第17話
夏が近づくにつれて、店の前の風景が、すこし変わっていった。
最初は、ジャンが来た。最初の客になった子供だった。母親に頼まれて、薬草の剪定を手伝いに来たという。アネットがおずおずと鋏の使い方を教えると、彼は得意げに庭の片隅で乾いた葉を切り集めた。
翌日、ジャンは友達を二人連れてきた。
その翌日には、五人になった。
子供たちは、街の親たちが「中央訛りの女」と遠巻きにしていた頃を、覚えていない。彼らにとってのアネットは、傷を治す不思議な姉さんで、薬草の名前をいくつも知っている先生だった。
「ねえアネット、これ何の葉?」
「沈痛草。歯が痛いときに、噛むと和らぎます」
「いま、噛んでいい?」
「歯が痛くないなら、駄目」
子供たちが笑い、アネットも笑った。気づけば、自分でも驚くほど自然に、子供の輪の中に座っていた。
その輪の中に、見慣れぬ顔が二人、加わっていた。
兄妹らしかった。十歳ほどの兄と、五歳ほどの妹。二人とも、痩せている。手首は枝のように細く、髪はぱさついて、肌の色は青白い。妹の唇には、軽い亀裂が走っていた。栄養失調の典型だった。
子供たちが帰ったあと、アネットは兄妹だけを呼び止めた。
「お薬を、少し試してほしいの。お代はいらないわ」
アネットは、滋養の薬を煎じた小瓶を二つ、紙包みに入れて手渡した。中央にいた頃、父に渡したのと同じ処方だった。それから、棚の隅から乾燥肉と豆の包みを取り出した。
「これも一緒に持って帰って。お母様や、お父様にも分けてあげて」
兄が、しばらく包みを見つめていた。
「お代、いらないの」
「お代の代わりに、明日また庭の手伝いをしてくれる?」
兄は、静かに頷いた。妹はその後ろで、もぞもぞと包みを受け取り、こくりと頭を下げた。
二人が去ったあと、アネットは扉に背を預けて、しばし夕日を見ていた。胸の中で、別の小さな計算が始まっていた。あの兄妹の他にも、街にはきっと、ああいう子がいる。
数日後、ガルシアが店に立ち寄った。
怪我の様子を見に来たのは口実で、本当は単に来たかったのだろうと、アネットは内心で察していた。彼は店先の長椅子に腰かけ、子供たちが帰った後の庭を眺めて、ぽつりと言った。
「兄妹の話、聞いたぞ」
「お耳が早いですね」
「街の見回りの兵が、お前のことなら何でも報告してくる」
彼は鼻を鳴らした。アネットは少し笑い、湯を沸かして茶を入れた。ガルシアはそれを受け取り、しばし黙ってから、独り言のように切り出した。
「街の貧しい層に、医療を届ける仕組みを、作ろうと思う」
アネットは、湯気越しにガルシアの横顔を見た。
「お前の店に、城から定期的に薬代を払う。代わりに、銅貨が出せん家の子と老人を、無償で診てくれ。費用は領庫から出す」
「あの……それは、お引き受けすると、辺境伯領のご負担は」
「負担じゃない」
ガルシアは、ぴしゃりと遮った。
「貧しい者が病で動けなくなれば、街の働き手が減る。働き手が減れば、税が減る。税が減れば、俺の領地が痩せる。だから、これは投資だ。お前のやり方は、俺の領地にとっても、利益になる」
建前だ、とアネットには分かった。
もしこれが本当に冷たい計算ならば、貧困層への施しなど、辺境伯領の優先順位の上位には来ない。彼の言葉は理屈の体裁を整えているだけで、その奥には、栄養失調の子に薬を無償で渡したアネットの姿に、ただ静かに惹かれているだけの男がいる。
「……ありがたく、お引き受けいたします」
アネットは深く頭を下げた。
「街の子が、痩せていない街は、よい街でございます」
ガルシアは、ふん、とまた鼻を鳴らした。けれど碗を傾ける手元は、わずかに、嬉しそうだった。




