

皿谷潜の痕跡を探すべく、公民館を後にする。初夏の陽気は心地良かった。


隣を歩く皿谷ちゃんは、何度か後ろを振り返っていた。何かを気にするみたいに、気になって後ろを振り返ってみるけれど何も見当たらなかった。


「なぁ皿谷ちゃん。何か、気にしてる?」

「いやぁ……、その。着いてきてないかなって」


「誰が?」

「訝屋さんですよ」

「こっちは僕ら2人に任せたって言ってたけど」

「それは、そうなんですけど」


少しだけ考えるように首を傾げ、それでもすぐに前を向く。どうやら、なにかを納得したように見えた。


「そうですよね」


そう言って少女はひとつ伸びをする。少し肩の力が抜けていく。


「訝屋さんが、どうかした?」

「……」


少女はごにょごにょと口篭る。なにか言いたそうに、そうやって数歩隣で進んだかと思えば、小さな声で耳打ちするように。


「怖いんですよ。あの人」


怖い、そう皿谷潜は言った。跳ねる肩、か細い声、独特の距離感。確かに、そう考えてしまえば彼女の先程までの態度にも納得がいった。


「見透かされてる気がするんですよね。ちょっと気味が悪いくらい。何考えててもお見通しだぞ、って言いたげというか」


「それは、何となくわかるかも」


「目つきだって、別に睨んでる訳じゃないのに、品定めするみたいな、試されてるみたいな気分になるんですよ」


考えてることも、その理由も、その奥にある感情も。全部見透かして知ったような顔をする。それでいて肝心なことは言わない。訝屋依という男はそういう人間だった。


「あれは蛇ですね。毒牙を持ってる」

「蛇?」

「そして私はさしずめ、ひ弱な蛙です」


蛇に睨まれた蛙か。

実際のところ訝屋さんは何もしてないない。何もしないくせに、こっちだけが勝手に居心地を悪くする。


「宿題を忘れて、しらばっくれてる時みたいな。そういう怖さがありますね」

「それは少し分かりやすいかも」

「アリクイさん、成績悪そうですしね」

「おっと、急な悪口」


「ごめんなさい、冗談ですよ。でも、だから、さっきまで上手く喋れなかったんです。二人になって、ちょっと安心しました」


さっきまで力んで固く結んでいた口元は、確かに綻んでいた。


「僕は、怖くない?」

「実はちょっとだけ怖かったですよ」

「だと思った」


初対面で、男で、歳上である。そう見てしまえば訝屋と何ら変わりはしない。記憶もなく、ただ溺れていたことだけを知ってる。だとすれば、警戒する事は自然だった。


「でも、幼なじみさんの話とか、訝屋さんと河童の話とかしてるとこ見てて、あんまり悪い人には見えないなって。私の為に、見たくなかった事を正面から見ようとしてくれましたし」


「かっこ悪かっただろ」


あの時少女は優しく背中をさすってくれた。優しい子だった。


「カッコ悪いと卑下されるのは自由です。それでも、私は少し嬉しかったんですよ。だから、こうやってペラペラ喋れますし」


「もう怖くない、と」

「それは、どうでしょうね」

「どっちなんだ」

「ハーフハーフです」


「あと半分か。僕は次、いったい何に向き合えば良いんだろうな」

「そんなの決まってるじゃないですか。私と向き合ってくださいよ」


「それもそうか」

「そうです。今の私達は皿谷潜探検隊なんですから」

「隊員二人しかいないけど」

「精鋭です」

「どの辺が」

「皿谷潜本人が居ます」


してやったりと少女は鼻を鳴らす。


「でも、何も覚えてないんだろ?」

「えぇ全く。どんな人間だったのか、検討も着きません」


少女はまた少しだけ、笑ってみせる。それは強がりにも見えた。


「私は、何を見て、何を感じて、何になりたかったんでしょうね」


答えに困った。何になりたいか、中学生相手なら教師みたいな答えはいくらでも言える。


医者だとか。漫画家だとか。宇宙飛行士だとか。壮大な夢を持って好きに進んでいいとか。


でも皿谷ちゃんが聞いているのは、そういう話じゃない。記憶を失う前の皿谷潜が、何を望んでいたのか。それを知っている人間は、この場に一人も居なかった。


「だから、探すんだろ」

「それもそうですね」


雑談を続けながら、似たようなスウェットはふたつ並んで歩いていく。道端の花や、変わった形の電柱、錆び始めた自販機、何の変哲もない所でも少女が少しでも興味を示せば立ち止まり、探していく。


「ねぇ、アリクイさん。お地蔵さんですよ」


そうやって少女は何度目か分からない寄り道に足を止める。野ざらしで肩に苔がむした小さな石像、誰がいつ供えたかも分からない、ワンカップのお酒。


「道祖神って言うのかもしれませんけど」

「よく知ってるな」


「それくらいは、知ってますよ」

失礼ですね、と唇を尖らせる。


「ここに在るのって、アリクイさんは知ってたんですか?」

「……いや、おかしな話かもしれないけど、見知った街なのに普段通らない道だから、初めて見かけたよ」

「罰当たりですね」

「そうかもな」


石像の前に屈む。今の今までのうのうとこの街で健康に過ごさせてもらった事に対して、よし一つお礼でもしとくべきだろうと手を合わせれば、皿谷潜は慌てたように僕の手を遮り降ろさせた。


