表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
宇宙船《ノクターン号》  作者: ひろゆら
第一章 海の星リュミナ

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
1/13

第1話 雨の港

辺境惑星〈ヴェイル〉の空は、今日も鈍い灰色だった。

降り続く雨が、錆びたドックを濡らしている。

発着船のエンジン音。

荷役クレーンの駆動音。

酒場から漏れる笑い声。

湿った修理油の匂いが、雨に濡れた金属の匂いと混ざりながら、港全体にゆっくり染みついていた。

ミレア・アークライトは、《ノクターン号》の船腹へ身体を潜り込ませながら、むき出しの配管へレンチを当てる。

「……だから飛びたくないって言ってるでしょ」

古びた船体が低く振動した。

船内スピーカーから、落ち着いた男の声が響く。

『第二推進器の状態は劣悪です』

ミレアはため息をつく。

「分かってるって、クロード」

『安全基準を満たしていません』

「でも飛べる」

数秒の沈黙。

『……飛行自体は可能です』

ミレアは少し笑った。

「ほらね」

《ノクターン号》は、かなりの年代物だった。

細身の船体。

外付けコンテナ。

むき出しの配管。

何度も重ねられた修理パッチ。

遠目には妙に綺麗だが、近づけば辺境航路を渡り続けた傷跡だらけだ。

だがミレアは、この船が嫌いじゃなかった。

長い航海も。

静かな宇宙も。

知らない星へ降りる瞬間も。

それでも、燃料代だけはどうにもならない。

ミレアは端末の残高表示を見て、静かに閉じた。

「うん。見なかったことにしよう」

その時だった。

貨物区画の奥から、ガタン、と鈍い音がした。

ミレアは顔を上げる。

数秒の静寂。

また音が鳴った。

「……いるね?」

ミレアは腰の工具を外し、代わりに古い小型拳銃へ手を伸ばした。

古い照明が届かず薄暗くなった貨物区画の奥へ進んでいく。

船体の低い振動音だけが響いていた。

その奥で、何かが小さく動く。

ミレアは足を止めた。

「出てきな」

少し間を置く。

「いつまで隠れてるつもり?」

しばらくして、コンテナの陰から少年が顔を出した。

まだ若い。

宇宙慣れしていない顔だった。

ミレアは無言で見つめる。

少年は気まずそうに笑った。

「……見つかっちゃった」

ミレアは呆れたように額を押さえる。

「なんで乗ったの?」

少年は少し黙った。

それから真っ直ぐ言う。

「宇宙を見たかった。本物の星を見てみたかったんだ」

ミレアは一瞬だけ言葉を失った。

遠い星を見上げる目。

この狭い世界の外を夢見る目。

昔、自分もしていた目だった。

ミレアは視線を逸らす。

「……で?」

「一回だけでいいんだ。ちゃんと働くから」

「働ける歳?」

「多分」

「多分で宇宙に来ないでほしいなぁ……」

ミレアは長く息を吐いた。

本来なら港へ突き出すべきだった。

でも結局、

「次の港までね」

少年の顔が明るくなる。

「ほんとに!」

「騒がない。触っちゃいけないものには触らない。勝手にどっか行かない」

「子供扱いしてない?」

「してる」

少年――エイル・アーヴァインは、安心したように息を吐いた。

その時、船外で誰かが立ち止まる気配がした。

「……依頼を受ける船を探している」

「できれば、口の堅い運び屋がいい」

ミレアはゆっくり振り返る。

タラップの下に、痩せた男が立っていた。

くたびれたコート。

落ち着きなく周囲を見る視線。

学者崩れみたいな顔。

男は雨を払うようにコートを押さえながら言った。

「ヴァレスだ。古代文明研究局にいた」

「今は辞めてる……いや、追い出されたと言った方が近いか」

ミレアは黙って男を見る。

ヴァレスは少し居心地悪そうに視線を逸らした。

「荷物を運んでほしい」

