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水城市限定都市伝説について  作者: 四十九院紙縞
第三話 嘘吐きのパラドックス

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6.古代椎良

 階段を駆け下りて、マンションを出た。

 暗闇に包まれた住宅街は日常のままで、こんなに切迫した状況下にある自分が滑稽に思えて仕方ない。笑ってしまいそうになる。いっそ、笑い飛ばしてしまえば楽になるのだろうか。大いに笑って「馬鹿みたいな現実だ」とでも言えば、案外、俺は自分の部屋のベッドで目を覚ますかもしれない。

「……そんなわけ、ねえよなあ」

 自分の考えを失笑と共に否定し、俺は走る。

 俺を殺さんとする母さんから逃げているのは、嘘みたいだが、紛れもなく現実だ。

 冬の夜、冷たい空気に白い息を吐き出して走りながら、考える。なにが一番最善の解決策になり得るか。

 まずは、現状に至った原因を把握しなければならない。それを理解しないままでは、解決のしようもない。

 母さんがおかしくなった原因は――いや、考えるまでもないか。

 だって明らかに、きっかけはあの赤い液体にあるのだから。

 こうなってしまえば、いい加減『叶え人』説を否定できなくなってきた。

『叶え人』は実際に在る。そう考えるべきだ。

 今、そして先週、飲まされたものは、『叶え人』の話に出てくる魔法の薬で間違いないのだ。

 なにより、あんなに真っ赤に染まった瞳を見た以上、信じないほうが難しい。赤い瞳の人間なんて、そうそうお目にかかれるものじゃない。まして後天的な、もっと言えば魔法の薬を飲んだ直後とあれば、なおさらだ。

 だけど。だけどだ。

 曰く、奴らは願いを叶える為ならなんでもする上、願いを叶えるまで止まらない。

 そのはずなのに。

 俺は生きている。

 まだ死んでいない。

 効力を発揮する量を飲んでいなかったからか? 

 いや、母さんがそんなミスをするとは思えない。

 実際、先週の俺には魔法の薬が効いていたはずだ。母さんが俺にどう願ったのかは思い出せないが、俺は家の中を散々に荒らし回っている。それを利用して、見事に小井川さんの同情を買い、今度の引っ越し先から俺を弾き出すことに成功したじゃないか。だから先週の一件は、あれで成功しているはずなんだ。

 だけど、だからこそわからない。

 俺に死んでほしかったのであれば、どうしてそれを先週の段階で願わなかったのか。魔法の薬なんて無制限に供給されるわけでもないだろうに、何故「リビングを荒らせ」だなんて中途半端なことを願ったのだろう。そんな遠回りなどせず、今ほど同様に「死ね」とだけ言えば、それで済む話なのに。

「――っ、はあ……」

 肺が悲鳴を上げているのに気がついて、俺はようやく足を止めた。

 行き先なんて考えずに走って来たが、どうやらマンション近くにある川を、上流のほうに向かって来ていたらしい。周囲に遊具があるし、ここは川沿いにある公園か。この辺りはまだあまり来たことはないが、駅向こうの柊(ひいらぎ)地区だろうか。

 街灯が少ないから正確な位置はわからないけれど、結構な距離を走って来たものだ。

 とりあえず、これだけ逃げてくれば母さんも追ってはこないだろう。

 そうまでして俺を殺したいのであれば、話は別だけれど。

「……」

 一旦自分の走って来た距離を自覚してしまうと、足が急に重くなったように感じた。

 思えば、今日は球技大会があったのだ。特にバレーではブロックにスパイクにと、とにかくジャンプしていたのだから、当然と言えば当然である。足だけでなく、全身をゆったりと疲労感が包み込んでいくような気がした。

