第37話
王城の地下、特別査問の取調室で、リリィは椅子に縛られていた。
白いドレスは、もう着ていなかった。地下の冷気を防ぐだけの粗末な麻の衣に着替えさせられている。化粧は剥がれ、髪は乱れ、けれどその瞳の奥には、未だ最後まで諦めきらぬ強い光があった。
査問官が、彼女の手元から押収された装身具を、卓に並べた。
胸元に常に下げていた、銀の小さな香炉。腕の内側に巻いていた、絹の薄い帯。耳飾りの裏側の、ほとんど見えない切り欠き。それぞれから、検査担当の薬師が、未知の植物の微量な粉を採取した。
粉は、辺境のアネットへ、急ぎ送られた。
ヴォルクハイムの店で、アネットは送られてきた粉を、母の手記の処方と慎重に照合した。
苦麦草を変成した、揮発性の植物毒。母が十年前に書付に記した、まさにその毒だった。香炉から立ち上る煙、絹の帯の繊維、耳飾りの裏に塗られた粉。リリィは「光魔法」を装うため、これらを巧妙に組み合わせて使っていた。
アネットは、検出結果と、解毒薬の改良処方を、王城へ送り返した。
同時に、辺境の薬師組合は、量産の構えに入っていた。冒険者たちが、解毒薬の入った樽を馬に積み、街道を王都へと駆けた。グレタが先頭に立ち、護衛の冒険者を百人規模で動員してくれた。
解毒薬の到着で、状況は劇的に変わった。
王太子は三日目で意識を取り戻した。倒れた貴族の大半は、十日以内に容態が安定した。重症化していた幾人かも、二週間で起き上がれるようになった。死者は、結果的に一人も出なかった。
中央の認識は、その間に、急速に書き換わっていった。
「奇跡の聖女」が、毒を盛っていた工作員だった。一年前に追放された薬師の娘こそが、母から受け継いだ知識で、いま中央の半数の貴族を救っている。
社交界で、人々の口にのぼる名が、一つだけになった。
アネット・モンフォール。
ベルクマン侯爵邸でも、ヴィルフリートが意識を取り戻していた。
彼は寝台の上で起き上がる力を、まだ持たなかった。けれど頭は、これまでで最も明晰だった。母も同じく回復に向かい、長い昏睡から戻った夫人は、静かに息子の手を握った。
「ヴィル……私は、長い夢を見ていたわ」
「ええ、母上」
「あの夜会の夜の、アネット様の言葉を。何度も思い出していたの。『王都には、毒が満ちている』」
ヴィルフリートは、目を伏せた。
謝罪の言葉を、何百と頭の中で並べていた。けれどそのどれもが、自分の犯した過ちの大きさには、まったく足りなかった。
彼は寝台の上で、ヴォルクハイム宛ての手紙を書いた。
《一年前の私の振る舞いを、深く詫びます。直接、お会いしてお詫び申し上げたい。お許し願えるなら、ヴォルクハイムへ伺わせていただきたく》
その手紙は、辺境の城に届いた。
ガルシアが、執務室で、それを読んでいた。アネットは隣に座り、卓越しに、彼の表情を見ていた。
「お前、どうしたい」
ガルシアは、短く尋ねた。
「お会いするつもりは、ございません」
アネットは、迷いなく答えた。
「あの方とは、もう、語る言葉が、ございません」
「了解した」
ガルシアは、即座にペンを取り、返書を書いた。文面は、簡潔だった。
《ベルクマン侯爵子息、御来訪を受け付けず。本件は、辺境伯ガルシア・ヴォルクの権限において、固く謝絶する》
封蝋を押す手は、躊躇いがなかった。アネットは、深く息をついた。重荷が、ひとつ、肩から落ちた気がした。
数日後、王家から、正式な書状が届いた。
《王家は、一年前のアネット・モンフォール殿への処断を、誤りと認める。これを公文書に記し、永代に渡って訂正の意を表明する。あわせて、王家を代表し、深く謝罪を申し上げる》
古い友人クラリッサからの私信が同封されていた。短く、こう書いてあった。
《アネット、ようやく、ようやく、王家の名で、あなたに頭を下げる日が来ました》
アネットは、書状をそっと畳んで、母の手記の隣に置いた。
春の朝の光が、それらを、柔らかく照らしていた。




