15.墨子
それからしばらくの間、私と憶屠はなんともなしに無言のまま、テーブルの上に置かれた写真を眺めていた。
「……学校が現場となると、薬を飲ませた真犯人も、この学校の生徒だと考えるのが妥当だな」
「そうかしら」
おもむろに口を開いたと思えば、随分と限定的な推理をしたものだ。情報がこれだけしかない今、外部犯の可能性だって十二分に考え得る。
「むうう……! だ、妥当、だよな?!」
「え、ええ。そうね」
そんな泣きそうな顔して同意を求めなくても良いじゃない。
なにをムキになっているのかわからないが、ここは折れて、適当に同意しておくとしよう。しかしそれで機嫌の直ったらしい憶屠は、ふふんと鼻を鳴らして話を続ける。
「ここでひとつ、ボクから提案がある」
「却下」
「まだなにも言ってないじゃないか!」
「言わんとすることくらいわかるわ。だから却下」
「せめて言わせてくれ!」
「じゃあ、言うだけ言えば」
肩を竦ませながら、イカを一口食べた。うん、美味しい。
「ボクが黒崎高校に潜入して、真犯人を探し出す!!」
立ち上がって拳を握り、力強く唸る憶屠。
そんなところだろうと予想していた私は、ゆったりとウーロンハイを飲み、晩酌を続ける。
「どうだ、名案だろう?!」
「どこがよ。それに憶屠、貴女は柊学園の生徒でしょう?」
「何故に知っている?!」
「貴女が前に、しつこく自己紹介してきたんじゃない……」
おかげで、不必要な個人情報が完全にインプットされてしまった。
「そもそもの話、黒崎高校の制服もないのに、どう潜入するつもりなのよ」
「それならば用意はある」
不敵な笑みと共に、憶屠は足元に置いていたらしい紙袋を持ち上げた。
「じゃじゃーん! なんと、九十九さんが黒崎の制服を用意してくれたのだーっ!」
紙袋から取り出したるは、紺色のブレザーと深緑色のボックススカート。スカートの丈は、ばっちり改造済のものだ。
「これを着て、存分に調査して来いとのことだ!」
「……」
言葉も出ないほど、どん引きだった。
サングラスをかけた三十路のおっさんが、どういった手段を用いて女子高生の制服を手に入れたのかというのも気になる。が、なにより、それを現役女子高生に与え、着せようとしているというのが、どれだけの事態か。
「み、水無瀬。警察よ、警察を呼ばなきゃ。あのおっさんを、早く捕まえてもらわないと」
ケータイは、自宅のマンションに置いてきている。電話をするのであれば、この店の固定電話を借りるしかない。
「えー、なに言ってんの墨子ちゃん」
しかし水無瀬は、目の前で起きている犯罪手前のような事態を把握していながらに、そんな呑気な声で言う。
「警察なんて呼んでも、涼さんは捕まえられないってー。無駄だよ無駄」
「いいえ、日本の警察は優秀なのよ。三十路のおっさんくらい、余裕で捕まえられるわ」
「いやさ、だからね墨子ちゃん」
椅子に腰かけたまま、水無瀬はふぬけた表情で薄く笑う。
「その警察をコントロールできちゃう程度には、涼さんが権力を持ってるってことだよー」
「……。下手な嘘は嫌いよ」
「本当ほんとう。じゃなきゃ、怪しい取引とか密会とかの会場になってるこんな居酒屋、あっという間に発見されて潰されてるって」
「……確かに」
その言いぶんには、一理ある。情報を得る為に必要な場所だからと、今まで敢えて追及はしてこなかったが、ここ『みなせ』では度々怪しい取引が行われている。なんのとは言わないが、合法でないのは明らかだ。
私が九十九から貰っている情報にしてもそうだ。
現場写真や監視カメラの映像、顔写真まで揃えて持ってくるその情報網は、明らかに常軌を逸している。あまりに正確すぎて、有り体に言って不気味だ。常々そんな異質さを感じていながらも、しかしお互いの素性について、九十九と話したことはない。
九十九とは、私が深津桜介の捜索を始めて半年ほど経った春先に出会った。『叶え人』が関係していそうな事件についての情報を求めて回っているうち、九十九がどこからともなく現れ、「お前の欲しそうな情報をくれてやる」と、交渉にもならない交渉を持ちかけてきたのが始まりだ。
あのおっさんは「俺を満足させられるような後日談が聞けりゃ、それで良い」などと言って、以来、私に『叶え人』の情報を流してくれている。対価に金銭を要求してくることもない。一応は利害関係が一致しているから、こうしているだけ。いわばビジネスライクな関係性であるが故に、お互い、一歩踏み込んだ個人情報には触れないようにしていた。
あれだけの情報を揃えてくる九十九を、私は私立探偵かなにかかと思っていたけれど、どうやら認識を改める必要があるようだ。
「涼さんが法律とまでは言わないけど、涼さんがゴーサインを出したんなら問題ないんでしょうよ。ああ見えて、そういうところはきっちりしてる人だから」
「そうだぞ!」
水無瀬の言葉に、憶屠はここぞとばかりに便乗する。
「それに、ボクが進んで首を突っ込んでいる以上、自己責任であるということは理解している。自分の身は自分で守ると約束しよう」
「……」
もう少しだけ迷って、そして決める。いや、諦めたと言ったほうが良いのかもしれない。約半年に渡って追いかけ回されて、私もいい加減疲れてきていた。それに私がここで憶屠を拒絶すれば、憶屠は一人で動き出しかねない。……というか、絶対にそうするだろう。
それならば、私の目の届くところに居たほうが、なにかと都合が良い。
「わかったわよ。真犯人の特定、今回は憶屠にお願いするわ」
元より、事件現場が学校の中である以上、私だけで調べるには限度がある。それを見越して、九十九は憶屠を利用しろと言っているのだろうけれど……全くもって気に食わない。
「本当か! 仲間に入れて貰えるのだなっ?!」
目を輝かせて喜ぶ憶屠に、ただし、と釘を刺す。
「身の危険を感じたら、一人で対処しようなんて考えず、私を呼びなさい。自己責任とは言っても、貴女はまだ未成年なんだから。もしものときは、私が助けるわ」
しかしそれは、決して憶屠の身の安全を心配してのことだけではない。
私の目の前で、スクラヴによる二次被害が出るのを見たくないから。
それだけだった。
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