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宇宙船《ノクターン号》  作者: ひろゆら
第一章 海の星リュミナ

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第2話 海の星へ

《ノクターン号》が通常航行へ戻ったのは、白衣の巡礼者の船を振り切ってから六時間後のことだった。

ブリッジには、静かな駆動音だけが響いている。

古い計器の針が小さく震え、天井の配管から時折、金属の軋む音がした。

それでも船は飛んでいる。

ミレア・アークライトにとっては、それで十分だった。

「クロード、第二推進器の調子は?」

船内スピーカーから、落ち着いた男の声が返ってくる。

『推力は八割まで低下しています』

「リュミナまでは?」

『到達可能です』

「なら、問題は着いた後ね」

ミレアは操縦席にもたれながら、端末を操作した。

目的地は、海洋星リュミナ

青い海に覆われ、海上都市と古代遺跡が並ぶ星。

観光惑星としても知られているが、深海に沈んだ文明の伝承も多い。

綺麗な星だ。

ただ、何をするにも高い。

ミレアはそれを、これまでの旅でよく知っていた。

「燃料補給だけで、今回の報酬がそこそこ削れるわね」

『正確には、四十三パーセントです』

「聞きたくなかった」

後ろから足音がした。

エイル・アーヴァインが、まだ少し寝癖の残った髪のまま、ブリッジへ顔を出す。

「もう着く?」

「もう少し」

ミレアが短く答えると、エイルは待ちきれない様子で窓の外を覗き込んだ。

星間航路の先に、小さな青い光点が見え始めている。

まだ遠い。

けれど、その星だけは周囲の暗い宇宙の中で、妙に明るく輝いていた。

「……あれが、リュミナ?」

「そう。降りたら、まず荷物を届ける」

エイルは素直にうなずいた。

《ノクターン号》が進むにつれ、青い星は少しずつ大きくなっていく。

やがて、白い雲の隙間から、眩しいほどの海が見えた。

陸地は少ない。

代わりに、海上へ浮かぶ巨大都市の影があった。

円盤状の港湾区。

浮遊桟橋。

海面に伸びる光の航路。

その周囲を、大小さまざまな船が行き交っている。

エイルは、ほとんど窓に張りついていた。

「すげぇ……本当に、海の星なんだ」

初めて宇宙を見た時と、同じような目をしていた。

ミレアは少しだけ笑い、それからすぐ表情を戻した。

クロードの声が割り込む。

『リュミナ管制局より入港の許可。指定のドックは第七浮遊港、貨物船用外縁区画です』

「外縁か。まあ、そんなもんよね」

ミレアは端末に表示された入港費を見て、軽くため息をついた。

《ノクターン号》は大気圏へ入った。

白い雲の層を抜けると、視界いっぱいに青い海が広がる。

陽光を受けた海面が、銀色にきらめいていた。

波の上を滑る小型船。

空には白い翼を持つ鳥のような生物が群れを作り、海上都市の建造物の間を抜けていく。

その景色は、惑星〈ヴェイル〉の灰色の空とは、まるで違っていた。

エイルは言葉を失っていた。

ミレアも、ほんの少しだけ黙る。

何度も星を渡ってきた。

それでも、新しい星へ降りる瞬間は、少し胸がざわつく。

「……来てよかった」

エイルが、小さく呟いた。

ミレアは答えなかった。

代わりに、《ノクターン号》をゆっくりと降下させた。


第七浮遊港は、巨大な海上都市の外れにあった。

観光客向けの美しい桟橋からは離れていて、並んでいるのは貨物船や作業艇ばかりだった。

桟橋には潮に晒されたコンテナが積まれ、古い荷役機械が低い音を立てて動いている。

遠くの市場からは、香辛料と焼いた魚の匂いが海風に乗って流れてきた。

依頼人のヴァレスは、何かを隠していた。

報酬は不自然なほど高く、白衣の巡礼者はこの箱を追ってきた。

そして届け先は、海洋星リュミナ

どう考えても、ただの荷物ではない。

嫌な材料だけは、順調に揃っている。

「届け先は?」

エイルが聞いた。

ミレアは端末を開く。

「海上観測塔・第七観測局。海流データと海底地形、それから古代遺跡の監視記録を扱ってる施設ね」

「観測局か」

「仕事の話だけして、受領サインをもらって、燃料を入れて、さっさと出る」

ミレアは黒い箱の固定を外し、小型の運搬台へ載せた。

二人はタラップを降りる。

