12.古代椎良
「……」
自分の部屋に入って、電気をつける。
強盗の被害を受けていないはずの部屋。しかし改めて見回してみると、なんだかいつもより散らかっていた。普段から整理整頓を心掛けている俺としては、大変遺憾な状況だ。これも、昨日の夜に動揺し過ぎて記憶が飛んでいることと関係があるのだろうか。
「ただいま、父さん」
家族写真にいつもの挨拶を済ませ、部屋着に着替えたところで、ようやく一息つけた。
ベッドと学習机と、気持ちばかりの小さな本棚。
必要最低限のものだけを置いた自分の部屋は、比較的落ち着ける。
「……」
改めて、あの言葉の真意を考える。
――本当にあの子がやったのか?
あれじゃまるで、俺がなにか悪いことをしたみたいじゃないか。全くもって遺憾だ。俺がそんなことをするはずがないのに。
恐らくは、母さんがなにかをでっちあげて小井川さんに言ったのだろうけれど、それになんの意味がある? 俺の印象を悪くさせたところで、母さんにはなんの影響も――
「あ」
そこまで思考が至ったところで、ひとつの可能性が頭を掠めた。
小井川さんの中で俺の印象が悪くなれば、きっと母さんは彼にこう言うはずだ。
――あの子、素行は悪いけど、家事はひと通りできるから。
だから。
――だから結婚を期に、あの子とは別々に暮らさない? そのほうが、お互いの為だよ。
「……うわあ」
自分で想像しておいて泣きそうになるが、しかし有り得ない話ではない。なにせ昨日、古代家のリビングは徹底的に荒らされているのだ。それを強盗ではなく、俺が暴れ回ったということにしてしまえば、それだけで良い。高校生の息子が家で暴れ回るなんて、ままあることだ。なにも不思議なところはない。
そうして母さんは小井川さんに「息子が家で暴れ回った。一人で家に居るのが怖い」とか「片づけを手伝って欲しい」とか言って、上手いこと同情を買ったのだろう。
そうすれば、なにもかもに説明がつく。すっかり元通りに復元されたリビングはもちろんのこと、小井川さんの発言も、初対面にしてはやけにぎこちない態度にだって。
しかし。しかしだ。
そんな都合良く、リビングだけを荒らして帰る強盗が来るものだろうか。
小井川さんと母さんとが結婚を目前に控えた、この時期に。
それはあまりに都合が良過ぎるんじゃないか?
「……」
ふと、『叶え人』の話が脳裏を過った。
薬を飲まされた人間は、その願いを叶える為に死力を尽くすようになるという都市伝説。
なんの根拠もない直感だけれど、この愚にもつかない状況に見事当てはまるのは『叶え人』のような気がした。
思えば今朝の段階から、不可解で仕方がないことはあったのだ。
それは、アンバランスな破壊である。
間接照明も花瓶もマッサージチェアーも絵画も陶器の置物も、全て完膚なきまでに破壊されている癖して、テーブルやソファーは少し泥がついていたり、ひっくり返されている程度だった。
つまり、主要な家具は壊されていないのである。
どれを壊したら生活に支障が出るか、わかっていたかのような壊しかただった。さんざ破壊活動をしておいて、そんな取捨選択をする必要がある人間は、かなり限定されてくる。
身に覚えのない右頬の傷。
抜け落ちた昨晩の記憶。
きっかけは――そうだ、あの赤い液体を飲んでからだ。
であれば、あれこそが叶え人にさせる魔法の薬だったのかもしれない。
「俺が、犯人なのか」
あれだけ暴れたのなら、頬に切り傷ができていてもおかしくはない。むしろ当然の結果だろうし、よくそれだけで済んだとすら思う。
なにより昨日の夕方、小井川さんを名乗った男の正体が、これではっきりする。
彼こそが『叶え人』の話に登場する、魔法の薬を渡して歩く男だったのだろう。
「……あほくさ」
吐き捨てるようにそう言って、ベッドに倒れ込んだ。
そんなこと、あるはずないじゃないか。事実は小説よりも奇なりっていうくらいだし、本当にタイミング良く強盗が入っただけのことだろうに。きっと疲れているんだ。
「ったく、勿体ないんだよ」
仮に、そんな魔法の薬があったとして。
それをこんなことの為に使ってしまうだなんて、なんて勿体ないんだろう。
いっそのこと、俺に死んでくれと願ってくれたら良かったのに。
そう願われたら、俺は一切の躊躇いもなく死んだだろう。きっとなんの感情も抱くことなく死ねる。死ねてしまう。考えれば考えるほど、それは魅力的に思えた。
俺にはこんな息苦しい毎日でさえ、のうのうと生きている資格なんてない。
俺は、幸せになってはいけないのだ。
頭の片隅で毎日「死にたい」と思いながら、それでも俺はまだ生きている。
無様にも生きているふりを続けている。
生きながらに死んでいる俺には、「死ね」という願いこそが丁度良い。
母さんに望まれて死ぬのなら、俺だって本望だ。
「……」
壁越しに、リビングから楽しげな声が聞こえてきた。時計の針は午後七時を指そうとしていたし、もしかしたら母さんは、小井川さんに手料理を振る舞っているのかもしれない。そう考えたところで、俺はようやく、自分自身も夕飯を食べていないことに気がついたのだった。
空腹感はあった。けれど、食欲が一切湧かない。
「まあ、良いか」
起き上がり、机に向かう。
ヒロと姫路さんに言われた通り、真面目に課題をこなすことに専念するとしよう。
別に、一食抜いたところで死にはしない。むしろ、身体機能を維持させようとする脳からの警鐘である飢餓感を敢えて無視するというのは、ささやかな自殺のようで、俺は好きだ。
「……さて」
机の上に課題を広げた。
今はとりあえず、補習課題をどうにかすることだけを考えよう。こういう現実逃避も思考停止も、いつものことだ。
なんということもない。
俺はなにも見ない。聞かない。考えない。
それで良いんだ。
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