表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
聖女の奇跡? それは毒ですが?  作者: 小林翼


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
40/50

第40話

 夜明け前の、ヴォルクハイム城の中庭。


 松明の光に照らされて、辺境伯軍の出陣が、最終段階に入っていた。馬の嘶き、武具の触れ合う音、隊長の指示の声。漆黒の鎧に身を包んだガルシアが、馬の傍らで最後の指示を出している。アネットは、城の入口に立ち、その光景を見ていた。


 彼女もまた、戦場へ赴く支度を整えていた。


 看護要員の前掛けの下に、母の手記の写しを胸に巻き付け、薬の入った革袋を二つ、肩から提げる。野戦病院の道具を積んだ馬車三台が、城門のそばで出発の合図を待っている。


 ガルシアが、隊列の調整を終えて、こちらへ歩いてきた。



 彼の前に立つと、急に、言葉が出てこなくなった。


 昨夜、執務室で何時間も話したはずだった。手順、連絡、最悪の事態の備え。すべて、論理的な確認は終えていた。けれど今、いざ別れの瞬間に立つと、論理の言葉では足りない何かが、胸を塞いだ。


「アネット」


「はい」


「俺は、約束をする。戦士の約束は、軽くない」


 ガルシアの赤い瞳が、夜明け前の薄暗がりの中で、まっすぐにアネットを見た。


「絶対に、死なない」


 短い、けれど鉄のような声だった。


「お前を残して、死んだりしない。お前の元へ戻る。約束する」


 アネットは、頷くしかなかった。


 すぐに頷いたのは、彼の言葉を信じたからではない。信じる、ではなく、信じたい、と願ったからだった。戦場で、約束はいつでも破れる。けれど彼が、自分のためにその約束をしてくれたという事実だけが、いま、何よりも温かかった。


「ご無事で」


 声が、震えた。


「お前もな」


 ガルシアは、アネットの手を、一瞬だけ強く握った。それから、踵を返し、馬の鞍に手をかけた。


 角笛が鳴り、漆黒の旗が高く掲げられた。辺境伯軍は、まだ朝日も差さぬ街道を、東部国境へと進発していった。



 四日後、戦場の後方およそ五里の地点に、野戦病院が立ち上がった。


 白布の天幕が十二張、長椅子と寝台が並び、薬の樽が運び込まれる。アネットは中央の天幕で指揮を執り、看護要員の四十名が、それぞれの持ち場で物資の最終確認をしていた。


 遠く東の空に、黒い煙が、何条も立ち上っている。


 戦闘は、すでに始まっていた。


 最初の負傷兵が運ばれてきたのは、戦闘開始から半時もせぬうちだった。落馬した若兵、矢傷の従士、剣で腕を斬られた従卒。アネットは持ち場ごとに看護要員を配し、自身は重症者の判別と処置を一手に引き受けた。


「次、こちらへ。意識のある者は、後方の天幕へ。意識のない者は、私の側へ運んで」


 声を張った。看護要員たちが機敏に動き、傷兵が流れるように天幕を行き交った。



 日が高く昇るにつれて、運び込まれる兵の数は、加速度的に増えていった。


 矢傷、剣傷、馬の蹄に踏まれた者、火傷、骨折。中には、明らかに毒矢で射られた者もいた。アネットは矢傷の毒を見分け、解毒の薬を手早く投じ、次の患者へと駆ける。額に浮かぶ汗を拭う暇もなかった。


「先生、危ない兵がもう一人!」


「こちらへ! 周囲は下がって、空気を入れて!」


 声が枯れてきた。それでも止まれない。一人、また一人、命を留める。それが今の自分の戦だった。


 夕刻、戦闘の第一日目が終わるという伝令が走った。前線は持ちこたえている。辺境伯軍は東部諸侯と連携し、帝国軍の進軍をいったん食い止めたという。アネットは、わずかに肩の力を抜いた。


 その時、新しい伝令が、息を切らせて天幕に駆け込んできた。


「アネット殿! 至急、こちらへ! 重症者を、運んでおります!」


 血相の変わった伝令の顔を、アネットは見た。ただの重症者ではない、と直感した。


「誰、ですか」


 伝令は、声を絞り出すように告げた。


「ヴォルク辺境伯閣下です」


 アネットは、薬瓶を、取り落としかけた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