潮風が吹いた。

湿った風ではあるが、惑星〈ヴェイル〉の雨とは違う。

潮の匂いがして、少しだけ温かかった。

港の向こうでは、市場が賑わっていた。

色とりどりの布屋根が並び、氷を敷いた台の上には、銀色の魚や見たことのない貝が積まれている。

屋台からは、焼いた魚介の香ばしい匂いが漂っていた。

エイルは何度も足を止めかけたが、ミレアは運搬台を押して先へ進んだ。

第七観測局は、海上都市の外れにある観測塔だった。

歩いて行ける距離ではない。

港の案内表示に従い、二人は貨物用の連絡艇乗り場へ向かった。

桟橋の先では、小型の連絡艇が何隻も波に揺れている。

観光客用の白い船とは違い、貨物用の艇は塗装も剥げ、床には海水と油の跡が残っていた。

「こういう船の方が落ち着くわね」

「せっかくなら綺麗な船に乗りたかった」

「贅沢は報酬をもらってからよ」

ミレアは黒い箱を運搬台ごと固定した。

連絡艇は低い駆動音を立て、港を離れる。

市場の喧騒が遠ざかり、代わりに海風の音が強くなった。

やがて、沖合に細い白い塔が見えてきた。

海上観測塔・第七観測局。

白い塔は、明るい海の上に静かに立っていた。

桟橋に船影はなく、入口の灯りも消えている。

連絡艇が近づくにつれ、その静けさだけが、少しずつ重くなっていった。

波の音だけが、塔の足元でかすかに跳ねていた。

エイルが小さく言う。

「……閉まってる?」

ミレアは端末の依頼情報を確認する。

届け先は間違っていない。

海上観測塔・第七観測局。

受取人の名前も記されている。

だが塔の入口の案内端末には、簡素な表示だけが出ていた。

――第七観測局は、現在閉鎖中。

ミレアはしばらくその表示を見つめた。

それから、入口の認証端末に依頼コードを読み込ませる。

短い電子音。

だが、扉は開かなかった。

端末には同じ表示が繰り返されるだけだった。

――施設閉鎖中。

ミレアは端末をしまった。

届け先は合っている。

認証コードも間違っていない。

それでも、受け取る相手はいない。

ミレアは運搬台の固定を確かめると、連絡艇の方へ向きを変えた。

エイルが塔を振り返る。

「……戻るの?」

「港で聞きましょう。ここに出入りする船か、職員を見た人がいるはずよ」

連絡艇は低い駆動音を立て、第七観測局を離れた。

塔は少しずつ遠ざかっていく。

海は相変わらず明るく、波はきらきらと光っていた。


港へ戻ると、市場の喧騒が一気に戻ってきた。

水上バスが発着し、観光客が屋台の前で立ち止まり、船乗りたちが大声で値段交渉をしている。

さっきの観測塔の静けさが、嘘のようだった。

ミレアは運搬台を押しながら、港の案内係や燃料スタンドの作業員に声をかけて回った。

だが、第七観測局の名前を出すたびに、相手の表情は少しずつ硬くなった。

「詳しいことは管理局へ」

「最近、あっちには行ってない」

「第七には近づかない方がいい」

返ってくる言葉は、どれも似ていた。

聞き込みで分かったことは多くない。

第七観測局は十日ほど前に閉鎖された。

職員の何人かは行方が分からない。

そして、港の人間はその話をしたがらない。

それだけだった。

エイルも、周囲の空気が変わったことには気づいているようだった。

「みんな、はっきり言わないな」

「巻き込まれたくない顔ね」

ミレアがそう言った時、港の向こうに白い外套の影が見えた。

数人の巡礼者が、人混みの中を静かに歩いている。

ヴェイルの港で見たのと同じ、白衣の巡礼者たちだった。

エイルも気づいた。

「……あの人たち」

「目を合わせないで。歩くわよ」

ミレアは運搬台を押し、市場の横道へ入った。

エイルも慌ててついてくる。

細い通路には、乾いた網や古いブイが吊るされていた。

海水の匂いが濃い。

市場のざわめきが、少し遠くなった。

ミレアは一度だけ振り返った。

白い外套の姿は、まだ人混みの向こうにある。

ただ、偶然にしては近い。

「見られたかな」

エイルが小声で言う。

「見られてないと思いたいわね」

ミレアは運搬台を押す手を少しだけ強めた。

黒い箱は、運搬台の上で沈黙している。

届け先は閉鎖。

受取人は不明。

港の人間は口を閉ざし、白衣の巡礼者は同じ星まで来ている。

仕事としては、かなり悪い方へ転がっていた。

その時だった。

「その荷物、どこで手に入れた」

