51.
オーエンツォの屋敷が虫たちに占拠されたことで、わたくしとルーイスがリヒタイン侯爵家に向かうことになりました。
勿論、わたくしは抗いました。
元婚約者のフィリクス様のお屋敷です。
使用人たちもわたくしのことを見たくもありませんでしょうし、フィリクス様もわたくしに会いたくないでしょう。
「ルーイス、やはりどこか違うところへ……。そうだわ。町の宿屋にお世話になるのはどうかしら?」
「だめです。治安が良くないです。姉様を安全なところで守らないと」
「いえいえ。わたくしごときがよその邸宅に伺うなど、迷惑をかけてしまいます」
「大丈夫!ニールにはもう連絡入れたからね」
「え……」
どういたしましょう。門前払いされるのではないでしょうか。
それはとても、辛いですわ……。
ルーイスに流れるように言葉を躱され、会話をしながら自然に馬車に乗せられ、気が付いたらリヒタイン侯爵家についておりました。
閉じられた門は何も言わずとも開けられ、何の躊躇もなく屋敷正面に馬車が止められてしまいました。
ルーイスは止めようとするわたくしの手をするりと躱し、そそくさと馬車から降り立ちます。
「さあ、姉様。手を取って」
「いえ……。わたくしはこちらに伺うことはできませんわ」
「フィリクス兄様のことを気にしてる?」
「ええ……。皆様、わたくしの顔など見たくないでしょう」
「?そんなことないよ。ほら、大勢の出迎えが」
ルーイスで見えなかった正面玄関には、侯爵家の使用人が並んでおりました。嫌そうな顔をしている人はいません。睨まれてもいません。
「どういう、こと?」
「みんな、姉様が好きなんだよ」
そんなはずないと思っております。けれど、見知った使用人たちは笑顔です。
「エリザベート様、お待ちしておりました」
「ご両親が……、大変でしたね」
「湯を用意していますから、まずは埃を流しましょう」
「スコーンを焼いていますから、湯で流したらひと休みしましょう」
以前と変わらぬ、優しい人たち。
以前と変わらない、もてなし。
フィリクス様の婚約者でなくなったというのに、どうして。
目の前が、かすんで見えます。
鼻の奥が、ツンとします。
勝手に、声が漏れてしまいます。
「う……」
わたくしはルーイスに手を引かれながら、空いた手で涙を拭います。
使用人たちが集まり、まるで子供のようにあやしてくれます。
ですので、子供のように泣いて、甘えてしまいましたの。
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泣きはらした目を、湯で洗い流してもらった後に冷やしてもらいながら、髪を乾かしてもらっています。
下着姿で。
ドレスはどうしましょうか……。
「姉様、下着姿のままはちょっとよくないね。服を用意してもらったよ」
「服?」
「うん。身動きしやすい簡易ドレスだよ」
ルーイスはわたくしが下着姿であろうとかまわず部屋に入ってきます。
「それはありがたいですわ。ですが……」
「いいから、早く着て」
せかされて、渡された簡易ドレスを着てみました。
肌触りがよく、シンプルなデザインながらも裾に細かな刺繍がされた上品なものです。
色は落ち着いた青緑色です。
扉をノックする音を聞き、ルーイスが呼びに来たようです。
「ルーイス。このドレス、とても素敵だわ」
少しはしゃいでその場でくるりと回って見せます。
ですが、ガチャリと戸が開き入ってきたのはルーイスではありませんでした。
「よく似合うよ、リズ」
「フィリクス、様……」
一瞬、時が止まったかのような気がいたしました。
フィリクス様がわたくしを見つめている。
わたくしもフィリクス様を見つめている。
視線が、絡みます。
「リズ、久しぶりだね。会いたかったよ」
「フィリクス様……、お邪魔、しております」
ぎこちなく、挨拶をいたしました。
「他人行儀だね。……まあ、仕方ないのかな」
「ええ……」
どうしたものかと、視線を落としました。
「リズ、屋敷に戻れないって聞いたよ。ここでゆっくりしたらいい」
「ですが、ご迷惑を……」
「迷惑なんかじゃない。俺は、君の側にいられて、うれしい」
「あ、えっと……」
何と答えればいいのでしょう。
嬉しいと、素直に言えない立場ですのに。
「リズ、こっちに来て」
手を引くフィー。流されるわたくし。
本当は、いけませんのに……。
フィリクス様に連れられた先は、衣装室でした。
「こちらは?」
「全部、リズのドレスだよ」
「っ!!」
言葉に詰まりました。何着もあるドレス。どれほどの金額になりますでしょう。
このドレスを、着ることはできませんのに。
「全部、リズに着てもらいたい。離宮に、持って行って欲しい」
「だめよ!そんな!」
「いいんだ。俺が、そうして欲しいんだ」
「で、でも……」
先ほど泣き止んだばかりなのに、またしても涙が溢れてきます。
「リズ、俺はね、どんな形でもいいから、君の側にいる。絶対に離れない」
「フィー……」
「愛してる。君だけを」
「ふ……。うぅ……」
声を抑えるために、指を噛みました。でも、小さく嗚咽が漏れてしまいます。
「フランクリンから、君を取り戻す。もう少し待ってて」
「……え?」
「いいかい、これから話すことを聞いたら、もう戻れない。戻れないけど、聞いて欲しい」
「……戻れない?」
「ああ。でも、俺達で間違いを正そう」
「正す、のですか。それは……」
「ああ。母上から聞いたよね」
「ええ。伺いましたわ」
そうです、カトリーン王妃様から事の始まりを伺ったのですわ。
フィリクス様は、そっと優しく抱きしめて、耳元でささやきます。
これから起こる、甘くない“運命“を――。




