4.
帰宅いたしますと、弟のルーイスが駆け寄ってまいりました。
「姉さま、どうでしたか?」
ルーイス、何のことをさしているのかわかりませんわ。
「どうにも……」
わたくしの希望は、何も叶いませんでしたから、この言葉だけでいいでしょう。
「姉さま……」
憐れんだ顔をしないで。どこか、諦めの気持ちになってきておりますから。
貴族の婚姻なんて、気持ちを伴わないと言われております。
お父様とお母さまが仲の良い夫婦なので忘れておりました。両親も政略結婚でしたが、結婚後想いを重ねたのだと言います。
とても珍しい関係が身近にいたものですから、失念しておりましたわ。
「……」
わたくしは、無言で首を横に振りました。
もういいのだと、諦めるのだと、ルーイスに伝えます。
「……」
ルーイスが瞬きを3回いたしました。
“秘密のサイン”を始める合図です。
「……」
顔を下げず、視線をほんの少し下げます。
ルーイスが持っていた本の陰で、人差し指を真っすぐわたくしに伸ばし、左右に2回振りました。
「!!」
わたくしは、息を飲んでしまいました。
“気をつけろ”のサインです。
何に気をつけろと言うのでしょうか。
わたくしも左手で陰を作り、中指を人差し指に絡ませます。
“何に?”のサインです。
すると、ルーイスは口を開きました。
「姉さま、夕食には時間もありますし、久しぶりにボードゲームをしませんか?」
“ボードゲーム”ですのね。
「ええ、いいわよ。今からルーイスの部屋でいたしましょうか」
密談をしに、ね。
「やった!今日は僕が勝つからね」
無邪気に喜んでいますわね。完璧な“お坊ちゃま”を演じてくれてありがとう、ルーイス。
わたくしと弟には、秘密のサインを持っております。
正確には、フィリクス様とその弟のニール様も含めた4人だけのサインです。
なぜ、そのようなサインを持っているのかというと、フィリクス様とニール様のお父様のユーリウス・リヒタイン宰相様が、わたくしたちが幼少の時に面白い遊びを教えてくれたことがきっかけでした。
『みんな、外が雨で退屈だろう?秘密の暗号を使って会話すると言う遊びをしてみないか?』
『秘密の会話、ですか?』
『そうだよ、エリザベート嬢。どんな状況になっても、この4人だけが理解できる、そんな暗号だよ。お前たちなら、きっとどんな逆境も乗り越えられるはずだ。……そうだろ?フィリクス』
『はい、父上。俺達なら、きっと乗り越えられます』
フィリクス様がそこまで言うのも不思議だったのですが、わたくしたちは長雨で外に行けなくて退屈でした。ですので、“秘密の暗号”という響きに飛びつきました。
『どんなサインにする?』
『かっこいいのがいい!』
『え~。目立つのはよくないよ。秘密なんだから』
『では、指や瞬きはどうでしょうか?』
『リズ!いいね!それでいこう!さすが僕の婚約者だ』
『フィー、恥ずかしいですわ……』
『『あ……2人の“らぶらぶ”が始まった』』
フィリクス様はわたくしのことをリズと呼んでくれます。
わたくしもフィリクス様のことをフィーと呼びます。
内々では、いつもこんな感じです。
そのころ、フィーが“らぶらぶ”という言葉を思いつき、そんな新しい言葉を使っておりましたわ。
楽しかった幼い頃の大事な思い出です。
そして、その時に作った秘密のサインは、わたくしたちの絆を強く結んでくれました。
ルーイスの部屋に入り、ボードゲームを広げておりますと、見慣れない下女たちがお茶の用意をし始めました。
わたくしはルーイスに視線を向けます。
ルーイスは、瞬きを2回いたします。
“知っている”ですか……。
では、ルーイスのお手並み拝見ですね。
小さく口角を上げて目を閉じた。
「ねえ、君たち。初めて見る人たちだね。……誰?」
無邪気に、でも意志の強い問いかけですわ。
「後宮からお手伝いに参りました。ナターシャです」
「ベラです」
後宮、からですか。
「後宮の、誰からの指示?僕たち、聞いてないよ?」
「そ、それは……王妃、様からです」
王妃様から?そんなはずはありません。
わたくしは目を開け、小さく頷きます。
「あら、わたくし王妃様にお会いいたしましたのに……。何も言われておりませんわ。そんなこと、1度もありませんのに。きちんとお礼を述べなければなりませんね」
ヤスミンを手招きし、手紙を持ってくるように、大きな声で言づけます。
「あ、王妃様がそのように言っておられたと、侍女様から言われまして……」
「そうなんです。ですので、王妃様にお手紙は、必要ありませんわ」
言い訳が、お粗末ですわね。
「そう言うわけにはいきません。貴方たちのお給金が王妃様から出るのであれば令状をしたためるのは当然のことです。かえって、それをしなければ礼を欠きます」
「あ、あの、……パメーラ様から言われたので、私たちは、その……」
「王妃様には、その……」
はあ……。もっと頑張って食らいついてくるかと思いましたのに。
肩透かしですわ。
「王妃様は、パメーラ様に後宮の下女の派遣を任されてはおられません。お帰りになって」
「あ……。では、お茶を片付けてから、帰ります」
「片付けはこちらで致します」
「ですが……」
「オーエンツォ家の茶器です。貴方たちに触られたくありません。……すぐに出て行って」
茶器を片付けられたら、証拠が無くなるではありませんか。そんなこと、わたくしは許しませんわ。
「ですが!!」
しつこい下女ですこと。ヤスミンに目配せをし、護衛のミヒャエルを中に入れさせます。
「彼女たちにお帰りいただいてちょうだい」
ミヒャエルは頷き、後ろ襟首を掴んで引きずっていきました。
お2人は何か喚いておりますが、耳に入れる価値もありません。放っておきましょう。
騒音が無くなりますと、ルーイスがため息をついて椅子に腰かけました。
「ルーイス、ありがとう」
ちゃんと、労ってあげますわ。
「姉さま、いいのですよ。それより、王子との婚約は解消できなかったのですね……」
「ええ……。どうすることも、できないようです」
わたくしもため息をつきます。
「このお茶、調べますね」
ルーイスは顔をしかめて匂いを嗅いでおります。
「それは、たぶん毒が入っておりますわ……。王妃様のところで同じ香りのお茶を飲みましたから、きっと間違いないかと」
「姉さま!毒?すぐに医者に診てもらいましょう!」
「大丈夫よ。王妃様から解毒薬をいただきました。……ですが、毒を特定し、私達も解毒薬を常に持ち歩きましょう」
「姉さま……」
ルーイスは、なんとも言えない顔をしております。
「ごめんなさいね。巻き込んでしまって……」
ルーイスは大切な弟なのです。
いつも側にいて、これまでずっと助け合ってまいりました。
わたくしは、――弟を巻き込みたくはなかったのに。
「姉さま、いいのです。僕も、戦います」
ありがとう、ルーイス。
わたくしは、1人ではないのですね。




