第31話
春が深まるにつれて、ヴォルクハイムを訪れる者の顔ぶれが、少しずつ変わってきていた。
冒険者と隊商の出入りは、いつも通り。けれど、それに混じって、明らかに毛色の違う旅人が増えていた。中央の貴族の使いを名乗り、解毒薬の追加を求める商人。手土産の挨拶と称して、店内をやたらに見て回る婦人。それから、東の訛りを微かに混ぜた、外国人風の男たち。
その男たちが、特に気になった。
彼らはアネットの店の前を、用もないのに何度も通り過ぎる。冒険者ギルドの酒場で、薬の話を遠回しに尋ねる。城下の宿に泊まり、夜中に裏路地を歩いている――そういう報告が、グレタ経由でガルシアの元へ、次々と上がってきた。
ガルシアは、辺境伯領の諜報網を、夏前から本格的に動かしていた。
ヴォルクハイム辺境伯家には、代々、密偵の家系があった。竜人の血を引く戦士の影で、人間の姿で街道や宿場、酒場や港で耳を澄ます一族。表に出ることは少ないが、辺境を守るためには、剣以上に頼みになる手だった。
彼らは網を絞り、裏路地で動く外国人たちの後をつけた。
報告は、不穏なものだった。男たちはアネットの店から薬を入手しようと、客のふりをして買い、それを宿に持ち帰り、何かを溶かして成分を分析しているらしい。残った薬包紙を、海岸の方角の使いに渡している。海の向こうへ、運ばれている。
ガルシアは執務室で、報告書を捲りながら、低く唸った。
「中央の貴族が、薬の処方を盗もうとしているなら、ここまで手の込んだことはせん」
卓の向かいで、アネットも報告書に目を走らせていた。
「貴族の使いなら、堂々と買い付けに来る。あるいは、賄賂で職人を引き抜こうとする。これは、別の動きだ」
「外国の国家が、関わっている、と」
「その公算が高い」
ガルシアは、地図を広げた。ベルガリア王国の東に隣接する、広大な隣国。
「イルマリア帝国。ここ十年、ベルガリアとの国境で小競り合いが続いている。表向きは商業国家だが、裏では諜報網を世界中に張っているという噂がある」
アネットは、地図の上のイルマリアの領土を、しばし見つめた。
胸の奥に、小さな氷の粒のような不安が、生まれていた。
「ガルシア様。一つ、お願いしてもよろしいですか」
「言ってみろ」
「リリィ嬢の、グレイ男爵家養女になる以前の経歴を、お調べいただけませんか。彼女は確か、十六の年に養女に入ったと聞いております。それ以前の彼女が、どこで生まれ、どう育ったのかを」
「すでに密偵を走らせている」
ガルシアは、別の報告書を抜いた。
その報告書は、奇妙なほど薄かった。
グレイ男爵家の記録。リリィを養女として迎え入れた経緯。仲介者の名。すべて、表向きは整っていた。けれどそれより前――リリィという娘が、どの孤児院から来たのか、どの平民の家で育ったのか、どの教会で洗礼を受けたのか。
その記録が、どこにも、ない。
仲介者として記された商人の家を密偵が訪ねると、家ごと十年前に焼け、住人は全員死亡していた。リリィの「平民出身」の物語の、全ての証人が、すでにこの世から消されていた。
「あまりに、できすぎている」
ガルシアは、報告書を卓に置いた。
「経歴を辿られても辿りきれぬよう、あらかじめ、すべての痕跡を消した者がいる。リリィ自身に、そんな手回しができたとは思えん」
「背後に、組織がいる、と」
「そうだ。これは、貴族令嬢一人の毒殺劇では、ない」
ガルシアは、地図の上のイルマリアを、長く睨んだ。
窓の外で、春の風が、薬草園の若葉を揺らしていた。けれどアネットの背筋には、夏でも消えぬ冷たさが、ひと筋、走っていた。
もっと大きい。何か、もっと大きいものが、動いている。




