第21話
王都の秋は、例年通りに訪れたはずだった。
けれどその年、社交界の空気だけは、いつもと違っていた。
夜会の出席者の数が、目に見えて減っていた。出席している者たちも、扇で顔の半分を覆い、咳が出るのを必死に隠している。階段の途中で立ち止まり、手すりを掴んで深く息を吸い込む夫人。談笑の途中で言葉を失い、呆けたような目で宙を見つめる紳士。誰もが、口には出さない。けれど、誰もが、「自分の番」が来るのを、どこかで恐れていた。
原因不明の倦怠感、手足の痺れ、夜更けの咳。教会の治癒師も、王城の医師も、確たる答えを出せずにいた。
社交界が、急速に病に侵されていた。
王城の貴賓室で、王太子は深い溜息を漏らした。
「リリィ、もう一度、あの者たちを治癒しに行ってくれぬか。今日も三家から、再びの治癒を懇願する書状が届いた」
卓の向かいで、リリィ・グレイは目を伏せていた。
「殿下、私の魔力では、もう……」
「魔力が、どうしたと」
「光の魔法は、神の御力を借り受けるもの。同じ方を何度も癒すと、神の御力が薄れて、効きが弱くなるのです。私が至らぬばかりに……」
涙が、彼女の頬を伝った。王太子は腰を浮かしかけ、慌てて彼女の手を取った。
「お前のせいではない。私が悪かった。すまない、リリィ」
「殿下……」
リリィは王太子の胸に身を寄せた。涙の粒が、絹のシャツにいくつも染みを残す。王太子の腕が、自然に彼女の背に回った。
その様子を、扉の隙間から、王太子の侍従長が苦々しく見つめていた。長く王家に仕えた老臣の目には、何かが既に、おかしく映りはじめていた。
同じ頃、ベルクマン侯爵邸の自室で、ヴィルフリートは寝台に横たわっていた。
昨夜の夜会から帰る馬車の中で、彼は突然の眩暈に襲われた。屋敷に着くなり寝込み、朝になっても熱は引かなかった。手足の指先が痺れ、感覚が薄れていく。
「ヴィル、おまえまで」
寝台の傍らで、母親の侯爵夫人が、白いハンカチで口元を押さえていた。
彼女自身も、ここ半月ほど体調を崩していた。母も子も、リリィの「治癒」を最も近くで受け続けていた者たちだった。
「リリィ嬢を、お呼びしますか」
「いや、結構だ。あの方を、これ以上煩わすわけには……」
ヴィルフリートは、咳き込みながら答えた。
信じている、と頭の片隅で念じる。リリィは聖女だ。今は神の御力が薄れているだけだ。きっとまた、すぐに治してくださる。アネットの予言など、何の根拠もない、追放された娘の負け惜しみだ――。
念じれば念じるほど、頭の奥が、わずかに揺れた。
その夜、王太子妃候補クラリッサ・グラントの寝室には、灯りが灯っていた。
彼女は卓の上に、小さな茶色の小瓶を並べていた。半年ほど前から、侍女頭のマーサがどこからか運んでくる薬。「滋養の薬」とだけ告げられて、毎日、朝晩に少量ずつ飲んでいる。
始めた頃、母も叔母も、いっせいに体調を崩した。皆、教会のリリィの治癒を頻繁に受けていた者たちだった。クラリッサだけが、唯一、健やかでいる。
マーサは、何も語らない。
けれどクラリッサには、その薬がどこから来ているか、薄々の見当はついていた。
「アネット……」
クラリッサは小瓶をそっと撫で、窓の外、暗い王都の街並みを眺めた。
あの夜会で、毅然と頭を下げて去っていった友。あなたの言葉は、本当だったのね、と心の中で囁く。あなたは、何も間違っていなかった。間違っていたのは、あなたを排した、私たちの方だった。
月のない夜だった。
王都の灯りは、いつもより、ずっと頼りなく見えた。




