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831  作者: 川野りこ


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9/10

第9話 B4

 「ーーーー気持ちよくて、寝そう……」


 夢の中に入りつつある愛理に、マッサージ中の女性がマスク越しに笑みを見せる。結婚式が一週間後に迫り、準備は整っていた。

 真子や一斗、雪乃や清隆とのやり取りもあり、言い合いをして以降はスムーズに事が運んでいた。今も愛理は自分磨きの最中で、すでに夢の中であった。


 磨かれた彼女がさらに美しくなると分かっているからこそ、誰にも見せたくないという独占欲が風磨の中で疼く。ストレートな物言いの風磨だが、それをそのまま愛理に見せるような真似はしない。ただ求めてしまいそうになりながらも、口づけだけで我慢する徹底振りだ。


 「…………風磨、大丈夫?」

 「ああー、これが終わったら寝るから……」

 「うん……待っててもいい?」

 「なに? 寂しいのか?」 

 「なっ!!」

 「なーーんて…」

 「寂しいって言ったら、一緒に寝てくれるの?」


 あまりの破壊力に、思わず天井を見上げそうだ。


 「…………愛理……一緒に寝てくれるのか?」

 「?!」


 耳元で囁かれ、思わず距離を取る。十五年以上の付き合いになるからこそ愛理の弱点は知り尽くされていたが、それは風磨にもいえることだ。意外と押しに弱く、愛理の事に関しては極端に心が狭い。


 「…………確信犯でしょ?」

 「なにが?」


 素知らぬ顔で腰を引き寄せられ、耳元に唇が触れる。お構いなしの行動だが、その手つきは優しくて抵抗しようがない。


 愛理から抱きついて態とらしく上目遣いで見つめれば、揺れる瞳に気づく。風磨限定で勘の良さが発揮されていたが、彼にとっては勘弁願いたいところだろう。これ以上の弱みを見せては男が廃るというものだが、揃ってベッドに入ったのは言うまでもない。


 一緒に過ごした時間の分だけ想いが巡る。スライドに映す写真や映像には、必ずと言っていいほど幼馴染四人の姿があった。


 「ーーーー若いな……」

 「そうだね……」


 最終確認で映し出された映像に込み上げる想いがあり、どちらの口数も減る。愛理は、はじめて見た雪乃の潤んだ瞳を思い返していた。

 

 『…………心が……叫んでいるんですよ……』


 あれは、雪乃自身に向けて言ったモノでもあったんじゃないかって…………今なら、分かるのに……


 葛藤は愛理以上にもっていただろう。仮面を被った大人たちの相手をそつなくこなく横顔が印象に残り、アイスブルーの瞳が笑みを見せれば虜になる人が続出で当時は気づいていなかった。どこか一線を引いたような彼女だが、親しくなればなるほどその線は曖昧になっていったからこそ、あの件がなければより多くの人を魅了していただろうと簡単に想像がつく。花が咲き誇るように美しく成長した親友に敵うもの等ありはしないと。


 「……本当、妬けるくらい仲がいいよな」

 「ふふふ♡ だって、雪乃は親友だもん♡」

 「ったく、分かってるよ」


 二人の仲のよさも今更感がある。愚痴や本音を語れる相手は、西園寺を理解するにつれて少なくなっていったからこそ、雪乃の存在は愛理にとっても特別であった。


 「そんなに前のことじゃないのにね……」

 「ああー……」


 日本を離れて共に過ごした三年から二年の月日が流れた。たった二年だが親友は結婚して、今度は子供が生まれるという。

 愛理が二人暮らしをはじめてから同じだけの時が流れ、花嫁修行が終わりを告げる一方で、風磨も清隆も跡取りとしての研鑽が続いている。


 「……俺はようやくって感じだな……」

 「ようやく?」

 「だって、やっと俺の妻にできるんだから」

 「ーーーーっ、風磨、そういうところよ?!」

 「はあ?! なんだよ?!」


 思いきり背中を叩かれても、風磨のブレはほとんどない。滞っていたジムにも定期的に通っている為、今では元の筋肉量に戻っているようだ。


 照れた婚約者の腰に腕を回して引き寄せれば、潤んだ瞳の破壊力は抜群であった。


 人目を避けて頬に触れた唇で真っ赤に染まった愛理と満足顔の風磨だが、二人の距離は寄り添ったままで変わることはない。正確には風磨の力には敵わないからだが、彼女が本気で嫌がれば離れるくらいの配慮はある。ただ嫌がられないことは知っているし、愛理に残された選択肢は幾らもない。


 「…………風磨って、本当……」

 「なんだよ……イケメンだろ?」

 「自分で言う?」

 「えーーっ、だって、誰も言ってくれないじゃん」

 「言われてるでしょ?!」

 「そんなの社交辞令だろ?」

 「…………鈍感」

 「おい!」


 言い合いをしても楽しげな雰囲気のままだ。好意のだだ漏れな風磨だが、学生の頃よりもモテていた。見た目の良さに次期社長という肩書きまで加わり、惹かれない方が少ないだろう。


