7.古代椎良
十二月十一日。天気は晴れ。
片づけにある程度の目処をつけてから、俺はいつも通りに学校へ向かった。
いっそのこと、今日は学校を休んでしまいたかったけれど、母さんが行けと言うのだから仕方ない。朝から軽くランニングの登校となったが、その甲斐あって、朝休み終了のチャイムが鳴る頃には校舎内に入ることに成功した。ぎりぎりセーフ。
すっかり身体の温まった俺は、マフラーを外しながら共同玄関に入り、外履きから内履きへと履き替える。
そこでようやく、不自然な点に気がついた。
もうすぐ朝のSHRが始まる時間だというのに、玄関前の廊下には生徒が溢れている。
体育館から普通教室棟へと向かう生徒の流れから察するに、体育館のほうで集会かなにかがあったのだろうか。しかし妙だ。学年集会にしては、内履きの紐の色がばらばらだ。一年生から三年生まで、かなりごった返している。共通点があるとすれば、各々の教室へと戻る生徒の顔つきが、どこか興奮気味であることくらいか。
誰かがゲリライベントでも起こして、それが今しがた、騒ぎを聞きつけた先生方によって解散させられた――と言ったところだろうか。
このときはそれが妥当な予想であるとして、特に深く考えることはせず、俺はいつも通りに自分の教室である二年D組へと向かった。
この謎の騒ぎの影響か、朝のSHRは中止。特に連絡事項も変更点もなかったらしく、一限目が始まる前に担任が教室へ来ることもなかった。だからこの朝の騒動は、その程度のものだったのだろうと思っていたのだが。
「あれは叶え人の仕業だな。ああ間違いない。僕の冴えわたる灰色の脳細胞が、これこそ正解だと告げている」
昼休み。
ヒロがこんなことを言い始めたことによって、俺の立てた予想は崩壊したのであった。
「かなえびと? なにそれ」
購買で買ってきた惣菜パンを頬張りながら、ヒロに問う。
「あれ、お前知らないのか? 『叶え人』って都市伝説」
知っているのが当たり前であるかのように言われ、俺はすぐに脳内に検索をかけてみた。しかし、思い当たるものはなし。仮にマイナーなものだとしても、俺が知っている都市伝説と言えば、『きさらぎ駅』とか『八尺様』とか『くねくね』くらいのものだった。いや、あれは単に、洒落にならないくらい怖い話だったっけ。それさえ曖昧だ。
「知らない。もしかしたらローカルネタなんじゃないの?」
「そうなのかなあ」
首を傾げつつ、ヒロはお茶を飲んで話を続ける。
「『叶え人』ってのは、あれだよ。簡単に言うと、魔法の薬を飲んだ奴が、一番最初に聞いた願いを、なんでも聞いてくれるようになるって話」
「魔法の薬って……」
思わず、笑い飛ばしそうになる。しかしヒロは真面目な顔で話を続ける気らしいので、俺もその雰囲気に合わせ、咳払いののち、神妙な顔つきを装備した。
「馬鹿にでもわかるよう説明してやろう」
そんな要らぬ前置きをしてから、ヒロは『叶え人』という都市伝説について話し始めた。
「なんでも願いが叶う魔法の薬。そんな素敵なものが本当にあるなら、誰だって欲しいと思うだろ? なんと驚き、タダでその薬をくれる男が居るんだそうだ。特徴らしい特徴と言えば、そいつは全身真っ黒なスーツを着てることくらいだな。そいつに会うこと自体、難易度が馬鹿みたいに高いんだけど、会えれば魔法の薬が貰える」
「難易度が高い?」
「ああ。出没場所がとにかくばらばらなんだよ。廃工場とか路地裏とか、いかにもって場所に居た話があったかと思えば、ゲームセンターとかファミレスに居たりする。そいつと遭遇するのは、だからほとんど運次第みたいなものなんだ。しかも、願いごと次第じゃあ会えても薬が貰えねえんだって」
弁当に入っていた唐揚げを一口で頬張ってから、でさ、とヒロは続ける。
「これが『叶え人』の話で一番重要なんだけど、その薬は自分で飲んじゃいけねえんだ。誰か、自分以外の奴に飲ませなきゃいけない」
「どうして?」
「願いを叶えた叶え人は、死んじまうからだ」
死ぬ。
その言葉に、たかが都市伝説の話なのに、俺の心臓はちくりと痛んだ。
「薬を飲むと、その願いがどんなものであろうと、それを叶える為に死力を尽くすようになる。だから薬を飲ませられた奴のことを叶え人って呼ぶんだけど――例えば、借金で首が回らなくなったAさんが『お金が欲しい』とBさんに願った場合、叶え人になってしまったBさんはどうすると思う?」
「……銀行強盗?」
突然の問いかけに、ぱっと思いついたのはそれくらいだった。
ヒロは、正解、と頷く。
「Aさんの願いを叶える為に突発的に銀行に押し入ったBさんは、その無計画さからすぐに逮捕される。逮捕されて、刑務所行き。出所しても前科者だ。社会的には死んだも同然だろ?」
「なんだ、死ぬってそういう……」
「いや、マジに死んじまうこともあるけどな」
安堵しきった俺にたたみ掛けるように、ヒロは言った。
「死ぬって、本当の本当に? 絶命するって意味で?」
「そうだ。極端な例になるけど、地雷原を歩けって願われたら、叶え人は躊躇せずに歩くらしいぜ。それなら本当の本当に絶命するだろ」
「あ、そっか……」
頷きながら、やっぱり初めて聞く話だと思う。
「叶え人に遭遇したら気をつけろよ、椎良。奴らは願いを叶える為ならなんでも――本当になんでもする。願いを叶えるまで止まらないんだ。下手に関わって叶え人の妨害なんてしようものなら、こっちが殺されるぜ」
仰々しく、しかし楽しげに話すヒロ。
俺もそれに便乗して、さらに質問をしてみる。
「でもさ、誰が叶え人かなんてわからないんじゃないの? 『私が薬を飲みました』ってプラカードを持ってるわけじゃないでしょ?」
「そんなにわかりやすいもんを掲げてはねえけど、それなりに目立つ特徴がひとつある」
ヒロは自身の右目を指差し、にやりと笑う。
「叶え人の目は、血みたいに真っ赤なんだってよ」
「え、充血してんの」
「違えよ馬鹿。瞳の色自体が赤いってこと」
「そりゃすごい」
パンを食べ終え、食後の紅茶を楽しもうと紙パックにストローを刺しながら、俺は納得する。
瞳の色が赤くなるとあれば、さぞ目立つことだろう。
「もしかしてヒロって、叶え人に遭ったことでもあるの?」
「うんにゃ。僕の隣でのべつ幕なしにそういう話をする奴が居たから、不本意ながら僕まで詳しくなっちまっただけ」
「そうなんだ……」
幅広い友人層だなあ。
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