第11話 水場
砂の星ザハルの玄関口、港町サマルカーラを発って、二日目の昼になった。
景色は、朝から何ひとつ変わらない。地平線まで砂ばかりが続き、連なったサンドクローラーが、その真ん中をゆっくりと進んでいた。
動くものといえば、砂の表面の細かい筋くらいだった。それも、次の風が来れば消えてしまう。
日差しは強く、デッキの手すりは、手で触れないほど熱くなっている。日よけの布が張られ、乗客はその陰に身を寄せていた。
商人や旅人、子供を連れた家族にまじって、白衣の巡礼者の一団が、隅のほうで静かに固まっている。
誰も、あまり喋らなかった。口を開くと、喉が渇くからだ。
水は、朝に一日分が配られる。デッキの給水機にボトルを差し込むと、決まった量だけ流れる。
エイルのボトルは、昼を待たずに残りわずかになっていた。
「兄ちゃん、もう飲んじまったのか?」
隣に座っていた年配の商人が、エイルの手元を見て笑った。
「次は明日の朝までないぜ」
「……はい」
エイルは、ボトルの蓋を締め直した。
ミレアが、日よけの下から言った。
「言ったでしょ。水は大事にしなさいって」
「分かってたんだけど……暑くて」
商人はひとしきり笑うと、自分のボトルを軽く振ってみせた。
「朝に半分、夜に半分。先に決めて飲むんだ。考えて飲めば、水ってのは保つもんだぜ」
「……覚えときます」
昼の食事も、デッキの上で配られた。固く焼いた平たいパンに、干した果物、それに塩のきいた干し肉が少し。
エイルは、パンの固さに苦労した。歯を立てても、なかなか噛み切れない。
「慌てて水で流し込むなよ」
商人が、にやにやしながら言った。
「口の中で、ゆっくり湿らせるんだ。そのほうが腹にも保つ」
ミレアは干し肉をかじって、少し眉を上げた。
「悪くないわね、これ」
「だろう。メルザバードの塩を使ってんのさ」
商人は、自分の手柄のように胸を張った。
メルザバードは、砂漠の奥にある内陸の大きな町だ。商隊はまずそこを目指し、エイルたちの届け先は、さらにその先にある。
日が傾きはじめたころ、行く手に、黒い点がひとつ見えてきた。
砂漠の真ん中に立つ、背の高い貯水塔だった。塔のまわりには数軒の小屋が建ち、先に着いた商隊の車体が並んでいる。
「町……じゃ、ないよね?」
「水場よ。今夜はここで泊まるのね」
ミレアが、立ち上がりながら答えた。
サンドクローラーが速度を落とし、一台、また一台と、停まっている車体の横に並んでいく。
「昨日の便だ」
乗り手たちが話しているのが聞こえた。
「東の空の色が悪くて、ここで丸一日待ったらしい」
水場には、井戸が何本も掘られていた。
砂地に等間隔で並んだ汲み上げ口のひとつひとつに揚水機が据えられ、低い唸りを立てている。汲み上げられた水は、太い管を通って真ん中の貯水塔へ集められていた。
水を売るのは、洗いざらしの作業着を着た整備士だった。揚水機の面倒も、ひとりで見ているらしい。商隊の乗り手がまとめて水代を払うと、塔から伸びたホースが、車体のタンクへ順番に繋がれていく。流れた量は、塔の根元のメーターが刻んでいた。
エイルも、給水の手伝いに入った。水を満たしたホースは重く、二人がかりでようやく支えられる。それでも、タンクへ流れ込む水の音を聞いているだけで、少し気持ちが落ち着いた。
「いい水だろう」
整備士が、誰にともなく言った。
「ここの水が涸れたら、商隊は砂漠を渡れなくなる」
日が落ちると、気温は急に下がった。
夕食のあと、焚き火のまわりには、二つの商隊の乗り手たちが集まっていた。この先の空模様、風の向き、メルザバードの相場。話は、なかなか尽きないようだった。
やがて、荷物のある客たちが、ぽつぽつと焚き火を離れていった。
「見張り、僕たちもやるの?」
「やるわよ。自分の荷物は自分で見張る決まりだから。それに――」
ミレアは、停まったサンドクローラーの暗がりに目をやった。
「ここは、例の水場だから」
エイルにも、すぐに分かった。荷物から目を離すな――サマルカーラの老人が、そう言っていた場所だ。
その夜は、二人で、車体から降ろされた木箱のそばに座ることになった。
夜のデッキは、昼間の暑さが嘘のように冷えた。エイルは、両腕をさすりながら空を見上げた。
「……すごいな」
「冷えるわよ」
ミレアが、毛布を放ってよこした。
火に枝を足しながらちらりと空を見上げ、その目もとが少しだけやわらいだ。
それからしばらく、二人とも黙っていた。焚き火の爆ぜる音と、遠くで誰かが咳をする音だけが聞こえていた。
並んだ車体のあいだを、明かりも持たずに歩いてくる影があった。足音は、砂に吸われてほとんど聞こえない。