そう言って、男は横に置かれていた小さな黒い箱へ目を向ける。

ミレアは眉を寄せた。

「どこまで」

海洋惑星リュミナ

遠い。

燃料代もかかる。

だがヴァレスが端末へ送ってきた金額を見て、ミレアは黙った。

破格だった。

逆に怪しい。

「中身は?」

「骨董品だ」

「骨董品でこの額?」

ヴァレスはすぐ答えなかった。

その代わり、小さく周囲を確認してから低い声で言う。

「……絶対に開けるな」

ミレアは黒い箱を見る。

古びた金属製。

傷ひとつない黒い表面。

そこへ刻まれた、読めない文字。

妙な存在感があった。

まるで箱そのものが、静かにこちらを見返しているみたいだった。

ミレアは嫌な予感を覚える。

だが端末の残高が頭をよぎる。

燃料。

修理。

食料。

飛ばなければ、生きていけない。

ミレアはため息をついた。

「……積み込んで」

ヴァレスは明らかに安堵した。

黒い箱が貨物区画へ運び込まれる。

エイルが箱へ触れかけた時、港の方が騒がしくなった。

白い外套の集団。

白衣の巡礼者だった。

彼らは港の人間たちを次々に確認している。

まるで、何かを探しているみたいだった。

ミレアは嫌そうに目を細める。

「こういうのね。高額報酬の荷物についてくるの……」

白衣の巡礼者たちは、ゆっくり港を見回している。

その空気だけで、周囲の船乗りたちが距離を取っていた。

ミレアは小さく息を吐く。

「かなり面倒なやつ」

エイルが不安そうに巡礼者たちを見る。

「知ってる人たち?」

「辺境じゃ有名よ。聖遺物だの古代遺産だの追いかけてる連中」

エイルは白い外套の集団を見つめる。

「敵なの?」

ミレアは肩をすくめた。

「敵のときもあるし、敵じゃないときもある」

少し間を置く。

「でも、関わると大体ろくなことにならないのは確かよ」

その時、巡礼者の一人がこちらを見た気がした。

ミレアは即座に踵を返す。

「クロード、出港準備」

『第二推進器に無理があります』

「今それを言ってる場合じゃないでしょ」

低い駆動音が船内へ響き始める。

《ノクターン号》の船体が、小さく震えた。

船はゆっくりと浮上し、鈍い灰色の空へ上がっていく。

エイルは窓へ張りついていた。

「うわ……」

雲を抜け、灰色の空がほどけると、その先には静かな星々の海が広がっていた。

エイルは息を呑む。

「すげぇ……本当に、外ってこんなに広いんだ」

ミレアは少しだけ笑った。

「最初はみんな、そう言うのよ」

ブリッジには、微かな通信ノイズだけが響いていた。

航行が安定し、エンジン出力が落ちる。

その時、警報音が鳴った。

『接近船舶を確認』

モニターへ、白い小型船が映る。

通信が入った。

『その積荷は聖遺物である。直ちに引き渡せ』

ミレアは舌打ちする。

「ほら来た」

「どうするの!」

「振り切る」

ミレアは操縦桿を倒した。

船体が大きく傾き、エイルが座席にしがみつく。

『デコイ展開』

背後へ小さな光点が散る。

『排熱攪乱、開始』

追跡船の表示が、一瞬だけ乱れた。

ミレアはその隙に、船首を小惑星帯へ向ける。

エイルが息を呑んだ。

いくつもの岩塊が、窓の外をゆっくり流れていき、その隙間へ《ノクターン号》は滑り込んだ。

古い船体が、軋むように震えた。

追跡を振り切った頃には、船内は静けさを取り戻していた。

貨物区画の奥で、黒い箱だけが静かに固定されている。

エイルが呟く。

「……あの箱、何なんだろう?」

しばらく沈黙して、ミレアは立ち上がった。

「降りるなら次の港ね」

「降りない」

ミレアは少し笑った。

「でしょうね。じゃあ、寝床くらいは作ってあげる」


《ノクターン号》は、静かな星間航路を進んでいく。

それは、長い旅の始まりだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