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831  作者: 川野りこ


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第4話 404

 目覚めれば、隣で眠る風磨を見つめた。目元のクマはまだ治っておらず寝不足だと分かる。

 

 夜中に作業してたみたいだから…………安まらないよね……


 そっと抜け出した愛理が向かうのはキッチンだ。蓬莱家の敷地内には風磨宅である一戸建てが建てられ、そこで暮らすことになって一年が過ぎていた。


 ……最初の一年間は、私にとっても試練だったけれど、風磨はそれがまだ続いてるんだ。


 実家にはお手伝いもおり、家事や掃除は人任せでよかったが、今ではひと通りの事を愛理自身がこなしている。同棲当初は勝手が違いすべてが順風満帆だった訳ではないが、そこは持ち前の明るさを発揮して蓬莱家にも馴染んでいった。もっとも幼い頃に婚約関係を結んだ事もあり、お互いの両親については知っていたし、仲の良さも良好であった。嫁姑問題は皆無で、着飾られていたほどだ。


 アラーム音に気づき、まだベッドの中にいる風磨に声をかける。ここ数日は特に多く、いつも目覚めの良い彼にしては珍しい事だ。


 「……風磨……風磨、風磨!」


 忍びなくとも肩に触れて起こせば、引き寄せられる。


 「んーーーー……愛理、おはよう……」

 「おはよう、風磨」


 なかなか離そうとしない腕を退けようとも、力では敵わない。


 「……いい匂いがする」

 「コーヒーかな?」

 「いや……愛理の…」


 思いきり首筋で吸われても抵抗しようがない。慣れとは不思議なもので、最初は抵抗していた愛理も頭を撫でて返す余裕振りだ。


 「もう……遅刻するよ?」

 「ああー……今日、遅くなるかも」

 「うん……いってらっしゃい」

 「いってきます!」


 並んで朝食を取り、スーツ姿の風磨を見送る。やる気に満ちた表情で、当たり前のようにキスを交わして出ていく。


 手を振り返せば、笑顔で出ていく姿に自然と綻ぶ。些細なことで喜ぶ風磨に慣れていたからこそ気づかない。どれだけ愛おしい存在になっていたかを。


 一人きりになった広い一軒家に、思わず溜め息が漏れる。

 この二年で学生の頃との違いを嫌というほどに感じてきたし、次期当主の嫁として表に出る事もあったからこそ理解はしていた。蓬莱家に嫁ぐことが、ただ単純な想いだけでは成り立たないと。


 テーブルに置きっぱなしになったスマホに招待のメールが届き、表情が陰る。相手は苦手な高円寺だったからだろう。ただ今も両家と交流がある為、蔑ろにはできない。家の繋がりは単純な好き嫌いで切っていい訳ではないからこそ、義母に回答を求めて返信した。


 当主でも、次期当主でもなく、個人的に送ってくるあたりに考えが透けて見える。憤慨する義母と義妹を他所に冷静に考えていた。


 高円寺こうえんじ一斗いちとくんは、一個上だった気がするけど…………本当に、なにを考えているんだろう。


 家同士の繋がりを重んじるならば、結婚を控える愛理を個人的に誘うことは悪手だ。いくら当主命令だったとしても、その結論に至らないほど愚かとは考えにくい。


 「愛理ちゃん、こっちで準備しておくから好きにしてきていいわ!」

 「は、はい!」


 勢いのまま応えたが、嬉々とした表情に嫌な予感しかない。それなりの経験から導き出した答えは明確だ。愛理でさえ最悪な結末しか想像できないのだから、風磨に言えば同じような考えに至るだろう。ただ今回は彼抜きで決着をつけるようだが愛理に拒否権はない。そもそも義母が許可を出したのだから受けるしかなく、返信すれば歯の浮くようなセリフが返ってきた。


 「いい度胸してるじゃない」

 「えーーっ、一斗さんはもう少し頭がいいと思ってました」

 「お義母かあさん、真子まこちゃん……」

 「愛理ちゃんは心配しないで?」

 「はい……」


 自身の心配はないが、幼い頃に交流のあった一斗の身が心配と顔に書いてあった。高円寺家の総意のもとでの誘いか不明瞭の為、その反応は妥当かもしれないが、風磨が知ったら面白くはないだろう。


 散々な反応に苦笑いを浮かべながらも、一週間後を迎えた。

 義母たちの提案通り、風磨に伝えずに出てきた罪悪感はあるが、どれが正解か分からないというのが本音であった。


 「愛理ちゃん、久しぶりだね」

 「……うん、お久しぶりだね……一斗くん……」

 「今日は来てくれてありがとう」

 「ううん、話って?」

 「それは、ランチしながらで」


 腰を引かれ、当たり前のようにエスコートされる。パーティーで見かける度に挨拶程度の付き合いはあったが、特別に親しい間柄ではない。


 見上げれば端正な顔立ちに微笑まれ、多くの人が悪い気はしないだろう。ただ今回に限っては警戒心が強い為か違和感があった。普段の愛理なら気づかないような些細な事だ。


 ………………なんだろう……触られて、こんなに不快に感じるなんて……


 もともとコミュニケーション能力が高いイメージが愛理にはあった為、エスコート自体に違和感はないが、微かな下心を無意識に感じとったからこそ、個室に入るなり距離をとった。


