第4話 消された座標
背後の扉が、低い駆動音を立てながら閉まり始めた。
ガルドがすぐに駆け寄る。
「待て」
扉の脇を探るが、手動レバーも認証パネルも見当たらない。
黒い金属の扉は、古い機械とは思えないほど滑らかに動き、重い音を立てて完全に閉じた。
外の通路の音が消える。
制御室の中に、低い振動だけが残った。
ミレアは扉を見つめた。
「閉じ込められた、で合ってる?」
ガルドは扉の継ぎ目を確認する。
「今のところはな」
エイルが顔を上げる。
「今のところって、いい意味?」
「悪い意味でしか使わない言葉ね」
ミレアは短く答え、周囲を見回した。
制御室は広かった。
古い金属の床には、細い溝が幾重にも走っている。
壁際には壊れた端末が並び、その一部だけが弱く明滅していた。
中央には、大きな円形の投影装置。
そこには、まだ星間航路の断片が淡く浮かんでいた。
ガルドは携帯計器を確認する。
「気圧は安定している。酸素もまだ問題ない」
「通信は?」
「外とは乱れている。潜水艇との接続も弱い」
「つまり、長居したくない場所ね」
「そういうことだ」
ミレアは運搬台に固定された黒い箱を見た。
考えれば考えるほど、割に合わない仕事だった。
ミレアは投影装置へ向き直る。
「この部屋に閉じ込められた理由があるなら、まずはあれね」
ガルドは扉の脇にしゃがみ込んだまま、短くうなずいた。
「俺は出口を探す」
エイルは中央の投影装置を見つめたまま言った。
「海の底なのに、星図みたいだ」
ミレアは何も言わず、中央の投影装置へ近づいた。
装置は大きな円形の台だった。
表面にはひびが入り、縁の一部は欠けている。
けれど、中央には淡い航路図のようなものが浮かんでいた。
海底施設にあるはずのない、星間航路の記録だった。
細い線が宙に伸び、いくつもの点をつないでいる。
だが、その線は完全ではなかった。
途中で途切れているものがある。
座標らしき表示が欠けているものもある。
いくつかは、黒く塗りつぶされたように読めなくなっていた。
ミレアは自分の端末を取り出し、投影装置の表示を簡易スキャンにかけた。
端末の画面に、古いデータの断片が流れる。
「今の航法規格じゃない」
「古い航路図ってこと?」
エイルが近くへ来て、投影装置を覗き込む。
ミレアはうなずいた。
「古いだけじゃない。ところどころ、座標が消されてる」
扉の周囲を調べていたガルドが、低く言った。
「そんなものが、なぜ海底施設にある」
「それを聞きたいのはこっちよ」
ミレアは端末を操作し、欠けた座標を拡大した。
黒く塗りつぶされたような部分は、単なる故障には見えなかった。
表示の劣化なら、周囲にも同じような乱れが出るはずだ。
だが消えているのは、座標の中心部分だけだった。
航路線の接続点。
意味のある場所だけが、選ばれて消されている。
「これ、劣化じゃないわ」
エイルが顔を上げる。
「誰かが消したってこと?」
「そう見える。少なくとも、偶然欠けたようには見えないわ」
ミレアは別の欠けた座標を表示した。
黒く消された場所は、ひとつではなかった。
古い航路図のあちこちで、同じように座標が欠けている。
ミレアは、さっき気になった座標をもう一度表示した。
端末の画面に浮かぶ、欠けた座標。
完全な数値ではなく、周囲の航路線も古い。
正確な照合はできなかった。
それでも、その周辺に伸びる航路には見覚えがあった。
昔、何度も見た故郷の近くの航路に、どこか似ている。
エイルはミレアを見たが、何も聞かなかった。
ミレアはその沈黙に気づかないふりをして、表示を切り替えた。
その時、壁際を調べていたガルドが足を止めた。
壁に、小さな読み取り端末が埋め込まれていた。
「受取人の端末を貸せ」
ミレアは、通路で拾った破損した端末を取り出して渡した。
「何か分かる?」
