第10話 砂の星への依頼
惑星セリオンの軌道上に、その港はあった。
惑星を見下ろして浮かぶ、小型の宇宙ステーション。惑星の重力圏を離れる船が、最後の補給を済ませ、次の仕事を探しに立ち寄る場所だ。
通路の小さな窓の外を、雲をまとったセリオンが、ゆっくりと流れていた。あの雲の海のどこかに、昨日までいた牧場がある。
ドックは数えるほどしかない。接続アームには継ぎ接ぎの修理跡が走り、床を走る光の案内ラインも、半分は薄れていた。
前に寄った大きなステーションのような賑わいはない。行き交う人はまばらで、発着案内の声だけが、がらんとした通路に響いている。
「さて」
ミレアは端末を片手に、配送依頼の掲示板へ向かった。
壁一面に、依頼が並んでいる。行き先、報酬、荷物の重さ、期限。港に出入りする運び屋は、ここで次の仕事を拾っていく。
掲示板の前には、先客がいた。
というより、声が先に聞こえた。
「だから、その期限じゃ受けられねえって言ってんだよ! 砂漠の奥まで三日? 翼でも生やせってか!」
大柄な男が、窓口の端末に向かって吠えていた。ぼうず頭に、小さくて丸いサングラス。岩のような肩、着古した作業着の袖からは、丸太のような腕が突き出ている。
ミレアは、その背中に見覚えがあった。
「相変わらずうるさいわね、ボルグ」
男が振り向いた。
「お? ……なんだ、ミレアか! 久しぶりじゃねえか!」
ボルグ・ハルデン。中型輸送船《アンヴィル号》の船長で、昔からの運び屋仲間だ。港で顔を合わせれば言葉を交わす。それくらいの、長い付き合いだった。
「そうね。アンヴィルはまだ飛んでるの?」
「あったりめえだ。エンジンを二回も載せ替えたがな!」
笑うと、声がまた一回り大きくなった。狭い通路に、よく響く。
その目が、ミレアの後ろで止まった。
「なんだ、連れがいるのか。珍しいな」
エイルが、慌てて頭を下げた。
「成り行きでね」
ミレアが短く言うと、ボルグは「ふうん」と言っただけで、それ以上は聞かなかった。誰を乗せていようと、よその船のことだ。
ミレアは端末を掲示板に繋ぎ、依頼を流し始めた。
地味な依頼が並んでいた。近場の資材運びに、引き受け手のないまま期限の迫った荷物。こんな小さな宇宙ステーションに流れてくるのは、売れ残り仕事ばかりだった。
その中に、一件だけ目に留まる依頼があった。
行き先はザハル。砂の星だ。荷物は揚水機の部品で、届け先は、砂漠の奥にあるオアシスの町になっていた。
「陸路込みか……」
ザハルには、宇宙船の降りられる港町がひとつだけある。そこから奥へは、陸路で運ぶしかない。手間のかかる依頼だ。引き受け手が少ないのだろう、その分、報酬は悪くなかった。
ミレアは条件を二度確かめて、受注の手続きをした。
「ザハルか」
横から画面を覗き込んだボルグが、にやりとした。
「俺もだ。さっきの依頼、結局受けちまった」
「期限でごねてたやつ?」
「ごねたら延びた。ごねてみるもんだぜ」
ボルグは自分の端末を叩いて笑った。荷物が何かは言わなかったし、ミレアも聞かなかった。互いの積荷は詮索しない。昔からの決まりだ。
「じゃあな。俺は先に出るぜ」
「ええ。またどこかの港で」
ボルグは片手を上げて、ドックのほうへ歩いていった。
ミレアは端末をしまうと、エイルに言った。
「私たちも、行くわよ」
ステーションを発って、数日。
砂の惑星が近づいてきた。雲のない、むき出しの星だった。
《ノクターン号》が高度を下げていくと、窓いっぱいに、砂の大地が広がった。
海のない星だった。地平線まで、砂と岩ばかりが続いている。その砂の色が、場所によって白く、黄色く、赤く変わっていった。
「これ、全部……砂?」
エイルが、窓に貼りつくようにして言った。
「全部よ。海みたいでしょう」
『着陸許可が出ました。第三発着場へどうぞ』
「了解」
ザハルでただひとつの港町、サマルカーラは、砂漠の真ん中にあった。
タラップを降りると、乾いた風が頬を打った。熱いというより、体から水分を持っていくような風だった。
町では、厚い土壁の建物がひしめき合っていた。強い日差しのなか、建物のあいだの細い路地だけが、ひんやりと暗かった。
広い通りの頭上には、日よけの布が屋根のように張られている。行き交う人々は、みな布で口元を覆っていた。
