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聖女の奇跡? それは毒ですが?  作者: 小林翼


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第38話

 リリィの取り調べが進むにつれて、彼女は次第に口を割り始めた。


 最初の三日は完全に黙秘した。けれど査問官が、彼女の身に巻いていた絹の帯の織り目に、イルマリア帝国西部の特殊な紡織技法が用いられていることを示すと、リリィの肩がわずかに震えた。


 彼女は元々、ベルガリア人ではなかった。


 帝国諜報部に育てられた工作員。十六で「グレイ男爵家養女」の偽装を施され、王太子の側近に近づくよう命じられた。リリィの本名は、もう本人ですら、思い出せないと言った。


 査問官の前で、彼女は最初の偽装が剥がれてから、ぽつりぽつりと、計画の概要を吐いた。



 計画名は、《静かなる毒》。


 ベルガリア中枢を、十年以上をかけて緩慢に弱体化させ、その瓦解に乗じて、東部国境から軍を進める。これが帝国の長期計画だった。十年前のリリィの先代、五年前の中継工作員、そして三年前から動き出したリリィ自身。三世代にわたる工作員の派遣は、すべてこの計画の段階だった。


 《静かなる毒》の最終段階の合図は、ベルガリア王家に大規模な機能不全が発生した瞬間。


 その合図は、すでに送られていた。


 あの夜会の夜、衛兵に引かれていく際にリリィが空中の一点を見つめたあの視線は、合図の確認だった。広間のどこかに紛れていた帝国諜報部の連絡員が、本国へ「中央の機能不全を確認」の報せを、すでに送り届けていた。


 帝国軍は、すでに東部国境を越え始めていた。



 王城の作戦本部に、急報が次々と入る。


 国境の砦が二つ、開戦初日に陥落した。第三の砦が、激しく抵抗中。帝国軍の先遣は、国境からおよそ三十里、ベルガリア東部の要衝に向けて急進中。


 王家直属軍は、出陣の準備に入った。けれど、深刻な問題があった。


 王太子と高位貴族の半数が、まだ病み上がりだった。回復はしたが、長距離行軍に耐えられる体力がない。指揮系統の上層が、半ば空席のままだった。中央軍は、騎馬指揮官を集めるだけで、平時の三分の一の動員に留まっていた。


 戦力は、致命的に、足りていない。



 その日、辺境の城へ、王家直々の急便が届いた。


 書状を読んだガルシアは、しばし無言で天井を見上げた。それから、執務室の壁の地図に、新しい印を打った。


「中央が、我ら辺境伯軍に、援軍を求めてきた」


 卓の向かいで、アネットは深く頷いた。


「お受けに、なるのですか」


「受ける」


 即答だった。


「中央への憎しみと、王国そのものへの責任は、別だ。ベルガリア王国が侵略されれば、辺境も焼かれる。それに、お前の卸した解毒薬で救われた命を、改めて戦場で散らせるのは、忍びない」


 ガルシアの声は、静かだったが、強かった。



「加えて、中央からの要請は、こうだ」


 ガルシアは、書状の末尾を、指差した。


「ヴォルクハイム辺境伯ガルシア・ヴォルクを、王家直属軍と辺境伯軍の連合軍の、共同総司令官の一人に任命する――王家の名で、正式に」


 アネットは、息を呑んだ。


 共同総司令官。それは、辺境伯にとって、王家から贈られる最大の名誉の一つだった。同時に、戦場の最前線に立つことを意味する、最も重い責務でもあった。


「ガルシア様……」


「俺の使命だ」


 ガルシアは、地図に向き直った。


「父上が叶えられなかった――辺境と中央の融和を、戦場での共戦で果たす。皮肉な道筋だが、これが俺の代に巡ってきた役回りなら、引き受ける」


 彼は、アネットを振り返った。赤い瞳に、武人の覚悟と、わずかな寂しさが、同時に灯っていた。


「お前は、街に残れ。野戦病院の総指揮を、お前の名で頼む。辺境の女たちを、看護要員として組織してくれ。お前のいるべき場所は、戦場の傍らだ」


「はい」


 アネットは、深く頭を下げた。


 窓の外で、出陣の角笛が、低く長く、響き始めていた。


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