「ミレア」
エイルが小声で言ったときには、ミレアはもう立ち上がっていた。
男が三人、焚き火の明かりの中に入ってきた。見覚えのない顔だった。
「よう。よその商隊さんだな」
先頭の男が、気安い調子で言った。
「水場の夜は物騒でな。おれたちが荷物の番をしてやってるのさ。荷物ひとつにつき、見張り代をもらうことになってるんだ」
「結構よ。自分の荷物は自分で見るわ」
「そうはいかねえんだ。決まりは決まりでね」
男のひとりが、揚水機の部品を収めた木箱に、無造作に手をかけた。
「触らないで」
ミレアが掴んだ腕を、男が乱暴に振り払う。その勢いで肩がぶつかり、残りの二人が囲むように間合いを詰めてきた。
エイルは立ち上がり、大きく息を吸い込んだ――そのときだった。
「夜中に騒がしいと思ったら」
明かりの外から、低い声がした。
「ミレアじゃねえか」
暗がりから、大きな影が歩み出てきた。ぼうず頭に、小さくて丸いサングラス。
ボルグ・ハルデンだった。
「なんだ、てめえは」
先頭の男が振り返り、言葉を切った。目の前に、ボルグの胸があった。
「運び屋だ。見張りなら間に合ってるぜ」
ボルグはのんびり答えて、男たちとミレアのあいだに、当たり前のように割って入った。
「どけよ、でかぶつ」
男が肩を押したが、ボルグは動かなかった。代わりに男の胸ぐらを掴むと、軽々と持ち上げて、そのまま放り投げた。
「お、おい――」
男は宙で半回転して、砂煙を上げて落ちた。サンダルが片方、遅れて落ちてくる。
「砂は柔らけえから、怪我はしねえよ」
残りの二人は立ちすくみ、ボルグが一歩近づくと二歩下がった。
「ほら、連れて帰んな」
二人は転がった男を引き起こすと、何も言わずに暗がりへ戻っていった。
エイルは、吸い込んだ息の使いどころを失って、ゆっくりと吐き出した。
ボルグは、何事もなかったように焚き火のそばへ来ると、どかりと腰を下ろした。
「で、どこまで行くんだ」
「……挨拶くらいしたら?」
「『ミレアじゃねえか』って言ったろ」
ミレアは肩の力を抜いて、座り直した。
「メルザバードの先。オアシスの町、トルファラよ」
ボルグの眉が、ぴくりと動いた。それから、肩を揺らして笑い出した。
「同じだ。俺の届け先も、その町だ」
荷物が何かは、互いに聞かなかった。
「あなた、先に出たはずでしょ」
「出たさ。だが、空の色が気に入らねえと、うちの乗り手が言ってな。丸一日、ここで停まってた」
ボルグは、隣に並んだ商隊のほうへ顎をしゃくった。
「おかげで追いつかれちまった」
「砂が決めたのね」
「そういうこった」
ミレアが、あらためてボルグに向き直った。
「助かったわ。一つ借りね」
「おう、覚えとけよ」
ボルグはにやりとした。
「なに、利子は取らねえ」
火が落ち着いたころ、エイルが、おずおずと口を開いた。
「あの……ああいう人たち、よくいるんですか?」
「水場にゃ、たまに湧く」
ボルグは、火に枝を一本、放り込んだ。
「商隊が毎日通る道だ。人と荷物が集まりゃ、ああいうのも寄ってくる。心配すんな。痛い目を見てまで稼ぐ連中じゃねえ。今夜はもう来ねえよ」
その言葉のとおり、夜が明けるまで、連中が戻ってくることはなかった。
翌朝。
夜明け前の水場は、二つの商隊の出発の支度で賑わっていた。給水のホースが巻き取られ、留め具が締め直され、エンジンが順番に低い音を立てはじめる。
ここから先は、二つの商隊が連なって走るらしい。
エイルが積み込みを手伝っていると、デッキの縁に、大きな手が掛かった。布袋をひとつ担いだボルグが、よじ登ってくる。
「世話になるぜ。メルザバードまで、こっちに乗せてもらう」
「聞いてないけど」
「今言った」
ミレアは日よけの下で答えたが、追い返しはしなかった。
ボルグは布袋をデッキに下ろした。荷物のほうは、二つ前の車体に置いてきたらしい。
それから大きく伸びをして、エイルを見下ろした。
「おまえ、名前は?」
「エ、エイルです」
「ボルグだ。よろしくな」
それだけ言って、手すりの脇に座り込んだ。
出発の鐘が鳴った。
サンドクローラーが先頭から順に動き出すと、巻き上げられた砂塵が朝日の中で長く尾を引き、水場の貯水塔は、みるみる遠ざかっていった。
「メルザバードまでは、もう何もねえぞ。寝てりゃ着く」
ボルグはそう言ったくせに、それから少しも黙らず、サマルカーラの食事のことや昔の依頼のことを喋り続けた。ミレアは目を閉じたまま、半分だけ聞いている。
エイルは毛布を畳みながら、少し笑った。
メルザバードまで、あと二日。
商隊は、砂の海の真ん中を進んでいった。




