4.古代椎良
「おい椎良。僕は待ってろとは言ったが、寝てろとは言ってないぞ。起きろ」
強烈な痛みが後頭部を襲い、俺は目を開けた。
「……あれ? 俺、寝てた?」
電気が煌々と点けられた教室に目を細めながら、黒板の上にある時計を見る。
時刻は午後五時五十分。最終下校時刻間近だった。
「ったく、呑気にぐーすか寝やがって。それとも、気絶するほど不味かったのか? 罰ゲームドリンク」
言いながら、ヒロは今の今まで俺が突っ伏していた机の上に、どさどさと紙の束を積み重ねていく。その紙の束は、辞書数冊分にも相当しそうなほどである。
「見ろ。これが、僕が本気を出した結果だ」
どうだすごいだろう、と言わんばかりの表情を浮かべるヒロ。だが、寝起きの俺にはその意図がいまいち伝わってこない。
「なに、これ」
だから、率直に質問した。
この一時間ほどでヒロが得た戦果が紙束とは、どういうことだろうか。
「課題だよ。お前用の」
「……ええと」
嫌な予感がする。
ヒロの取った行動により、今この瞬間、俺の身になにかが起きようとしている。
「万洋さん、あんた、なにをしはったんです?」
「何故に関西弁?」
「前に関西に住んでたことがあって……じゃなくてさ。確かヒロは、球技大会に俺が参加できるようにする為に、先生達に話をつけに行ってくれてたんだよね?」
そこはかとなく、いや、強烈に嫌な予感がする。
「ああ、そうだ。いやあ、先生達も意外と理解があって、説得しやすかったぜ。今回の期末、古代椎良の点数が悪かったのは聞くに堪えない悲しい事情があったからとか、飼ってたハムスターが死んだばかりでショックから立ち直れなかったからとか、とにかくあることないことのべつ幕なしに説明したら、涙ながらに納得してくれてさー。この課題を全部こなした上で、球技大会前日に特別テストを実施し、合格点を弾き出せるのであれば補習は免除――だとさ」
「なっ……」
「おうおう、嬉し過ぎて声も出ないか。そりゃそうだよな、僕が居なけりゃ、お前は球技大会に出ることすら叶わず、一人泣きながら補習を受けなきゃならなかったんだもんなあ」
「ひ、ヒロ……」
「あ、でも古文の鈴木先生はすげえ優しかったぞ。球技大会用のトーナメント表、お前が書いてくれるなら、テストの難易度は軽めに設定してくれるってよ。ほら、鈴木先生って生徒会の顧問だろ? だけど、生徒会の奴らの字が汚過ぎて、トーナメント表の作成を任せたくないんだと。だから、勿論オーケーしておいた。お前、頭は悪いけど字は綺麗だもんな!」
「ヒロ。待って。ストップ」
このままだと延々と話が続きそうな気がして、俺は慌てて制止をかけた。
「なんだよ、不満でもあるのか?」
「不満っていうか、二三質問があります」
「どうぞ」
隣の席に座り、俺からの質問を促すヒロ。
俺はあくまで冷静に、ヒロが持ってきた紙の束――というか紙の塔を指差し、言う。
「まずひとつ目。これはなんですか」
「古代椎良くん用の特別課題。これを全てこなすことで、古代くんの学力を、気持ちちょっとだけでも向上させます」
「……。ふたつ目。この現実味のない量の課題を、いつまでに終わらせるって豪語してきやがったんですか」
「特別テスト前まで。つまり来週の十八日までです」
「みっつ目。これを全てこなせなかった場合、春告万洋くんは怒りますか?」
「怒らない。が、殴る」
「……」
「お前ならできるって! 心配すんなっ!」
歯を見せてにかっと笑うヒロ。
そんな堂々たる姿を見ていると、なんだか俺にもできそうな気がしてくる。
だが、ここでうっかり流されるわけにはいかない。
落ち着け、自分のペースを維持するんだ。考えてもみろ、どうしたってこんなふざけた量の課題、そんな短期間でできるわけがない。
「無理だって。赤点を取るってことは、つまりその科目が苦手ってことだよ? 苦手科目の課題がこんなに出たって、解けるはずないよ。クラスのみんなには悪いけど、ここは潔く諦めて、補習を受けたほうが良いと思う」
そのテストとやらに、合格できるっていう見込みだってないわけだし。
俺はヒロにそう言った。
決して、そのほうが楽だから、なんて本音は言わなかったけれど。
「……あー、その、悪かった。迷惑だったか?」
俺の言いわけに、ヒロは意外にも、ばつの悪そうな顔で頭を掻いた。
「すまん、気がつかなかった。そうだな、迷惑だったよな。苦手科目の課題をこんなに押しつけられて、喜ぶ奴なんて居ねえもんな。ましてこれは、椎良自身が進んでやったんじゃなくて、僕が勝手に、お前の為によかれと思ってやったことだ。お前の気持ちを考えてなかった。お前にとって、球技大会はその程度でしか――いや違う、これは球技大会の景品に目が眩んだ、僕だけが悪いんだ。悪かったな。考えの浅かった僕を、お前は許してくれるか……?」
「ひ、ヒロ?!」
ち、違う、そんな謝罪を求めて言ったわけじゃない!
