5.伊神澄子
「――っ」
咄嗟に、近くにあった試験管を一本掴み、井東さんにぶつけました。
わたしが井東さんに殺されてしまうくらいなら、いっそのこと、わたしが井東さんを殺してしまえば。
そうすれば、井東さんに罪がかかることはありません。
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい――!」
謝罪の言葉を繰り返しながら、わたしは手当たり次第に試験管を投げつけました。
井東さんに当たったそれらは、その衝撃で割れ、ガラス片が散らばります。たちまちのうちに、井東さんもわたしも傷だらけになりました。その傷口に、試験管に入っていた液体が沁みてきて、じんじんと痛み出します。しかしそれでも、双方動きが止まることはありませんでした。
と。
「ぐっ……、う、がぁ……っ」
突然、井東さんが呻き声を上げたのです。
試験官が急所に当たったのではありません。
ガラス片が刺さったわけでもありません。
それでも井東さんは、確かになにかしらのダメージを負った表情をしていました。
頭を抱えてわたしから離れた井東さんは、とても苦しそうに顔を歪めています。
「こ、コロさナい? コロせころサナイ、だめダころしちゃこロせだめだころせ――」
見れば、井東さんの瞳の色は赤から青、そして緑へと変色していました。
赤い色の瞳というのは、元々は先天性白皮症――アルビノのヒトが持つ瞳の色です。大量の色素欠如によって、血の色がそのまま瞳の色となるのです。
一般的な日本人である井東さんの瞳の色は、ブラウン。
つまり井東さんの瞳が赤くなったのは、桜介さんが造ったあの薬――スクラヴに原因があると考えるのが妥当です。
しかし今、井東さんの瞳のメラニン色素は、徐々に元の状態に戻ろうとしています。それは薬の効果が薄れてきているという、なによりの証拠に思えました。
なにがきっかけとなったのでしょう。
井東さんから距離を取りながら、考えます。
わたしの声で、我に返った?
あの一瞬の動きの鈍りは、わたしの見間違いではなかった?
いいえ、そんな浮ついた期待が原因のはずありません。試作段階であるらしいとはいえ、桜介さんは井東さんに薬を注入し、わたしを殺すよう命令したのです。わたしの声如きで効果の鈍る薬で、桜介さんが満足するわけがありません。
そうなると、残る可能性はひとつ。
それは、作業台の上にあった試験管――その中身です。
無我夢中で投げた試験管。
その中には、水色とも緑色ともとれる液体が入っていました。
投げつけた試験官は井東さんに当たって、周囲にガラス片を撒き散らしました。その破片で、わたしも井東さんも軽く皮膚を切っています。その傷口から試験管の中身が沁みて、若干ながらも、それが効果を発揮したのではないでしょうか。
であれば、これはスクラヴに対するワクチン足り得るはずです。
「……っ」
軋む身体を引き摺って、床に転がっていた未使用の注射器を手に取りました。
慎重に試験管の中身を注射器へと移し、そして。
わたしは井東さんの腕に、力いっぱい注射器を突き刺しました。
「お願い井東さん、元に戻って……!」
痛切に、切実に、願います。
これがワクチンであってほしい、と。
「ぐっ……、や、メろ……!」
振り払われた手によって、わたしは再び弾き飛ばされます。大きな音を立てて、わたしの身体は再び壁に叩きつけられました。もう、意識を保つのも限界です。
それでもどうにか飛びそうになる意識を捕まえて、井東さんの状態を確認します。
果たして、井東さんの瞳の色は戻っているのでしょうか。
「がっ……あ、ぐ……」
両手で頭を抱え、苦しむ井東さん。
その、瞳の色は――
「戻っ、た……」
伊藤さんの瞳の色は、見慣れた茶色に戻っていました。
あれは間違いなく解毒効果をもたらしたのです。
良かった。本当に良かった。
これでようやく、桜介さんの後を追いかけられる。
今なら、そう遠くへは行ってないだろうから、まだ追いつける。
「桜介、さ……」
焦る気持ちとはうらはらに、散々ぱら痛めつけられた身体は遂に限界を迎え、床へと倒れ込んでしまいます。
そしてそのまま、わたしの意識すら、まどろみへと誘っていくのでした。
感想や評価等、お気軽にどうぞ!




