第49話
王都での式典を終え、二人は辺境への帰路についた。
冬の街道は、すでに薄く雪化粧を始めていた。馬車の窓から見える野も山も、銀の薄い布をかけたように、白く静かだった。アネットは温かい毛布に包まれ、ガルシアの肩にもたれて、長い旅程を過ごした。話す言葉は少なかったが、沈黙の質が、これまでとは違っていた。
六日目の昼過ぎ、馬車はヴォルクハイムの街道に入った。
街門の向こうから、いっせいに歓声が上がった。
街門前の広場には、街中の人がいた。
冒険者ギルドの男たちが先頭で剣を掲げ、女たちは色とりどりの花の飾りを振り、子供たちは大声で名を呼んでいた。グレタが大柄な体で先頭に出て、手を腰に当てて、よく通る声で号令をかけた。
「閣下! 御夫人! お帰りなさいませ!」
御夫人――その呼び名に、アネットは一瞬、誰のことかと耳を疑った。それから、深く頭を下げた。御夫人は、自分のことだった。馬車を降りると、子供たちが押し寄せてきて、ジャンが結婚式に持ち込んだのと同じ薬草の小束を、何人もが手に握って差し出した。
「先生! お帰りなさい!」
「ただいま、戻りました」
アネットは膝を折り、子供たちの一人ひとりと、目線を合わせて挨拶した。
ガルシアは隣で、街の男たちと固い握手を交わしていた。武人の握手で、皆、満足げに頷き合っていた。
数日して、街と城の生活が、新しい形に整い始めた。
アネットは、薬草店の経営を、街の若い娘――エマに任せた。
エマは、戦の年に看護要員として店に通っていた、十九歳の娘だった。母が街の薬師組合の薬師で、彼女自身も子供の頃から薬草に親しんでいた。アネットの推薦で薬師組合に正式に登録され、店の鍵を引き継いだ。
「先生、本当に、私が継いでよろしいのですか」
「あなたなら、できます」
アネットは、母から受け継いだ手記の写しを、エマに手渡した。
「もし分からないことがあれば、いつでも城に来てくださいな。私は、薬の机から離れたわけではありませんから」
エマは、両手で写しを抱きしめ、深く頭を下げた。
アネットの居は、城に移った。
夜、ガルシアと並んで眠り、朝、彼の温かさに目覚める。長く独りで過ごした寝台が、今は二人のものになっている――その実感に、アネットは慣れるまでに、しばらくかかった。
けれど彼女は、毎日のように、店にも顔を出した。エマの調合の相談に乗り、難しい症例があれば自分で診て、街の人々の様子をひとしきり聞いて帰る。城と店を往復する生活。それは、彼女自身が望んだ形だった。
ある日、ガルシアが店までの石畳の道を、共に歩きながら、ぽつりと言った。
「お前は、城の奥に閉じこもらないな」
「閉じこもれば、薬師でなくなってしまいます」
「俺は、それでも構わなかった」
「私が、それでは困るのです」
アネットは、街並みを見渡した。
冬の薄い光の中で、商人が荷を下ろし、子供が駆け、女たちが井戸端に集っている。一年余り前、誰一人として彼女に話しかけてくれなかった通り。その同じ通りに、いま、自分の名前を呼んで挨拶してくれる人々がいる。
「ガルシア様」
「うむ」
「私の居場所は、ここです」
彼女は、言った。あの夜、追放されて辺境に着いた最初の夜に、母に向かって独白した同じ言葉を、今度は確信に満ちた声で、夫の隣で告げた。
「城も、店も、街も、薬草園も、私の場所です」
ガルシアは、微笑んで頷いた。
「俺の場所も、ここだ」
石畳の上を、二人の足音が、ひとつのリズムで響いていた。
その夜、城の窓から、満ちた月が、二人の寝室を照らした。
ガルシアは、アネットの肩にそっと腕を回し、彼女の額に唇を寄せた。アネットは目を閉じて、夫の体温に、深く身を委ねた。
もう、何にも追われてはいない。誰にも追放されていない。誰にも何も、奪われない。
明日、新しい一日が、また辺境の街に降りてくる。アネットは、その朝を、安らかに、楽しみに、待っていられた。




