1.古代椎良
十二月十日、午後四時ちょうど。
二年D組の窓側、その一番前の席に座った俺は、一人の鬼と机を挟んで対峙していた。
「どういうつもりだ、古代椎良ァ……」
クラスメイトで悪友であるはずの鬼は、凄まじい形相を浮かべ腕を組んだ状態で、仰々しく俺をフルネームで呼ぶ。
その鬼気迫る様子は、彼のあくまで地毛だと言い張る茶髪が逆立っているようにも見えて、有り体に言って怖い。すごく怖い。これが怒髪天を衝くという状態か。
六限目も終わり、教室から人が三々五々に減っていく中、この鬼はそそくさと帰り支度を整えていた俺をとっ捕まえ、ついさっきの授業でもって全教科分が返却された、二学期末考査の答案用紙の開示を要求してきたのだ。
六限終了十分前辺りから殺気にも似た気配を放っていたからこそ、今日はさっさと帰りたかったのだけれど。バレー部に所属する彼のこと、尋常でない気迫で正面から凄まれれば、逆らえるはずもなかった。
無力な帰宅部である俺は大人しく彼の要求に従い、机の上に答案用紙を広げる。すると、それをまじまじと見たところで、先の質問が出たのだった。
彼がなにを言いたいのかはわかる。だからこそ、俺は迅速に手を打つことにした。
「あのさヒロ、これには深いわけが――」
「言いわけ無用だボケェ!」
勇気を振り絞って出した言葉は、しかし虚しくもその怒声に掻き消されてしまった。
ヒロこと春告万洋は、一度深呼吸をして落ち着きを取り戻した後、なんなんだよこれは、と、改めて俺に状況の説明を求めるのだった。
なんなんだもなにも見ての通りなんだけど、とは言わない。これだけ頭に血が上っている人間にそれを言うのは火に油だし、言えばどうなるかなんて、それこそ火を見るよりも明らかだ。
「数学と政経と日本史と英語、あと古文で赤点を取りました」
俺は努めて冷静に、目の前の現状を淡々と述べた。開き直ったとも言える。
ちなみに、各教科の点数。
数学、二十四点。
政経、三十五点。
日本史、三十九点。
英語、十五点。
古文、九点。
この高校における赤点は四十点以下なので、日本史が惜しい以外は散々な結果となった。
しかしまあ、今回は事情が事情だっただけに、これでも健闘したほうだったりする。
「どうしてこのような結果になったのか、簡潔に述べよ」
「あー、油断と慢心、かな?」
その辺りの事情を話したくない俺は、とぼけて答える。
するとヒロは、一旦は鎮火していた怒りを再度爆発させ、
「馬鹿野郎が!」
と、思いきり俺の頭を叩いたのだった。
バレー部による平手打ちは、拳で殴る威力に匹敵する。
「痛い!」
「痛いじゃねえよてめぇ椎良お前なにしてくれたかわかってんのかコノヤロウ」
早口で捲し上げ、それぞれ握った拳で俺の頭をぐりぐりと押し潰さんとするヒロ。
「い、痛い痛い痛い! 待って、俺が悪かったってばっ! 謝る、謝るから手を離して!」
「謝って済む問題じゃねえのくらいわかってんだろ椎良ァ……!」
俺の懇願に、しかしヒロは耳を貸してくれない。どころか、攻撃の威力を増すばかりだ。
「いっだだだだだ! 頭っ、頭が割れちゃう、馬鹿になるっ!」
「もう馬鹿だろうが!」
吐き捨てるようにそう言うと、ヒロはようやく手を離してくれた。
全力の攻撃を受けた頭部をさする俺をよそに、ヒロは深いため息をつく。そのため息には、落胆の色がはっきりと見てとれた。
「僕は確かに言ったよな。言ったはずだよな。球技大会におけるこのクラスの命運は、お前に懸かっていると言っても過言じゃないって」
「うん。言ってました」
それは覚えている。忘れるはずがない。
『一生懸命になることが格好悪い』なんて風潮が蔓延る昨今、高校における球技大会は、大半の生徒にとってかったるい行事以外のなにものでもない。
一学期末の球技大会は暑くてたるいし、二学期末の球技大会は寒くてたるい。どうせ優勝したところで、学期末の全校集会で表彰されるくらいだ。それならほど良く力を抜いて、このかったるいイベントをこなしていくほうが利口である。
このような現状を嘆いた生徒会は、この二学期末の球技大会から、新たに優勝賞品を設けることにした。
なんと、総合優勝したクラスに一ヶ月分の学食無料優先券が進呈されるのだ。
ここで、たかが学食と侮ることなかれ。
この私立黒崎高等学校の学食は異様なほど評判が良く、この間もテレビ番組で取り上げられたほどである。
おかげで競争率が高くて仕方がないのだが、今回の賞品は「無料」で「優先」だ。全生徒が血眼になって優勝を目指すのも当然と言えよう。いつもであれば二学期末の球技大会には参加しない、受験勉強真っ只中であるはずの三年生までもが参加するほど、この優勝賞品は生徒に活気を与えたのだった。
俺の所属する二年D組のクラスメイト達も例に漏れず、優勝賞品を聞いた途端、目の色変えてクラス会議を開くほどにやる気になっていた。
球技大会で行われる競技はバスケットボール、バレーボール、バドミントン、卓球、ドッジボールの、合計五種目。
議題となったのは、もちろん戦力の配分である。
球技大会で行われる種目の部活に属する生徒は、最大二人までしか参加できない。
このルールの関係上、これはなににおいても慎重を期する問題だった。本気で総合優勝を目指す二年D組の方針に則り、球技大会種目の部活動に所属する生徒は、規則に従い、最大人数の二人までエントリーしてもらった。それ以外のメンバーは、中学まででの経験者を優先的に募る。
そして。
ひとつ問題となったのが、俺こと古代椎良の存在だった。
自慢するつもりはないけれど、俺は運動神経だけは自信がある。具体的には、小学校入学から高校二年に至る今日まで、体育の成績だけはほぼ満点を記録しているくらいには自信があるのだ。
しかし俺は、運動部に所属していない。部活よりもバイトをしたかったからなんだけれど、それをここぞとばかりに利用され、気づいた頃には、バドミントンと卓球以外の種目全てにエントリーされていた。
いや、それ自体は決して嫌なわけではない。運動は好きだし、こうしてクラスメイトから頼られるということは滅多にないから、悪い気はしなかった。
しかし、それを阻止せんとする大きな壁がひとつ。
それは、期末考査の結果を元に行われる補習である。
黒崎高校では、赤点を取った生徒の補習を長期休暇前に実施している。
それは生徒達の冬休みに配慮したものでは決してなく、先生達の側こそ年末年始のイベントを楽しみたいという主張が何年か前に通ったからであるらしい。故に、毎年そういったスケジュールが組まれているのだそうだ。
補習それ自体は仕方ない。成績不良者には、それ相応の学習時間が必要不可欠だ。
だがその補習は無情にも、球技大会と同時進行で行われるのだ。テストで赤点を取るような輩に青春を謳歌する権利はない、とでも言いたげである。
俺が赤点を取ったのは、数学、日本史、政経、英語、古文の五科目。
十一科目中五科目が赤点では、球技大会に出られる時間など皆無であることは明らかだった。
そんなわけで、本日六限終了時点をもって、主力戦力として期待されていた古代椎良は、補習による棄権がほぼ確定したのであった。
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