まさかヒロが、こんなにも簡単に折れるとは思わなかったんだ!
いつもならもっとぐいぐいくる癖に、どうして今日に限って諦めが早いんだよ!
「ちが、ねえ、ヒロ――」
「いいや、良いんだ。僕が悪かった。この課題の山は、先生達に返してくる。僕が先生達に『これは、決して球技大会に椎良を出したいが為のものではなく、椎良の基礎学力向上の為のことなんです! お願いです、あいつもやる気満々ですからっ!』って無理を言って、わざわざ作ってもらった課題だけど、今から返してくるよ。ああ、大丈夫だ。どの面下げて返しにきやがったんだって怒鳴られても、僕はお前という友達の為なら耐えられるさ」
立ち上がって課題の山を抱えると、ヒロはとぼとぼと歩いて教室から出て行こうとする。その後ろ姿の、なんと物悲しいことか。
「ま、待って!」
その背中に、俺は本日二度目の制止をかけた。
「なんだよ椎良。一緒に怒られてくれるってんなら御免だぜ。僕はこれ以上、お前に迷惑をかけたくない」
ああもう、いちいち格好良いなあ!
さすがバレー部主将、覚悟が半端ないぜっ!
その男気に天晴れと心の中で賛美を贈りつつ、ヒロの背中に向かって言う。
「その課題、やるよ。それでテストも受けて、絶対に合格する」
覚悟を決めた俺の言葉に、ヒロはゆっくりと振り返る。
その顔には、にしゃり、という底意地の悪そうな笑顔が貼りつけられていた。
騙された、と悟ったときには、もう遅かった。
「だよなあ! やるに決まってるよなあっ!」
「……」
こうなってしまえば、もう言い逃れはできまい。
「……う、うん。その課題全部こなして、テストに合格して、球技大会に出る」
方法に問題はあれど、ヒロは俺の為、クラスの為を思ってやったことなのだ。それを無下にはできない。それに、ヒロの提案に乗っていたほうが、クラス内での立ち位置が悪くならないし。
本当は特別課題なんてしたくないし、もっと言えば補習すら、適当にこなして終わらせようと思っていたなどとは、口が裂けても言えない。
本音なんて誰も必要としてないのだ。
必要なのは体の良い建て前と、都合の良い返事くらい。
それだけで人間関係は円滑なものとなる。
「よく言った椎良! よし、僕らも全面協力してやるから、絶対にこの局面を切り抜けようなっ!」
課題を近くの机に置き、ヒロは力一杯に俺の肩を掴んで笑みを浮かべる。それにつられて、俺も笑った。さぞ無様でぎこちない笑顔だったことだろう。
「うん! ……うん? 僕ら?」
複数形?
「あれ? ヒロって双子設定とかあったっけ?」
「は? なに馬鹿なこと言ってんだよ。そんなの、D組の連中を指すに決まってんだろ」
「……ということは、つまり」
「そうだ」
頷いて、ヒロは自慢げに自身のケータイを取り出した。
「常時学年トップであらせられる姫路水美と、不肖ながらこの僕、二学期中間考査では学年十位の春告万洋が主力として、力添え致そう」
仰々しく言いながら見せられた画面には、姫路さんからのメッセージと思われる文面が表示されていた。そこには、勉強会に全面協力するという旨のことが書かれている。
「他にも助っ人はいるぜ? 数学なら升国さん、英語は丹部野、日本史は杉浦……」
次々と挙がる名前に、俺は驚いていた。このクラスの球技大会における熱意にはもちろんのこと、それ以上に、俺みたいな人間を助けてくれる人がそんなにいることに、である。
曖昧に、適当に、全部を蔑ろにして生きている俺なんかに。
いや、違う。これは一重に、ヒロの人望があってこそだ。
俺に、そんな力はない。
それが嬉しくて、虚しかった。
「そんな感じで、明日からスパルタだぜ椎良! お前に休み時間はないと思えっ!」
「りょーかいであります!」
俺はそれに、いつもの嘘くさい笑顔でしか答えられない。
それが酷く残念で、自己嫌悪に拍車がかかるのだった。
仕方ない。こうすることでしか、俺は生きていけないのだ。
聞き飽きた自己弁明にも反吐が出るけれど、俺は今回も「仕方ない」の言葉でねじ伏せた。結論はとうの昔に出た話だ。いまさら、どうこう言っても意味はない。
「んじゃ、また明日な」
「じゃあね」
校門を出たところでヒロと別れ、それぞれの家路に着いた。
なんとなく、後ろを振り返る。自転車に乗ったヒロは、あっという間に角を曲がって見えなくなった。
それを見届けてから、俺はマフラーで口元を覆い、身を縮こませて歩き出す。冬の風が刺すように吹きつける。今居る水城市は雪国寄りの気候なだけあり、まだ十二月だというのに、冷え込みかたが尋常でない。
今日の夕飯はなににしようか。もう面倒だから、今夜はコンビニで済まそうかと考えながら、俺は帰りたくもない家へと向かう。
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