エイルが、通りの先を指さした。
「ミレア、あれ」
路地の角で、男が革袋からコップに水を注いで売っていた。コップ一杯の水に、客が硬貨を何枚も重ねて払っていく。
「水が、売り物なんだ」
「ここじゃ、燃料より大事かもね」
実際、宿の受付で水の値段を見て、ミレアは少しだけ眉を寄せた。一晩の宿代に、水代が別でつく。しかも、安くない。
文句を言っても始まらない――それが、ここの暮らしだった。
船は、港に預けていく。手続きを済ませると、クロードが通信に応えた。
『こちらはお任せください。砂漠の奥は、電波の届かない区間があります』
「分かってる。留守は頼んだわ」
『はい。お気をつけて』
商隊の乗り場は、町の外れにあった。
そこに並んでいたものを見て、エイルは足を止めた。
家が丸ごと載りそうな、鉄の大きな車体が、何台も並んでいた。底は、砂の上を滑るために、先がなめらかに反り上がっている。車体のあちこちに、砂よけの覆いと、荷物を縛る太い留め具が並んでいた。
エンジンは、車体の後ろに積まれているらしい。整備の男たちがその覆いを開けて、中を覗き込んでいた。やがて低い音が響き、震えが、足もとの砂まで伝わってきた。
「すげえ……なに、あれ」
エイルのつぶやきに、ミレアが答えた。
「サンドクローラーよ。あれで砂漠を渡るの」
乗り場には、行き先と出発の日を記した案内板が掲げられ、その下に人が列を作っていた。商人、旅人、子供の手を引いた家族。
行き先は、どの案内板も同じだった。メルザバード――砂漠の奥にある、内陸の大きな町で、商隊はみな、まずそこを目指すらしい。
列の中に、白い装束の一団がいた。
白衣の巡礼者だ。荷物は少なく、みな静かに、出発を待っている。
エイルの視線が、一瞬、その一団に止まった。
ミレアは何も言わず、受付へ歩いていった。
商隊を束ねる老人が、ミレアの依頼書を一瞥して、頷いた。
「メルザバードまでは、どれくらい?」
「順調なら四日。砂が荒れれば、分からん」
「ずいぶん大ざっぱね」
「ここじゃ、着く日は砂が決める」
「商隊は毎日出てるの?」
「出るとも。商隊が止まれば、奥の町は干上がる。水も塩も薬も、全部おれたちが運んでるんだ」
当たり前のことを聞くな、という顔だった。
依頼書を受け取り、立ち去りかけたミレアに、老人が言い添えた。
「途中の水場じゃ、荷物から目を離すなよ。近頃、たちの悪い連中がうろついてる」
「覚えておくわ」
ミレアは、短く答えた。
こうして、翌朝に出る商隊に荷物と席を確保した。揚水機の部品は、木箱ごとサンドクローラーの腹へ積み込まれていく。
その夜は、サマルカーラの宿に泊まった。
土壁の部屋は、昼の熱を残してほんのりと暖かく、窓の外からは、夜風が砂を運ぶ細かな音が聞こえていた。
部屋の隅には、水が入ったボトルが一本置かれていた。これが、今夜の分の水だった。
エイルは窓辺に座って、暗くなった町を眺めていた。家々の窓に、ぽつりぽつりと灯りがともっている。その向こうは、もう真っ暗な砂の海だった。
「明日から、あれを渡るんだ」
誰に言うでもない、小さな声だった。
ミレアが、寝台から言った。
「早く寝なさい。出発は夜明け前よ」
まだ夜の明けきらないうちに、乗り場は動き出していた。
積み荷の最終確認、留め具の点検。乗り手たちが、車体の周りを忙しく行き交っている。
やがて、空が明るくなりはじめた。
出発を告げる鐘が、低く鳴った。
エンジンの音が、腹の底に響いた。
巨大な車体が、ゆっくりと砂を押して、滑るように動き出した。
エイルは、デッキの手すりを掴んだまま、言葉を失っていた。
足の下で、振動が続いている。車体の後ろでは、巻き上げられた砂塵が、長く尾を引いていた。
サマルカーラの街並みが、砂塵の向こうで小さくなっていく。やがて町は、朝日の照り返しに溶けて、見えなくなった。
あとは、砂だけだった。
どこまでも、砂の海が続いていた。
「ほんとに、砂の海だ……」
エイルの声は、エンジンの音にほとんど消えた。
ミレアは、デッキの日陰に腰を下ろした。
「先は長いわよ。水は大事にしなさい」
メルザバードまで、四日。オアシスの町は、さらにその先にある。
海を潜った。山を登った。
そして今、砂の海を渡っていく。