 球技大会。

 サプライズの誕生日会。

 ほんの数時間前のことなのに、何年も前みたいに感じてしまう。

 楽しかったなあと思った。

 幸せだったなあと思った。

 だから。

 もう死んじゃって良いんじゃないかと、思った。

 元より、生に対しての執着なんてない。

 むしろ、死を渇望していたほうだろう。

 俺はもう、充分に苦しんだんじゃないだろうか。

 母さんから無視され、放置され、暴力を振るわれ。

 それでも死ぬことだけは我慢してきたんだ。

 きっと、相応の罰は受けたはずだ。

 なにより、母さんにとって俺が解決不能な害悪であり、消すしかないと思ったのなら。

 つべこべ言ってないで死ぬべきだ。

 それが当然の結論だ。

 しかし、母さん自身の手で俺を殺させてはいけない。

 そんなことをすれば、母さんは殺人罪で問答無用の刑務所行きだ。

 そんなのは、全然幸せじゃない。

 であれば、とるべき方法はひとつ。

 黒崎高校の制服がブレザーで良かった。

 ブレザーなら、ネクタイは必須だ。

 ネクタイがあれば、簡単に首を絞められる。

「……」

 ネクタイを解き、首に巻きつける。これと言って特別な感情も情景も浮かばない人生だったなあなんて思いながら、ネクタイを強く握る。

「――待ちなさい」

 と。

 突然、凛とした声が耳に届いた。

 同時に、背後から右手を掴まれる。

 聞き慣れない女の人の声。

 母さんでもなければクラスメイトでもなく、バイト先の人でもない。

 恐る恐る、振り返る。

 女の人とは思えない強さで俺の手首を握るその人は、こんな暗闇でもそうだとわかるくらい、眼を見張る綺麗なひとだった。

 見た感じ二十代半ばくらいであろうそのひとは、清楚系やキレイ系――そんな言葉が挙がりそうな雰囲気を持っている。それは決して顔の良さだけでなく、腰にまで届きそうなほどの艶やかな黒髪も、そういった印象を助長させていた。

 白のニット帽に、白いニットのセーター。下は黒のスキニーを穿いているからか、すらりとした印象を受ける。実際、女性としては長身の部類に入るだろう。目の高さが、俺とほとんど変わらない。

 よく見れば、彼女は十二月も下旬に入ったこの時期に、多量の汗を流していた。軽い息切れと発汗量が比例していないのが少しだけ気になるが、俺の疑問など関係なしに、汗は彼女の首筋を伝っていく。

 そしてなによりも目を奪われたのは、彼女の瞳の色。

 その瞳は、空の青よりも透き通った綺麗な青色をしていたのである。

「落ち着きなさい。死ななくとも、元に戻れるわ」

 彼女は青い瞳で真っ直ぐと俺を射抜き、大丈夫だから、と言う。

「貴方、名前は?」

 そう問われるも、咄嗟に答えられない。

 理由は単純で、彼女の端整な顔立ちからは想像もつかない凶悪な目力に、俺は圧倒されてしまっていた。

「名前、わからないのかしら」

 掴まれたままの右手を引っ張られ、期せずして女の人と正面から向き合うかたちになる。

 見れば見るほど綺麗なひとで、心臓がぎこちなく脈を打つ。

「こしろ、しいら……です」

 恐怖と緊張という二重の意味でどきどきしながら、それでもどうにか答えを返した。

「そう。貴方が古代椎良ね。人違いでなくて良かったわ」

 ていうかこのひと、誰だ? 

 その物言いから、どうやら俺の名前は事前に知っていた風だが……?

 と。

 思考を巡らしていた途中で、気づいた。気づいてしまった。

 俺の右手を掴んでいる、その反対の手に。

 白魚のような手には不似合いの、物騒な彫刻刀が握られているということに。

「……」

 今度は俺が汗を流す番だった。ただし俺の場合は、紛れもない冷や汗である。

 待って。待って。すごく待って。

 彫刻刀って刃物だろ。しかも形状からして、彼女が持ってるのは三角刀だ。

 三角刀と言えば、彫刻刀の中でも一番深く抉るものじゃないか。それがどうしてここにあるんだよ。どうしてそれを、こんな美人のおねーさんが持ってるんだよ。持っちゃってんだよ。おかしいだろ。

 それに、どうしてそんな危険人物が俺のことを知ってるんだ?

