50.
屋敷に戻りますと屋敷内が暴風で荒らされたかのような状態になっております。
どこからか鼻がもげそうな臭いもしてきております。
ええ、――現在進行形で。
「……ヤスミン。お父様とお母さまが戻ってきましたわね。どうになしてちょうだい」
ハンカチで鼻を抑えながら声を掛けます。
「うげえ……。私だけですか?」
ヤスミンもハンカチで鼻を保護しております。
「貴方だけというのは、可愛そうね。クラリスも手伝ってあげて」
「かしこまりました」
クラリスは……、ハンカチで鼻を覆っていませんわ!なかなかの強者ですわね。
と、思っていたのですが――。
「う“……」
口に手を当て、顔を真っ青になりだしました。
「クラリス……。無理は――」
心配して声を掛けたのですが、ロビーの端に走って蹲り、でろでろと吐き出してしまいました。
いろいろと。
外やトイレに逃げ込む時間がないほどの吐き気だったのでしょう。
「……ヤスミン。まずはクラリスのところを何とかしてちょうだい」
「……かしこまりました」
本当に両親が屋敷にいると面倒なことばかりですわ。
「姉様、なんとかなりませんか?」
自室でくつろいでいましたら、ルーイスが泣きながら助けを求めてきました。
「無理ですわ」
即答いたします。
「ええ~。姉様ならなんとかできます~。せめて、臭いだけでも……」
そう、ですわね。臭いは何とかしなくては、今晩寝れそうにありませんものね。
「では、庭に大きな盥を2つ。お父様とお母さまを庭に連れ出してちょうだい」
「!!わかった!」
ルーイスは顔を輝かせて出ていきました。
付近で口を隠すように巻き付けている下女たちに連れてこられた両親は、薄汚れて肌の色がくすんでいます。そして、異臭を放っております。
「盥の中に2人を」
下女たちに指示をいたします。
「「「はい!」」」
よい返事ですわ。そして、キレのある動きですわ。
「なになに?」
「いったい何をするんだ?」
両親は何をされるのかと不安なようで、挙動不審です。
「みんな、まずは温めのお湯を頭から掛けなさい」
「「「はい!!」」」
「ひゃ~」
「うわあ!」
騒ぎ過ぎです。ただ、湯を掛けただけですわ。
「次は薄めた石鹸水を」
「「「はい!!!」」」
「きゃー!う“……けほけほ」
「うお!!うぶぶぶ……」
思った通り、泡立ちませんわ。
「一度湯で流してもう一度ですわ!」
「「「かしこまりました!!」」」
「いやあ~!殺される~」
「うおぅ!なんじゃこりゃ!」
何を言っているのやら、この2人は。
結局のところ、3回の石鹸水で何とか汚れが落ち、臭いもしなくなりました。
両親が出た後の盥を覗き込むと、濁った水に黒い点々が浮いています。
「姉様、これは……」
「ええ……。大変ですわ……」
ルーイスとわたくしは顔を見合わせ、頷きます。
「みんな!急ぎ両親の持ち帰った荷物を庭へ!」
「手袋をしなさい!」
「「「かしこまりました!!!」」」
「ええ~。私たちの荷物が……」
「大切な文献もあるのに……」
この2人。自分がよければいいのですか。屋敷の者のことはどうでもいいのですか。
「いい加減になさいませ!こんなに大量のダニを持ち帰ってきて、屋敷が虫だらけになるではありませんか!」
わたくし、思わず叫んでしまいました。
虫はきっと……、屋敷に飛び散っておりますわ。
思わず身震いをしてしまいました。
もう、わたくしの部屋にも虫たちが蔓延っているのだと、思われるのですもの。
どうしましょう。
どこで寝ればいいというのでしょう……。
わたくし、頭を抱えました。
オーエンツォ家は、虫どもに侵略されてしまったのです。
「人類は無力だったのですわ」
ぶつぶつと、気が付いたらつぶやいておりました。
「姉様!大丈夫です。きっと。虫たちは燻煙すれば追い出せますから。それまでは、どこかに避難しましょう」
ルーイスがわたくしの背中をさすりながら申しております。
「でも、どこに行けば……」
わたくしを少しの間受け入れてくれるところなんて、あるのでしょうか。
明後日は婚姻式です。
そんな娘を、喜んで受け入れる家なんて、ありませんわ。
「ニールに頼んでみるから。ね」
ニール様の家は……。
フィリクス様が、いらっしゃいますわ。
元婚約者の、フィリクス様が。
わたくしの、愛していた方が。
「それ、は……」
苦しい……
胸が、苦しいです。
どうすることもできないと、諦めたのです。
あの方への気持ちも、あの方からの気持ちも。
それなのに――。
「姉様、大丈夫ですよ。ニールもフィリクス兄様も僕も、姉様が大好きだからね」
その言葉は、わたくしの喉を締める鎖としか、思えません。




