第24話
使者の馬車が街道の向こうに消えた、その日の夕刻。
城の執務室で、ガルシアは羽根ペンを取った。卓の上には、王家の紋章入りの巻物。ガルシアは紋章をしばし眺め、苦笑にも似た息を漏らしてから、白い羊皮紙に向き合った。
「俺は文を書くのが下手でな」
卓の脇に控えていたアネットに、ガルシアは肩越しに告げた。アネットは、城の薬庫の整理を頼まれて、ちょうど執務室を通りがかったところだった。
「お手伝い、いたしましょうか」
「いや、これは俺が書く。お前のことを、俺の言葉で書く」
ガルシアはペンを動かし始めた。
ヴォルクハイム辺境伯領は、王命に対する書面の返答に、慎重を期す慣習があった。誤りや言葉足らずがあれば、後日、王家に揚げ足を取られる。ガルシアは普段、書記官に下書きを任せる。けれど今日は、誰の手も介さなかった。
文面は短かった。
《王家ヘ謹白――アネット・モンフォール殿は、当辺境伯領の正規の薬師として登録され、領主の保護下にある。連行の命に応ずる権限は、領主の承認なくして発しない。書状の理由が不分明なため、当方はこれを退ける。当領は王国の礎であり、王命を軽んずる意は毛頭ない。されど、当領の人事に関しては、領主の自治を尊重されたい》
ガルシアは羊皮紙を読み返し、ふん、と鼻を鳴らした。
「これでよいか」
アネットは、覗き込んだ文面をしばし見ていた。
短いけれど、毅然としていた。「アネット殿」と尊称が用いられ、「当領で保護している」と明言され、「連行の命に応ずる権限は、領主の承認なくして発しない」と一線が引かれていた。一年前、何の弁護も受けられなかった娘に、こんな言葉を、領主の名で書いてくださる。
目に、また熱いものが浮かんだ。
「……ご迷惑を、おかけしてしまって」
声が、湿った。
「申し訳ございません」
「迷惑」
ガルシアは、ペンを置いた。
「迷惑だと思ったことは、一度もない」
短く、けれど一切の含みのない声だった。アネットは口を結び、深く頭を下げた。何度も頷くしかなかった。涙を見られるのが、急に恥ずかしかった。
ガルシアは、書記官を呼んで蝋封を頼み、王家への急便に発たせた。書記官が退室したあと、執務室には二人だけが残った。
窓の外で、夕暮れの鐘が鳴った。
「庭を歩こう」
ガルシアが、ぽつりと言った。
城の中庭は、薬草園を兼ねていた。アネットがこの城に詰めるようになってから、城の使用人たちと共に整えた区画だった。歩きながら、ガルシアは薬草の名をひとつひとつ尋ね、アネットは一本ずつ説明した。
「これは沈痛草、こちらは止血の解毒花。あの隅は、火竜草」
「俺を救った草か」
「はい」
ガルシアは火竜草の前に屈み、葉を一枚そっと撫でた。
「妙な気分だな。自分を救った草が、自分の城の庭に植わっている」
「お代を、お納めいたしましょうか」
「冗談で言ったんだ」
二人は同時に、小さく笑った。
城門の方から、街の方角の喧騒が、遠く聞こえてきた。今日は街の祭の前夜らしく、灯りがいつもより多く灯っていた。グレタが冒険者たちと祝杯を上げているのだろう。連行使者を追い返した日として、街は誇らしげに、そして陽気だった。
「街の連中、お前のことを『うちのアネット』と呼んでいたな」
ガルシアが、ぽつりと言った。
「私も、街の方々を、いつのまにか『うちの街の』と呼ぶようになっています」
「それでいい」
ガルシアは、空を見上げた。秋の星が、宵闇に輝き始めていた。
「お前はもう、中央の人間ではない。俺の領地の人間だ」
アネットは、空を見上げるガルシアの横顔を、長く見ていた。
その横顔の、頬の輪郭の、首筋の鱗の光り方の、一つ一つを、なぜか目に焼きつけたくなった。胸の奥で何かが、静かに、けれど確かに、温度を上げていた。
夕風が、薬草園を撫でていった。