 「蓬莱家での生活はどう?」

 「快適だよ」

 「そうなんだ……風磨くんはしごかれて大変なんじゃない?」

 「そうかもね……一斗くんが会社を継ぐんだっけ?」

 「ああー、来年にはね」

 「それは、おめでたいね」

 「そう、かな……」

 「違うの?」


 歯切れの悪い応えに疑問が浮かぶ。高円寺は由緒ある家柄で政治家を多く排出しているし、彼の家の取引先も大手ばかりだ。蓬莱家で学んだ事で内情を理解していたが、少しも顔には出さずに続ける。


 「ただ……パートナーを見つけない事にはね……」

 「……そういう条件?」

 「ああー……継がせて貰えることは決まったけど、なかなかね」

 「一斗くんなら相手に困らなそうだけど……」

 「そう見える?」

 「うん」


 あまりの即答ぶりに声を出して笑った事からも、本心が垣間見える。今回の誘いは彼が望んだ訳ではないようだと、少なくとも愛理にはそう映った。


 「愛理ちゃんみたいな子がいるといいんだけどね」

 「私?」

 「自覚ないの?」

 「えっ??」

 「そんだけ可愛ければ引く手数多でしょ?」

 「それはないよ」


 愛理的に自分の価値はさほど無いと思い至っていた。西園寺家は弟が継ぐし、彼女は蓬莱家に嫁ぐ身だ。親友のように自身で稼いでいれば話は別だが、彼女自身のSNS発信はあくまで趣味の延長線上であった。


 「分かってないな……だから、高円寺家に漬け込まれる」

 「それを一斗くんが言う?」

 「どれも本心だからね……気をつけなよ。結婚していればまた別だろうけど、まだ愛理ちゃんは婚約中だ」

 「う、うん……」

 「いつ破談になったっておかしくない」

 「それは……」 


 詰め寄られ、ここ数日の至らなさを嫌でも痛感して視線が下がる。最悪の結末を考えなくはなかったが、それを悟れるのも、そんな風に考えてしまう自分自身も嫌で仕方がなかった。


 手が伸びたことにさえ気づかない愛理を覚えのある香りが包む。


 「それは、余計なお世話じゃないですか?」


 声にならず顔を上げれば、いるはずのない風磨が肩で息をしていた。日頃から鍛えている彼が肩で息をする場面は珍しい。仕事の合間を縫って駆けつけたと明白だ。


 「惜しかったかな……」

 「一斗さん、愛理に絡むのはやめて下さい」

 「それは高円寺家と対立しても構わないと?」

 「はい」


 あまりの即答ぶりに思わず吹き出す一斗。憎まれ役を買って出たのには、それなりの理由があった。


 「ーーーーだ、そうだよ……真子ちゃん」

 「なんで真子が?」 「真子ちゃん??」


 驚くのも無理はない。待ち合わせ場所を知った時にいたのは義母だけで義妹の真子はいなかった。義母が伝えていたとしても不思議ではないが、この場に居合わせた理由が分からず顔を見合わせる。風磨の驚きぶりからも、何も聞かされていなかったようだ。


 「最近、愛理ちゃんの元気がなかったから……」

 「だからって、一斗さんを巻き込むなよ」

 「風磨くんには言ってなかったっけ? 真子ちゃんはうちの嫁にもらうよ?」

 「えっ?」 「はっ?!」

 「いい反応だね」

 「……相変わらず食えない人だな……」

 「褒め言葉と受け取っておくよ」


 幼い頃から交流があったのは愛理に限ったことではない。高円寺一斗は社交的だが本家の意向があって出席していたパーティーも多く、彼女の知らないところで真子と親しくなっていても何ら不思議なことではない。


 「…………真子、弁明は?」

 「ないよ」

 「おまえなーー……」 

 「そもそも、お兄が悪いんじゃない?」

 「……分かってるよ」


 まこは義姉である愛理が好き過ぎるきらいがあったが、ここまでとは風磨も思っていなかったようだ。思わず息を吐き出して、まっすぐな瞳で宣言した。


 「ちゃんとする……だから口出しは不要だ」

 「お兄の言葉、信じるからね?」

 「ああー」

 「じゃあ話もまとまった事だし、一緒にお昼でもどう?」

 「するーー!」


 マイペースな一斗と真子に、状況が飲み込めていなかった愛理の頬が緩む。


 「ありがとう……」

 「お礼はいいよ……風磨くんが奢ってくれるからね」

 「賛成!」 「おい!」


 花が綻ぶ表情は美しい。愛理が雪乃を絶賛するように、真子も義姉に近い感情を抱いていた。


 「安心しなさい。ここはご馳走してあげるから……二人は何にするかな?」

 「一斗さんのお薦めは?」

 「僕のお薦めはね……」


 寄り添う二人を見せつけられ、妹想いの風磨は複雑な表情だ。


 「風磨くんはバカだね」

 「言い方!」

 「君には言われたくないのだけれど……愛理ちゃんはどう思う?」 

 「えっ……」


 言葉に詰まり、隣に座る風磨を見つめれば視線が交わる。


 「そうだね……仕事よりも優先してくるなんて……」

 「おい!」

 「でも……ありがとう……」


 上目遣いと涙目が相まって、今の愛理は無自覚にも最強といえる。この場に二人きりだったなら抱きしめられていただろう。

 

 「僕たちのことは気にしないで」

 「うん、どうぞ♡」

 「あのなーー……」


 あからさまに視線を逸らした二人に疑問顔の愛理だが、次の瞬間にその意味を理解した。顎を上向きにされたかと思えば、唇が寄せられたからだ。


 「ーーーーっ、風磨のバカ!!」


 お腹にパンチを繰り出した所でダメージはなく、愛おしそうに見つめられ言葉にならない。図らずも義妹によって練られた策略は効果覿面であった。

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