第33話
ガルシアが王都へ駆けていった、その翌週のことだった。
アネットの店に、王都からの早馬が一通の書状を届けた。蝋封は、モンフォール伯爵家の紋章。父からの、追加の手紙だった。
通常の手紙にしては、分厚すぎた。アネットは店仕舞いをしてから、二階に上がり、ろうそくを灯した。
封を切ると、中には父の手紙と、もう一通、別の古びた紙束が入っていた。紙束は折り目が黄ばみ、紙の縁は擦り切れている。父の手紙が、まずその紙束の出所を説明していた。
《これは、お前の母の遺品の中に、密かに紛れていた書付だ。長い間、私もその存在を知らなかった》
《王家の母の調査が始まったことを受け、母の侍医時代の私的な書類を、もう一度すべて探した。書斎の天井裏、年代物の薬箱の二重底に、隠してあった》
《お前にも、読む権利がある。十年前、母が何を見ていたかを》
アネットは、震える手で紙束を開いた。
母の几帳面な筆跡。日付は、母が亡くなる、わずか半月前。それは、王家への正式な報告書になる前の、下書きだった。
《一二月七日。王城の夜会にて、ある令嬢の不審な行動を目撃。彼女が同席する茶会の出席者から、原因不明の倦怠感、痺れ、夜咳の訴え、相次ぐ。彼女の周囲で、特定の薬草の香気を感じる――苦麦草を変成した、揮発性の強い植物毒の可能性あり》
《一二月十日。同令嬢の調剤師の助手と称する者を発見、当該者は登録された薬学院の卒業者にあらず。経歴の照会、進捗なし》
《一二月十五日。本件、王家侍従長に正式の報告書として提出予定。下書きを密かに保管》
日付は、そこで途切れていた。
その三日後、母は突然の高熱を出して床に就き、十日後には亡くなった。
症状は――倦怠感、痺れ、夜咳、そして最後に高熱と昏睡。
いま中央で、リリィの「治癒」を受けた者たちに出ている症状と、寸分違わぬ、同じものだった。
アネットは、紙束を膝の上に置いたまま、しばらく動けなかった。
頭の中で、十年前と現在が、繋がった。
母は、リリィではない。けれど「同じ役割を担った別の女」を、見つけていた。リリィの先代の工作員。十年前にも、その者は王家の中枢に紛れ込み、貴族たちに毒を盛っていた。母はそれに気づき、王家への正式な報告に、あと数日というところで――殺された。
母の死は、流行病ではなかった。
その「先代」の女、あるいは彼女を送り込んだ組織の手で、口を塞がれていた。十年経った今、新しい工作員、リリィが、まったく同じ手口で同じことをしている。
涙は、出なかった。
代わりに、胸の奥で、これまで感じたことのない種類の感情が、静かに、しかし鋭く立ち上がっていた。
怒りでは、足りない言葉だった。憎しみでもなかった。それは、もっと冷たく、もっと正確で、研ぎ澄まされた決意のような何か。
絶対に、暴く。
アネットは、書付を几帳面に畳み、母の手記の表紙の内側に、そっと挟んだ。
ろうそくの炎を消す手は、もう震えていなかった。
窓の外で、春の夜風が、薬草園の苗を撫でていく音がする。アネットは長く、夜の闇を見つめていた。
「お母様」
声に、出してみた。
「お母様の見ていたものを、私が、最後まで見届けます。十年遅れましたけれど、必ず」
返事はなかった。
けれど、母の手記の表紙に挟んだ書付のあたりが、ほのかに、温かい気がした。書付の重みが、何かを、自分に託した気がした。
階下では、店の表で犬が遠吠えしていた。
アネットは机に向かい、新しい羊皮紙を広げた。今夜のうちに、ガルシアと、父と、クラリッサに、この事実を伝える書状を書かねばならない。包囲網を、完成させるための、最後の駒が、ここに揃った。
ペンを取った手は、迷いなく、動き始めた。




