第45話
判決の発効まで、わずか数日となった頃のことだった。
ヴォルクハイムの街門に、地味な一頭立ての馬車が、ゆっくりと近づいてきた。御者は荷物を運ぶ平民の風体で、馬車の中には、外套を目深に被った若い男が一人座っていた。街門の兵が形式の問いをかけると、男は外套の下から書状を出した。
ベルクマン家の――もはや「元」と冠すべき家紋。
兵は、すぐに城へ伝令を走らせた。アネットは、城の作戦室で薬の備蓄を確認していたところに、ガルシアと共に報告を受けた。
「ヴィルフリート・ベルクマン、廃嫡執行前の最後の数日に、お前への面会を願って参った」
「お会いになる必要は、ございません」
即答した。けれど、しばらく考えて、首を傾けた。
「いえ……一度だけ、お会いいたします」
ガルシアが、わずかに眉を寄せた。
「無理をするな」
「無理ではございません。私のけじめでもあります」
アネットは、静かに告げた。
「あの夜会の日の判決を、私の中で、まだ正式に下しておりませんでした。今日、私から下します。一度だけ、面と向かって。それで、終わります」
ガルシアは、しばらくアネットの目を見ていた。それから、深く頷いた。
「分かった。ただ、傍に俺を置け。お前を一人にはせぬ」
アネットは、その言葉に頭を下げた。
城下の小さな客室で、面会は持たれた。
卓を挟んで、アネットが座り、ヴィルフリートが座った。アネットの斜め後ろには、ガルシアが立った。剣は帯びていなかったが、彼が立っているだけで、空間の支配者は明らかだった。
ヴィルフリートは、痩せていた。
以前の華やかさは、もう微塵も残っていなかった。頬の青さに、長い病からの回復が追いついていない。それでも目には、何か必死なものが宿っていた。
「アネット」
彼は、座るなり、頭を下げた。
「一年余り前の夜会の、私の振る舞いを、心から謝罪する。リリィに惑わされていた、と弁解するつもりはない。私自身が、君を、本当に正しく見ていなかった。それが、すべての始まりだった」
「ご謝罪、承りました」
アネットは、平静に答えた。
「お続けください」
ヴィルフリートは、わずかに息を呑んだ。
「廃嫡が、目前です」
彼は、絞り出すように告げた。
「ベルクマン家は、弟が継ぎます。私は、貴族籍は残るものの、政治の場には二度と立てない身となります。それでもなお――どうか」
彼は、卓に両手をついた。
「もう一度、私と婚約を、結び直してはくれぬか。すべてをやり直したい。アネット、君が、本当に必要だ」
アネットは、しばらく無言だった。
怒りも、皮肉も、もう湧かなかった。むしろ、不思議なほど穏やかな静けさが、胸を満たしていた。彼女は深く息を吸い、ヴィルフリートの目を、まっすぐに見た。
「ヴィルフリート様」
「うむ」
「あなたは一年前、私を選びませんでした」
声は、平らだった。けれど揺るぎがなかった。
「華がないと仰いました。薬種屋の真似事と仰いました。リリィ嬢を見習え、と仰いました。あの言葉の一つ一つを、私は今でも、覚えております」
「アネット、それは……」
「ですから、私もあなたを、選びません」
ヴィルフリートは、口を開いて、閉じた。
「あの夜会の判決を、王太子殿下が下されました」
アネットは、続けた。
「けれど、あなたと私の間の判決は、まだ下されておりませんでした。一年半、私は答えを保留しておりました。今日、私から下します。あなたと私の道は、すでに、別々のものとなっております。これが、私の最後の判決でございます」
彼女は、深く頭を下げた。
「お引き取りくださいませ」
ヴィルフリートは、しばらく動けずにいた。
やがて、彼は項垂れたまま、ゆっくりと立ち上がった。礼の言葉も、抗弁の言葉もなかった。馬車に乗り込んだ彼の背を、アネットは扉の前で、静かに見送った。
馬車が街道の彼方に消えるまで、ガルシアは何も言わずに、ただアネットの肩に手を置いていた。