背後から低い声がした。

ミレアは足を止める。

エイルも反射的に振り向く。

路地の陰から、一人の男が姿を現した。

日に焼けた肌。

短く刈った髪。

古い作業用の潜航服。

腕にはいくつもの傷跡があり、腰には工具と小型のナイフが下がっている。

港の人間というより、海の底から上がってきたような男だった。

男は黒い箱を一瞥し、それからミレアを見る。

「その荷物、どこで手に入れた」

「依頼品よ」

「誰から?」

「口の軽い運び屋に見える?」

男は少しだけ笑った。

「見えないな」

ミレアは視線を逸らさずに言う。

「あなたは?」

「ガルド。潜航士だ」

「沈んだ観測施設や古い海底構造物を調べてる」

エイルが思わず身を乗り出す。

「海の底に、そんなものが?」

「ある。この星の海底には、沈んだ古い構造物がいくつも残ってる」

「すげぇ……」

ガルドは気にした様子もなく、黒い箱を見ていた。

「第七観測局に用があるなら、やめとけ」

「最近、あそこに関わった連中は、だいたい海に消えてる」

エイルの表情がこわばる。

ミレアは静かに目を細めた。

「それを、わざわざ教えに来たの?」

ガルドは港の方を見た。

「白い連中に聞かれたくない」

ミレアの表情が少し変わる。

「白衣の巡礼者を知ってるの?」

「この星に来てから、連中は第七観測局の周りを嗅ぎ回ってる。海底で何かを探してるらしい」

「何を?」

ガルドは黒い箱を見る。

「たぶん、それと同じものだ」

ミレアは黒い箱へ視線を落とした。

ガルドが低く言った。

「それを持ってきたなら、もう港だけ歩いて済む話じゃない」

「どういう意味?」

「受取人を探してるんだろ」

ミレアは目を細める。

「知ってるの?」

ガルドはすぐには答えなかった。

路地の向こうから、白い外套の影が近づいてくる。

ガルドは短く舌打ちした。

「ここじゃ話せない」

そう言うと、路地の奥へ歩き出した。

ミレアは一瞬だけ迷ったが、運搬台を押してその後を追う。

エイルも慌ててついてきた。

細い通路を抜けた先に、古い作業小屋があった。

潮で錆びた扉の中には潜航具が吊るされ、床には海水の跡が残っていた。

観光客が立ち寄るような場所ではなかった。

ガルドは扉を閉めると、ようやく振り返った。

「第七観測局の下に、古い施設がある」

エイルが顔を上げた。

「海の下に?」

「ああ。表向きは観測施設だが、もっと古いものの上に建ってる」

ミレアはガルドを見た。

「受取人は、そこにいるの?」

ガルドは少しだけ間を置いた。

「第七観測局の地下区画へ入ったきり、戻っていない」

エイルの表情がこわばる。

「地下区画?」

「観測塔の下、海の中にある。塔の入口からは入れないから、潜水艇で下から回るしかない」

ミレアは運搬台に載せた黒い箱を見下ろす。

「つまり、届け先は海の下ってこと?」

「そういうことになる」

第七観測局は閉鎖。

受取人は、海の下にある地下区画へ入ったきり戻っていない。

そこへ行くには、潜水艇に乗るしかない。

「その地下区画で、何が起きてるの?」

ミレアが聞いた。

ガルドは答えなかった。

代わりに、小屋の奥へ向かう。

錆びた扉を開けると、薄暗い格納スペースが現れた。

奥には、小型の潜水艇が一隻、剥げた塗装と修理跡をまとって静かに収まっていた。

エイルが息を呑む。

「これで行くのか?」

ガルドは潜水艇の外殻に手を置いた。

「俺の艇だ。古いが、整備はしてある。第七観測局の下までなら潜れる」

ミレアはしばらく潜水艇を見ていた。

剥げた塗装と継ぎ接ぎされた外殻には、長く使い込まれてきた跡が残っていた。

第七観測局は閉鎖されている。

受取人は、海の下にある地下区画へ入ったきり戻っていない。

そこへ行くには、この潜水艇に乗るしかない。

ミレアは運搬台に載せた黒い箱を見下ろした。

「準備には、どれくらいかかる?」

ガルドは短く答えた。

「すぐだ」

届け先は、海の下。

受取人も、そこから戻っていない。

なら、迷っている時間はなかった。

「行きましょう」


小型の潜水艇は、薄暗い格納スペースの奥で静かに待っていた。

小屋の外では、明るい海が何事もないように揺れていた

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