 いや待て、混乱したまま考察するのは危険だ。一旦冷静にならなくては。そうすれば、ほかの答えに行き着くはず。

 俺は今しがた、叶え人となった母さんに殺されそうになっていて。

 母さんに俺を殺させるのは駄目だと思って、ここまで逃げてきて。

 なんだかんだ、俺も幸せな人生を送ってたじゃんなって思って。

 じゃあ死のうと思って。

 その直後、三角刀を持ったおねーさんに肩を鷲掴みにされた。

 ……駄目だ。いくら冷静になって考えても、活路なんてどこにも見えてこない。どうしよう。俺はこのまま、このおねーさんによって三角刀でずたずたに切り裂かれてしまうのか。

「あ」

 このおねーさん個人との面識はない。

 だけど、こういう人物を俺は知っているじゃないか。

 白の帽子に、白い服。

 腰にまで届きそうなほどの長い黒髪。

 先週、ヒロと姫路さんと話しているときに聞いた、水城市限定の都市伝説。

「――『闇子さん』?」

 思わず出た言葉に、おねーさんの目元がぴくりと痙攣する。

 姫路さん曰く、闇子さんっていつも機嫌が悪いから、まずはご機嫌取りをしないと。場合によっては刃物で切り裂かれちゃったりするんだからね――だ。

 刃物とは、確実にあの三角刀のことを指すのだろう。三角刀でめった刺しにでもされたらと考えると、背筋が凍る。そんなの、痛いだけで死ねはしない。

 そうならない為には、ご機嫌取りの呪文だ。

 幸いなことに、その呪文はしっかり覚えている。

「――……め」

「え、なに?」

 目を細め、首を傾げる闇子さん。

 しまった、さらに機嫌を損ねてしまっただろうか。

「……い、イカ……」

 それでも声を張り、呪文を唱える。

「イカ多めの特上盛り合わせ!!」

 姫路さんから教わった、対闇子さんの呪文を。

「お願いです……助けてください」

 そうして、助けを求めた。

 ヒロ達の話が正しければ、『闇子さん』は困っている人を助けてくれるはずなのだ。それもとりわけ、叶え人を元に戻してくれるという。地獄で仏とはこのことだ。

 闇子さんは数秒間、すさまじい目つきで俺を睨み続けたが、

「……噂は本当だったのね」

と、俺から視線を切って、ため息交じりに俺の右手を解放する。

「しかしまあ、そういうことが言えるのであれば、とりあえずは正気に戻ったみたいね」

 完全に気が抜けたようにそう言うと、おねーさん改め闇子さんは、腰元のシザーバッグに三角刀を仕舞った。

 なにが殺されちまうよ脅しやがってあのもずく……等々、なにやらぶつぶつと言いながらではあったが、短く息を吐いて表情を切り替え、再び俺の目を見た。

「いきなり掴みかかって、悪かったわね」

「……」

 都市伝説として語られている闇子さんが、至極真っ当に謝ってきた。

「怪我してるわね。これで血を拭きなさい」

 あまつさえ、闇子さんはシザーバッグから花柄のハンカチを取り出し、俺に差し出してきたではないか。

「え、や、別に――」

「良いから」

 押しつけるようにして、闇子さんはハンカチを俺の頬にあてがった。こうされてしまっては仕方がない。俺はハンカチで患部を押さえつつ、

「……ありがとうございます」

と、お礼を言うほかなかった。

 なんというか、意外だ。意外過ぎる。いつも機嫌が悪くて、場合によっては相手を刃物でずたずたにしてしまう人とは思えない優しさだ。

「構いやしないわ。それより、貴方には訊きたいことがあるの」

 訊きたいこと? と俺がおうむ返しで尋ねると、闇子さんは小さく頷く。

「貴方、誰かに赤い液体を飲まされてないかしら?」

「ああ、はい。それならさっき、母さんに飲めって言われて、飲みました」

「ええそうよね、だいぶ前に飲まされているのよね――え? さっき?」

「……? はい」

 なにか変なことを言っただろうかと首を傾げつつ、肯定する。

 しかし闇子さんの中では、その回答は想定外のものだったらしい。

「でも貴方の瞳の色は変わってないわね……。どういうこと……? 効果が出るまでの時間が変わった……? それとも、瞳の色素減退はもう組み込まれていないのかしら。いえでも、声をかけた瞬間は確かに赤かった。……効果が途中で切れた? いや、まさか、そんなはず……」

