第8話 10q
あやふやな記憶も多いけど、雪乃と出逢ってから変わったと思うの。
我儘が少しは緩和されて、パパたちが陰で喜んでいたのは知ってる。
三対一の喧嘩に割って入った雪乃がヒーローのように映ったが、それだけで二人の仲が深まった訳ではない。愛理は喧嘩した子のグループから離れ、別の子と遊ぶ機会を作った。
それは西園寺家と関わりのある家の少女だったからこそ、愛理の意見にノーとは唱えなかった。愛理にとっては友人の一人だったが、他人からすれば言いなりになっているようにも映っただろう。
「せなちゃん、なんで愛理ちゃんの言いなりなの?」
「…………そうかな?」
「うん、だって……性格キツくない? この間もケンカしてたみたいだし……」
「う、うん……でも……うちの家、愛理ちゃんの所の下請けみたいだから……」
「えっ、それって……」
「そういうこと。別に嫌いじゃないけど、特に仲が良い訳でもないから」
「そっか……愛理ちゃん、雪乃ちゃんと仲が良いしね」
「そうそう、できたら雪乃ちゃんとお近づきになりたいから」
扉越しに愛理が聞いているとも知らずに告げられた本音で、友人の一人だと思っていた子が親の事情で仲良くしていたと知った。
今までの愛理なら気にせずに教室に入ったかもしれないが、先日の喧嘩で気づかないうちに擦り減っていたのだろう。
静かにその場を離れる選択をして、気づけば中庭に上履きのまま向かっていた。
「ーーーー愛理ちゃん?」
ピクリと肩が揺れる。ここに来るまでに誰かとすれ違ったかもしれないが、そこまで広い視野を持てる状態ではなかったからこそ、追いかけてきたであろう雪乃に瞬かせた。
「ーーーーっ、なんで、いるの?」
「いけませんか?」
当たり前のように近づいてきた彼女も上履きのままだが、愛理に気にかける余裕はない。お腹の底に居座る言いようのない苛立ちと傷心で感情のコントロールが効かず、思わずぶつけてしまいそうだ。
「…………心が……叫んでいるんですよ……」
「なに、それ……」
気づいたら溢れる涙に当たり前のように差し出されたハンカチ。淡い桜色のレースが綺麗なハンカチとアイスブルーの揺れる瞳に、格が違いすぎると悟る。
「……バカにしてるの?」
「いえ…………愛理ちゃんは、嘘がつけないから……」
苛立ちを隠せない愛理に対し、雪乃は寄り添うように座った。いつもの彼女ならハンカチを敷いてから座るなりするはずだが、スカートが汚れるとこを気にせずに地べたに座り込んでいた。
「バカじゃ、ないの?」
「そうかな?」
「……………………雪乃……ありがとう……」
「愛理……友達、でしょ?」
自分の意見がすべて通ることが当たり前だったからこそ気づいていなかった。悪意を向けられても大したことではなく、友人が減ろうが増えようが関係なかった。
西園寺家の娘として見られる事があると分かっていたはずだが、理解していなかったと痛感した。
本当に友人の一人になれたと感じていたからこそ、悔しさが滲む。利用されるだけの存在でしかなかったと。
泣き止まない愛理の隣で静かに寄り添う雪乃に対し、窓越しに見つめるだけの二人がいた。特に風磨の無力さは強かったことだろう。
「ーーーーっ……なにも出来なかったな……」
「ああー……雪乃じゃなきゃ、だろ?」
「分かってる……」
すれ違った際にいたのは雪乃だけではない。行動を共にしている風磨も清隆もいたが、真っ先に追いかけたのは他の誰でもない雪乃であった。
「…………それに……知ってるからな……」
「ああー、雪乃は特にな……」
囁くような声で話す二人に向けられる視線は、放課後の人が少ない時間帯という事もあっていつもよりは少ない。ただそれでも、今日のように鬱陶しさを感じる日はあった。だからこそ、彼女の凄さを再認識させられていた。
泣き止まない私のことなんて、放っておけばいいのに……
自身の面倒くさい性格に嫌気が差す。
「…………雪乃は……イヤにならない?」
「……………………それは、分からないけど……仲直りすればいいと思うの」
すんなりと心に入ってきたのは、彼女が告げたからだろう。敬語が外れても品の良さは健在で、その言葉には嘘がない。
友達になりたいと思っていた相手が、忖度なしに追いかけてきたと分かる。立場でいえば雪乃の方が上だと理解していたからだ。
西園寺が名家といっても藤宮には遠く及ばないと知ったからこそ、何も知らずに話しかけた自身が滑稽に思えるほどだった。
クラスメイトの噂話で愛理にも理解する事が増えていったからこそ、ヒーローのように映った雪乃に近づく事が阻まれた。
よく見ていれば分かる事だ。彼女は誰とでも親しくなれるが、必要以上に自分から話しかけることはない。
