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聖女の奇跡? それは毒ですが?  作者: 小林翼


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35/50

第35話

 翌朝、アネットの店の机には、五枚の羊皮紙が並んでいた。


 徹夜で書き上げた、五通の書状の写しだった。


 一通目は、王城の老侍従長宛て。母の十年前の書付の写しを添え、リリィの背後にある組織の存在を、王家の最も信頼できる老臣に向けて、正式に告発する書状。


 二通目は、父――モンフォール伯爵宛て。中央側で動いてくれる協力貴族の名簿を、父からも更新してほしいという依頼。


 三通目は、クラリッサ宛て。中央でリリィに近い貴族令嬢たちを、密かにこちら側に取り込むための、彼女ならではの動き方を相談する書状。


 四通目は、辺境の薬師組合宛て。母の手記の処方の一部開示と、戦時備蓄量の協議を提案する公文書。


 五通目は、ガルシアの密偵頭宛て。リリィの前任者の痕跡を、十年前にさかのぼって追ってほしい、特に中央の薬学院の登録外で活動していた者の記録を、隅々まで掘り起こしてほしい、という指示。


 アネットは、五通すべてに封蝋を押し、城の使者へ託した。



 午前の薬庫の整理を終えた頃、ガルシアが店に立ち寄った。


 アネットは、五通の写しを差し出して、簡潔に説明した。ガルシアは黙って読み、最後の一通の指示書まで読んだあと、低く頷いた。


「五方向から、同時に絞っていくのだな」


「はい。一方向からの動きでは、相手は逃げます。十年前と同じように」


「お前、軍師でもいけるな」


 ガルシアの口元が、わずかに緩んだ。アネットも、控えめに笑い返した。


「軍師は遠慮します。私は、薬師でいたい」


「そうしてくれ。お前に剣を持たれたら、俺の出番がなくなる」


 冗談めいたやりとりの裏で、二人とも、目は笑っていなかった。


 戦は、もう、すぐそこまで来ていた。



 数日のうちに、五通の書状の返信が、それぞれ届きはじめた。


 老侍従長は、母の書付の写しを、王自らに直接届けた。王は深く沈黙したのち、リリィの極秘調査の権限を、王家直属の特別査問に格上げした。


 父からは、二十数家の協力者の名簿が届いた。多くは、ベルクマン侯爵家のように一族から犠牲者を出した家。家督を握る当主たちが、ようやく目を覚ましつつあった。


 クラリッサからの返信は、短く、熱かった。《動きます。私の名で、中央の若い令嬢たちを取りまとめます。あなたの薬を、信じる者の側で》。


 辺境の薬師組合からは、組合員七名の連名で、即時の協力承諾の書状が来た。母の手記の処方は、組合の責任において厳重に管理し、戦時に備えた量産体制の準備に、即日着手するという。


 密偵頭からは、十年前の薬学院の卒業者名簿の写しと、登録外で活動していた者の手がかり、いくつかの古い噂話が、几帳面に整理されて届いた。



 春の終わり、辺境の城の作戦室では、地図と書類が壁一面に貼られていた。


 ガルシアの隣で、アネットは指で地図を辿った。


「中央側の解毒薬の配給ルート。商人ヴェルニ商会と、クラリッサ様の侍女頭マーサさん経由の二本立てで、信頼できる家にだけ届きます」


「東部国境の軍備は、辺境伯領軍とベルガリア東部諸侯の連携で固めつつある。王家からの正式な指揮権は、まだ降りていない」


「リリィの前任者の手がかりは」


「四件、見つかった。十年前から十二年前にかけて、王都とその周辺で『治癒師』を名乗っていた女が四人。皆、同様に、過去の記録が空白だ」


 アネットは、地図の上の四つの古い印を、しばし見つめた。


 四人。リリィを入れれば、五人。十年以上にわたって、ベルガリア王国の中枢に、五人もの工作員が送り込まれていた。


「組織は、思ったより、根が深いです」


「だから、根を断つ」


 ガルシアは、地図に印を押した。アネットは、深く頷いた。


 包囲網は、ゆっくりと、確実に、閉じ始めていた。


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