表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
4/9

もぐもぐキューカンバー004

返事は、出来なかった。

不気味なまでに、全て見透かされる。けれど、今はそれを考える余裕すらなかった。沈黙が重い。空気があるはずなのに、溺れるみたいに、息苦しかった。


またあの光景が脳裏に蘇る。引きずり込まれそうになったあの時に見てしまった黒い手、そしてその先の、

思い出しかけて、やめる。


訝屋は何も言ってこなかった。この反応さえ予想できていた、そう思ってしまうほどブレないその目線で僕を捉えていた。


「ま、整理する時間だっているだろう。別に意地悪に追い込みたいわけじゃないんだ。ゆっくり噛み砕いて吟味して、それが終わってから、話してくれればそれでいい。」


そう言って、今度は皿谷の方へ向き直る。追及は終わった。それでも、何も終わった気はしなかった。


「次は、君だよ。皿谷 潜ちゃん」


皿谷は俯いたまま、濡れた前髪の隙間から、静かに訝屋を覗いていた。口に出さなくても、警戒しているのはその態度で明らかだった。


「君は、どうしたい?」


返事は無かった。膝の上で握られた小さな手だけが、少しだけ震えたように見えた。


「困ったな」


訝屋は頭を搔いた。困った、とでも言いたげな仕草だった。けれど、本当に困っているようになんて、見えなかった。


「俺は、それでもいいんだけど」

「……」

「少年が困っちゃうんだよね。このままだと」


真っ直ぐに少女の方を見ていた。何かを言おうと、少女の口が少しだけ開く、それでも言葉が出る前に躊躇ったような様子を見せてまた閉じた。


「親の名前が分からない。家も分からない。何も分からない。このままだと、君をどうしてあげたら良いのかわからない。」


「それって、結構。困るんだよ」


皿谷がピクリと震えた。俯いたまま、何度も口が開いて、閉じて。そうやってやっと一言。


「……ごめんなさい」


溶けてしまいそうな声だった。謝ることじゃないだろ、と口を挟みかけて辞める。


責任の所在を勘違いしている謝罪なのか、本当に自分を責めている謝罪なのか。今の僕には分からなかった。


「別に謝って欲しいんじゃない。どうしたいのか聞いてる。もっとも、ここが日本である限りは、最後にはちゃんと帰るべき所へ帰ってもらうけどね」


「ダメです」


訝屋の声を遮って、少女はそう言い切った。意外だった。今までで一番はっきりした声だった。


記憶もない。名前も曖昧。

それでも、その拒絶だけは迷いがなかった


「……ダメ、なんです」

「理由を聞いても?」


皿谷から答えは返ってこなかった。その代わり、俯いたままだけれど、少女はその頭を小さく振った。


「そっか」


訝屋はそれ以上追求することはなかった。再び沈黙が支配する。耐えられなくなったのは、皿谷の方だった。


「……親と」


震える。掠れた声。それでも少しづつ彼女は話す。


「警察は、嫌です」

「それはどうして?」

「それは……、ごめんなさい。わからないです」


本当に記憶が無いのなら、そういうものなのかもしれない。けれど、親の名前も思い出せないのに、親を嫌がることなんてあるのだろうか。


「わかった。じゃあ、そういうことにしておこうか」


訝屋はそう締めた。責める訳でもない。納得したふうでもない。ただ、今聞けることは終わった、そうとでも言いたげだった。それが逆に気味が悪かった。


「……いいんですか?」


終わった。訝屋はそう判断したらしい。けれど僕にはそう思えなかった。

何も分かっていない。何も解決していない。むしろ分からないことだけが増えている。


「何が?」

「わかってますよね。彼女の事。このままじゃ」


親も分からない。家も分からない。それなのに親と警察はダメだという。どう考えても放っておいていい、なんてそんな軽い話じゃない。


「別に良くは無いよ」

「なら、」


「思い出したい事がぽんぽん出てくりゃ、そりゃ世話ないんだけどね。それでも人間って奴はそんなに単純に出来てないんだよ。忘れてるのか、目を逸らしているのか、はたまたもうそこに無い物なのかもしれない。」


「お手上げ、ってことですか」

「おいおい、あんまり見くびってくれるなよ。そうは言ってないだろ。」


「ただ、本人が言えないなら、今はそこまでって話しさ。どうせ自ずと揃ってくる。」


訝屋はそう言って、チラリと皿谷の方に視線を映す。


「宛が無くなった訳じゃないんだよ。寧ろその1つだけが頼りだ」


僕の方を見る。嫌な予感がした。


「それは、」

「君の話だよ。君が一番触れたがらない部分」


思わず息を飲んだ。それでも訝屋は続ける。


「出来過ぎに見えてしまうんだよね」

「……何がですか?」


「まぁ、常識で考えるなら窒息による一過性の記憶障害。そういう話なんだろう。俺は医学に明るい訳じゃないから断言はしてやれないけど。……でも、どうにもきな臭い。君も薄々そうじゃないと気づいてる。だろ?」


「まぁ……まだ、あまり信じられませんけど」


「そして、君は少女の為に飛び込んだ、間に合わないのは嫌い、だったっけ」


「……そうですね」


「なら、尚更だ」


「君はその少女を助けたい。」


訝屋は少しだけ首を傾げた。


「なんで、そこだけは見なかったことにしたいんだい?」


「君が見たものが何だったのか。それが関係あるかは知らない」


「でも。関係ないと決めつけるには、少し出来過ぎてると思わないかい?」


「……」


見なかったことにしてしまいたかった。溺れかけたあの時、僕は確かにあの黒い手を見た。生ぬるい温度で、強引に引きづり込んでいく。そしてその奥のあの目と、きらりと光った装飾品。


見覚えがあった。でも、そう思いたくはなかった。


皿谷を見る。


小さな身体を縮こませるようにして、膝を抱えていた。何も思い出せないのに。それでも親と警察だけは嫌だと言った。


それだけは、忘れたくても忘れられなかった物だったのかも知らない。


だとしたら。


僕だけが目を逸らしていていい理由なんて、どこにも無かった。


「……わかりました」


一度目を閉じる。深呼吸をする。出来るだけ落ち着いて、感情がこぼれて行ってしまわないように。


「上手く整理できるか分かりません。でも、聞いてください」


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