「あの……?」

「こっちの話よ。でも……そうね、あれを飲んだと言うなら、貴方はこれを飲む必要があるわ」

 そう言ってシザーバッグから出したのは、青味の強い緑色の液体が入った小瓶だった。青竹色、とでも表現すれば良いのだろうか。公園に設置されている明かりでは、そんな風な色に見えた。

「『叶え人』って都市伝説を知ってるかしら」

「はい、一応は」

「そう、それなら話は早いわ。馬鹿みたいな話だけれど、『叶え人』は現実に起きているの。そして私は、それに対するワクチンを持っている。これを飲めば、叶え人になってしまった人を元の状態に戻すことができるのよ。あと私の名前は墨子であって、闇子じゃない」

「叶え人を、元に戻す……」

「……ええ。貴方、母親に赤い液体を飲まされたって言ってたわよね。それなら、早くこれを飲みなさい。どうやらまだ薬の効果は出ていないみたいだけれど、飲まないと貴方、また学校を破壊することになるわよ」

 淡々と話を進めていたかと思えば、闇子さんは再び押しつけるようにして青竹色の液体の入った小瓶を渡してきた。

「ま、待ってください。俺、学校なんて壊してないです」

 誤解を解こうとするが、闇子さんは取り合おうとしてくれない。

「叶え人化している間の記憶は、総じて抜け落ちてしまうの。貴方自身が覚えていないだけで、貴方は先週、自分の学校の体育館倉庫を襲撃しているわ」

 体育館倉庫の襲撃事件。

 それは確かに先週、黒崎高校で起きた事件だ。

 だけどあれは深夜に学校に侵入した不審者の仕業であって、犯人は恐らく特定できないだろうと言われていたはずだ。少なくとも学校側は、そう結論づけている。

「違うんです。俺が先週ぶっ壊したのは、自分の家のリビングです。学校じゃあ、ない」

「待ちなさい。言っている意味が――」

「それに」

 闇子さんの言葉を遮り、続ける。

「助けて欲しいのは俺じゃない。俺なんかより、母さんを助けてください」

 魔法の薬の効果がどれくらい持続するのかはわからない。けれど、俺を殺すと自分自身に願い、叶えようとしている母さんにこそ、これは必要だ。

「それは、どういう――」

 闇子さんの言葉が、そこで不意に途切れた。

 言葉が途切れただけじゃない。

 姿すら、一瞬で闇に消えた。

 これが都市伝説として語り継がれるほどの闇子さんの実力だとか、そういう馬鹿な思考なんて過るはずもなく。

 俺は、暴力的とも言える現実を目の当たりにすることとなる。

 結論から言って、闇子さんは消えたのではなかった。

 それだけの威力で、ずっと遠くに蹴り飛ばされただけ。

 それなら、闇子さんを蹴り飛ばしたのは誰だ?

 言うまでもないが、俺じゃない。俺には初対面の女の人を蹴る趣味なんて微塵にもないし、それほどの身体能力を有してなどいないのだから。

 どれほどの助走距離があったのかは定かではないが、恐らくは充分過ぎる距離を取り、その殺人的な威力を、全力で闇子さんにぶつけたのだ。

 そうでなきゃ人間が、紙みたいに簡単に吹き飛ぶものか。

「全くもー、やめてくださいよねえェ」

 やけに間延びした喋りかたをするその人は、部屋着に裸足という格好でここまでやって来たらしい。

 血のように赤く染まった瞳で、闇子さんが吹っ飛ばされたであろう方向を見つめ、心底楽しそうな口調で、言う。

 母さんは、言う。

「申し訳ないんですけどォ、勝手にウチの息子を助けないでもらえませんかァ? この子はァ、これからあたしが、ぶち殺すんですからァ」


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