少し考えれば分かることだった。西園寺でさえこうなのだから、藤宮はそれの比じゃないと。
「…………雪乃……今週末は空いてる?」
「うん!」
アイスブルーの瞳が微笑み、また泣きそうになった。
「…………雪乃は、お茶菓子でなにがすき?」
「……この間、愛理ちゃんと食べたマカロンが美味しかったなぁ」
「あれね! 私もすきなの!」
あまりに穏やかな笑みで気づかない。ある意味で鈍感だからこそ、今日まで傷つく事が少なかったともいえるが、そこまでの考えに至ることはない。愛理の思考回路は複雑なようで単純であった。
「ーーーーーーーー寝てる……」
リビングに戻れば、ノートパソコンを開いたままの風磨がテーブルに突っ伏していた。
「……お疲れさま……」
寝かせてあげたいが、このままではいられずお風呂に入るよう促す。弱音を吐かない風磨だからこそ、少しくらい弱みを見せてくれてもいいとも感じるが、裏を返せば彼女には見せたくないとも取れる。愛理は気づいていないが、風磨の中で意地のようなものがあったのかもしれない。婚約者の前ではかっこつけていたいと。
風磨が髪を乾かして戻れば、ソファーに横になる愛理が目に入る。ローテーブルには結婚式関係の雑誌や書類が置かれていた。
「……お疲れ…………」
そっと囁き、額に口づけても反応はない。しばらく眺めていたい衝動に駆られながらも、愛おしい婚約者を抱き上げて寝室に向かえば、抱きしめたまま眠りについた。
腕の温もりを感じたのだろう。そっとすり寄れば、硬さを感じて目覚める。愛理の目の前には彼の首元があった。ほとんど無意識にパジャマからはみ出た鎖骨にそっと触れ、喉仏から顎に微かに生えた髭に視線を移す。
「ーーーーっ、お、おはよう……」
「んーーーー、おはよう……」
不意に抱き寄せられて瞬く愛理に対し、風磨はまだ寝ぼけているかのような反応だ。
「……起きてたの?」
「いや……そんだけ見られれば気づくだろ……」
一人で納得しながらも、近づいてくる唇から離れられない。ガッチリと抱き寄せられているからだが、愛理が抵抗する事はない。スキンシップの一定の効果は自身にも身に覚えがあるからだ。
触れるだけの口づけが離れたかと思えば、おもむろに胸元に寄せられた唇に心臓が跳ねる。いくら婚約者とはいえ不意には弱い。染まった頬がさらに風磨を調子に乗らせているが、ここ数日を振り返れば許容範囲内だろう。愛理に拒絶する選択肢はなく、風磨の髪を撫でる余裕振りだ。言葉にできない想いを抱えていたのは、彼だけではないのだから。
「…………風磨……ありがとう…………」
「…………愛理?」
「……ちゃんと、言っときたくて……」
「ああー……愛理、いつもありがとな」
変わらないストレートな物言いに、出逢った当初は反発する事もあったが、今となってはどれも良い思い出だろう。あれから十五年以上前の出来事でもはっきりと残る記憶があるのは、お互いにとってそれだけ印象深かったからだ。
「…………ずるい……」
「何がだよ??」
「風磨ばっかりーー!」
思いっきり枕を押し当てたところで力で敵うはずがない。
「……ったく、無謀な」
「ちょっと!」
簡単に払い除けられて頬を膨らませても、愛らしさが増すだけで効果はない。朝から子供のようなやり取りとしか言えないが、それも二人にとっては愛情表現の一つだろう。
キッチンに向かうはずが、手を取られベッドに引き戻されれば、楽しそうに微笑む風磨に言葉が出ない。
「…………愛理……」
甘い声色で顎に触れられたかと思えば、唇が寄せられる。先程の可愛らしい口づけではなく、深く貪られるように吐息まで呑まれていった。
抵抗する事なく受け入れる愛理の腕は、自然と背中に伸びる。寝転んで抱き合えば、安心感のある香りに包まれていた。
「…………風磨……仕事でしょ?」
「ああー……分かってる……」
「じゃあ…………この手は、なんなのよ!」
「少しくらいいいじゃん!」
厚みのある手が悪びれもせずに素肌に触れる。声を上げた所で効果はなく、選択肢はないに等しい。婚約者に甘いのもお互いさまだ。
「もう!」
愛理から口づければ、真っ赤に染まったのは風磨だ。
自分からするのは平気なのに…………かわいいよね……
満足気な表情も愛らしいが、愛理の感情が手に取るように分かったのだろう。
「今、イヤなこと思っただろ?」
「えっ?」
胸元につけられた痕で思い知るが、あとの祭りだ。
「ーーーー今夜、覚悟しとけよ?」
真っ赤に染まった愛理と痕に満足気な風磨。朝から二人らしいやり取りを交わして、夫婦漫才が本物になる日が近づいているのであった。