「観測局が後から付けたものだ。これなら、中に残っているログを読めるかもしれん」
ガルドは破損した端末を、壁の読み取り端末へ繋いだ。
接触が悪いのか、画面が何度も乱れる。
やがて、破損したログの一覧が表示された。
「まだ記録が残ってる」
「再生できる?」
「一部だけなら」
ノイズ混じりの音声が、制御室に流れた。
『……航路の記録の一部が、意図的に削除されています。欠落箇所は複数。現行航路との照合が必要です』
音声は一度乱れた。
ざらついた雑音が挟まり、すぐに続きが流れる。
『この記録を外部回線へ送信します。もし遮断された場合は――』
そこで、音声は途切れた。
エイルが息を呑む。
「今の、受取人?」
「可能性は高いわね」
ミレアは壊れた端末を見る。
「この記録を送ろうとして、途中で止まった」
ガルドが低く言った。
「外部回線は今も死んでいる。ここから送信はできない」
「じゃあ、受取人は記録を持ち出そうとした」
ミレアは黒い箱を見た。
「そのために、この箱を必要としていたのかもしれない」
黒い箱は運搬台の上で沈黙していた。
箱そのものは何も変わらない。
ただ、近くの計器に表示された波形だけが、わずかに乱れている。
その時、通信機にノイズが走った。
ガルドが顔を上げる。
「外からだ」
ざらついた音の奥に、途切れ途切れの声が混じる。
言葉ははっきりしないが、人の声だった。
低く抑えた声で短く言葉を交わし、何かを確認しているようだ。
ミレアは通信機を見た。
「味方とは考えにくい」
エイルは扉の方を振り返った。
「白衣の巡礼者?」
「その可能性が高いわね」
ガルドが計器を操作した。
「接続位置が悪い。俺たちの潜水艇に近い」
ミレアは扉の方を見た。
「戻れば鉢合わせるわね」
「ああ。しかも向こうの方が出口に近い」
その言葉が終わるより早く、制御室の端末が一斉に反応した。
止まっていた画面が次々に点灯し、見慣れない警告表示がちらつく。
低い警告音が鳴る。
遠くで、重いものが閉じる音がした。
ひとつではない。
二つ、三つ。
封鎖は、奥の区画へ向かって順番に広がっているようだった。
ガルドの顔色が変わる。
「封鎖が始まった」
ミレアは目を細める。
「さっきの扉とは違う?」
「あれは制御室の隔離だ。今度は施設全体を閉じ始めている」
「侵入者を検知したから?」
「おそらくな」
ミレアは何も言わず、投影装置から離れた。
警告音は低く続いている。
制御室の天井から細かな塵が落ちた。
壁の奥で、何かが動く振動が伝わってくる。
エイルが周囲を見回す。
「この部屋、大丈夫なの?」
ガルドは気圧表示を確認した。
「今はまだな。ただ、外壁に負荷が出始めている」
エイルはその意味を考えて、黙った。
ガルドは制御室の奥へライトを向けた。
壁の継ぎ目が、そこだけわずかに開いている。
奥には細い暗がりが続いていた。
「保守通路かもしれん」
ミレアはライトの先を見た。
「潜水艇へ戻れる?」
「保証はしない。ただ、他に選択肢はない」
ミレアは運搬台の固定具を確かめた。
ガルドが保守通路らしき入口を調べ始めた。
だが、その手が途中で止まる。
「待て」
ミレアは振り返った。
「何?」
ガルドはライトを入口の下へ向けた。
継ぎ目の下が、わずかに濡れていた。
最初は、ただの湿り気に見えた。
だが次の瞬間、入口の継ぎ目から水滴がにじみ、床へ落ちた。
エイルが小さく言う。
「……水?」
ガルドはすぐに近づき、ライトをその継ぎ目へ当てた。
細い隙間から、もう一滴、水がにじんでいる。
「まずい。継ぎ目が開き始めてる。このままだと海水が入る」
その言葉を待っていたように、遠くでまた重い隔壁が閉じる音がした。
制御室の照明が、一段暗くなる。
警告音が低く響き続ける中、床に落ちた水滴が、古い航路図の光を受けて、黒く揺れた。