 現に昼食を一緒に取る為だけに訪れた愛理の目の前で、機会を伺う女子社員の多いこと。同期だけでなくお姉様方からのアプローチも多い事は一目瞭然であった。


 「愛理、お待たせ」

 「風磨……お疲れさま……」


 柔らかな笑みに社長秘書でもある彼が瞬かせたのはいうまでもない。


 「……お久しぶりですね、愛理さま……」

 「松尾まつおさん、ご無沙汰してます」


 松尾とは面識があり場所が違えば、砕けた話振りもできるが外にいるとはいえ会社の目の前で、それは叶いそうにない。


 「風磨さん、十五時からですからね」

 「はい! ありがとうございます!」


 愛理の手を取って歩き出す風磨の横顔はどこか楽しそうだ。


 「……来てくれて、ありがとな」

 「ううん、それは……私も行きたかったから」

 「そこは俺に会いたかっただろ?」

 「……数時間前まで一緒にいたでしょ?」

 「つれないなーー」

 「もう、ふざけてないで! それより……いいの?」

 「ああー、そのうち切られるさ」

 「そう……」


 視線の多さに気づかない愛理ではないし、いくら風磨が鈍感とはいえ疎くはない。女子社員の不躾な視線は分かっていたが、それも全て次期社長という肩書きがあってこそだと思っているようだ。

 愛理にとっては面白くはないだろう。肩書きだけでなく、その眼差しでガチ恋勢が多いと感じたからだ。


 エスコートされたまま向かうのは、最近できたばかりの和食懐石店だ。新規店舗の視察も兼ねていたが婚約者を伴わせるのには、それなりの理由があった。


 可愛らしい豆皿や小鉢に品よく並べられた色とりどりの料理はどれも絶品で、舌の肥えた愛理も満足の品々だ。綻ぶ風磨がいる一方で、個室ではなく店内が見渡せる角の四人掛けの席にいる為、無遠慮な視線が腹立たしい。ただそのような感情とは微塵も感じさせず美味しそうに口に運べば、愛理から笑みが溢れるのは当然だろう。


 「…………笑うなよ……」

 「だってーー♡」

 「だって、じゃない」

 「ふふふ♡」


 ヤキモチ焼きは今にはじまった事ではないが、学生の頃とは違う周囲の反応を久しぶりに感じる。カップルに見られていたからこそ、不躾な視線よりも憧れの方が強かったからだろう。

 社内で愛理が風磨に向かう視線を感じたように、彼女に向けられる視線には敏感だ。社内では御曹司と知られている為、人睨みで牽制もできるが場所が変われば皆無だ。誰も彼が次期社長であるとは知らないし、見目麗しいカップルには見えても眼福に変わりはない。いくら婚約指輪をつけていても、惹きつけてしまう引力があった。


 「……そんな顔、しないの」

 「どういう顔だよ?」

 「ヤキモチ?」

 「そういう愛理は、妬いてくれない訳?」

 「ーーーーっ?!」


 やられっぱなしは性に合わないとばかり、視線が交われば揺れるのは愛理だ。隣り合った席にリザーブの札が置かれ、周囲に人がいないのをいい事にテーブルの上で手を重ねられれば、心臓が跳ねる。外でなければ言い返すが、今の愛理に防御力はないに等しい。


 不敵な笑みに内心では腹立たしい愛理だが、それ以上に愛おしい存在であると認めるしかない。外では完璧な風磨が本音を告げる姿に、惹かれないはずがないのだから。


 「……視察っていうより、デートだよね?」

 「バレたか……」

 「もう…………でも、美味しかったよ……ありがとう」

 「お礼は別のがいいんだけどなーー」

 「なによ?」

 「おっ、聞いてくれるのか?」


 期待に満ちた瞳に、耳と尻尾のオプションまで見えそうだ。


 「……帰ったら、ね♡」

 「ずる……そういうの禁止にしない?」

 「却下♡」


 小悪魔ちっく全開で愛らしく告げれば、刺さったのは風磨で、その周囲に居合わせた人達にも刺さっていただろう。視線を感じて足早に離れれば、微かに染まった耳で愛理にも伝わる。


 「風磨……大好きだよ♡」

 「ーーーーっ……愛理、帰ったら覚えとけよ?」

 「えーーっ、なんのことかなーー♡」

 「ったく……俺の方が大好きに決まってるだろ?」


 肩を引き寄せられたよりも、耳に触れそうな唇で真っ赤に染まる。告げられた本音にダメージを負ったのはお互いさまだが、明らかに勝ち誇った表情の風磨がいた。


 「…………ずるい……」

 「どっちがだよ……愛理だろ?」

 「えーーっ、そんなことないでしょ?」

 「絶対、愛理……」


 不毛なやり取りは外の為ボリュームがかなり下げられているが、それでもラブラブ具合はだだ漏れであっただろう。婚約者持ちと知っていた女性社員が軒並み悲しんでいたし、男性社員は羨んでもいたが本人たちが気づくことはない。あとから松尾によって指摘される事になるのはいうまでもない。


 料理や接客、店内の設備等の気になる部分を告げて愛理がひと足先に出れば、目の前に一台のリムジンが出迎えていた。


 迎えは頼んだと聞かされていた愛理だが、それが誰かまでは知らなかったからだろう。窓から顔を覗かせて小さく手を振る雪乃に、極上の笑みを周囲に披露して帰っていくのであった。

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