「なんかダメだった?」

「気持ちは分かりますけど、こういった物は拝んではいけないらしいですよ」

「そうなの? そりゃいったいなんで」

「良くないものを封じているだとか、ぼんやりそんな感じだったと思います」

「皿谷ちゃんは、物知りだね」

「たまたま知ってただけですよ」


「でも」


皿谷ちゃんは、石像の前にしゃがみこむ。頭に乗った葉っぱを、肩に積もった土埃をなれない手つきで、パタパタとはたいて落とす。


「私は、誰に教えてもらったんでしょうね」


「……」


「道祖神だとか。こういったものは拝んじゃいけないとか、街の境界を守ってくれてる物だとか。そういう知識だけ、私に残ってるんですよ」


石像の身体の欠けを撫でる。


「でも、誰に聞いたのか全然思い出せないんです」

「学校で、授業や教科書から得たのかもしれない」

「家で、親から教えてもらった事なのかも」

「もしかしたら、好きだった本とか、そういうものから知ったとか」


ぽつり、ぽつりと、続ける。


「変な感じですね、記憶喪失って。解き方が分からないのに、答えだけは知ってるみたいな。今思ってる感情もきっと何かの経験が元にあるはずなのに、それは分からない」


そう言って少女は困ったように苦笑する。


「私は私なのに、ちょっと他人事みたいなんです。なんか、不思議ですよね」


なんと声を掛けていいのか、僕には分からなかった。自分自身が何者なのか分からない、手掛かりもない。心細いなんてものじゃないだろう。簡単な慰めなんて、到底出来るわけがなかった。


「もしかしたら、この道祖神みたいに、誰からも忘れられてしまってるかも。なんて、ちょっとおセンチになっちゃいます」


「……それは、そんな事ないだろ」


「そう思いますか?」


「だって、皿谷潜は実在してるんだから。だったら家族とか、友達とか、学校の先生だったり。誰かは必ず憶えてるし、きっと探してる。皿谷ちゃんの帰りを待ってる。」


「そうだと、いいんですけどね」


「……そうだよ」


「でも、コレみたいだなって。思っちゃうんですよ。人と物は違う事は理解できるのに、それでも」


少女は道祖神を指さした。


「きっとコレだって、昔は忘れられちゃいけない大切な物だったと思います。石像なんて簡単に作れるものでもありませんから」


確かに。街の境界だとか、旅人の安全だとか。そういう理由で置かれたのだろう。必要とされ、有難がられ。


だけど今は、住民にすらその名前すら知られていない。名も無き道祖神。


「でも、忘れられてしまった。記憶が薄れるって、そういうことなんじゃ無いかなって。そう思うんですよ」


「……でも」

「でも?」


「このお酒は供えられた」


少女が視線を落とす。ワンカップの蓋はまだ新しく光沢があった。昨日今日に置かれたものだろう。


「誰かは、憶えてる」

「……そう、かもしれませんね」


「この道祖神が何なのか知らなくても。誰かにとっては、今も大事なんだよ」


草が擦れる音だけが少しだけ続いた。

皿谷ちゃんは石像の顔を見上げる。

欠けた鼻。薄れた目元。

ご利益なんて無さそうな程みすぼらしくなって、なお。それでも、誰かが酒を置く。


「……負けました」

「何に?」


「おセンチな私です」


そう言って少女は笑った。少しだけ悔しそうにも見えた。


「たしかに、私が思ってるよりずっと大事にされてるのかもしれません」

「だろ」

「この石像よりは、きっと大事にされてると思います」

「比較対象がおかしいんだよ」

「だって、ほら」


石像を指差す。


「この子、喋れないじゃないですか」

「まぁな」

「私は喋れますし」


胸を張る。小動物の威嚇みたいに、少しも大きく見えないその体躯。


「それなりに愛嬌だってあります」

「自分で言うんだ」

「言いますとも。過度な謙遜は他人を害します」


少女はそう言い切った。


「こうやって、アリクイさんが見ず知らずの私に親身になってくれてるのも。きっと、ちょっとくらい私の事が好きになってるからだと思ってます」


「おいおい」


「違うんですか?」


その厚かましさが少し面白くてついつい笑ってしまう。皿谷ちゃんもつられてくれる。


「それに」


よいしょと少女は立ち上がって、服についた土を払う。


「例えばもし本当に、誰も憶えて無いなんてことがあったら」

「うん」

「それはそれで大事件ですし。もしかしたら、一躍有名人になるかもしれませんね」

「前向きだな」

「ちょっとくらい前向きじゃないと、記憶喪失なんてやってられませんよ」


本当にそう思っているのか。それとも。そう思うことにしたのか。僕には分からなかった。

ただ。皿谷潜は笑っていた。

だから、それ以上は聞かなかった。


似たようなスウェットを着た僕らは、また並んで歩き出す。記憶はまだ見つからない。家族も、名前の由来も、好きだったものも。

何ひとつ。


それでも。

皿谷潜という少女だけは、確かにそこに居た。

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