37.
翌朝、わたくしは目が覚めてすぐに窓を開け、大きく息を吸いました。
昨日の嵐もおさまり、雲一つない青空が広がっています。
9月も半ば。
天候が落ち着き始めるころでしょうか。
婚姻式まで残り20日となりました。
ヤスミンがもう少ししたら戻ってきます。
「あの子の声が早く聞きたいわ」
ヤスミンとこんなに離れていたことがありませんでしたので少し寂しさを覚えておりました。
これまでのことを話せるわけではありませんが、他愛もない日常を伝えたくて仕方ありません。
自室のデスクにある帳面をぱらぱらとめくります。
引っかかりを覚えたことを書き連ねたものですが、少し昔に感じていた違和感が当たり前のように感じていることに違和感を覚えました。
「これが、貴族と王族の違い、なのかしら」
貴族の令嬢として過ごしていた頃は、大きな責任を背負っていたわけでもありません。
ですが、王族となると所作や言動の全てが公国の代表として大勢から見られます。
公国民は勿論ですが、他国からの視線は容赦がありません。
もっと、気を引き締めなければなりませんわ。
午後になり、わたくしは婚儀で身に纏うドレスのための最後の採寸をしていただくために王場へと向かいました。
「あの、失礼。わたくし、実際にドレスを身に着けて補正するのかと思いましたけど、本当に採寸だけでよろしくて?」
「はい。大急ぎで縫製しておりますので、なんとか致します」
「そう?後日、最終補正に伺いますわよ?」
「……。もしかしましたら、お願いするかもしれません。その際は、ご足労お願いしても……よろしいでしょうか?」
あら。どうかされたのかしら?
部屋で動いてらっしゃる方々も、わたくしをチラチラと見ておりますわね。
視線を前から横に移しますと、こちらを見ていた小間使いの使用人が慌てて目を逸らします。
「……」
わたくし、何かしたかしら。
強い言葉使いは気を付けておりますが、それでも受け取り方は様々ですものね。
もう少し、配慮した方がいいのかしら……。
そんなことを考えておりましたら、採寸が早々と終わってしまいました。
もう、屋敷に帰ってもよろしいかしらね。
「それでは、わたくしは戻ります。王妃様にご挨拶せずに帰ることをお詫びしてくださいな」
丁寧に、優しく、そして小首をかしげて微笑んで見せました。
「エリザベート様、お疲れでしょう。是非お茶を召し上がってください」
いいえ。疲れておりませんわ。
それに、よく知らない方が入れるお茶は、いただきたくありませんの。
「お気遣いはよろしくてよ。皆さんの手を煩わせるわけにはまいりませんので」
では失礼、とばかり声を掛け、扉へと向かいます。クラリスも着いてきました。
ですのに、一向に使用人たちが扉を開けようと致しません。
困りましたわね。ここに閉じ込めたいのでしょうか?
わたくし、自由にできないのは……少し嫌ですわね。
後ろに控えるクラリスに目配せいたします。
クラリスは頷き、前に出てまいりました。
「エリザベート様は、この後予定がございます。すぐに扉を開けなさい」
彼女の声は怒っているわけではないが、意思表示を強めにしたものです。
「あの、その……」
明らかに動揺した使用人たちは、わたくしに怯えている表情ではありませんでした。
むしろ、お願いをする表情ですわ。
「貴方たち、どうしてわたくしをここに引き止めたいのかしら?」
怒ってはいませんのよ。少しだけ、もどかしく思っただけですわ。
声を掛けても答えがなかなか返ってきません。
ひそひそと「どうしよう」と言っているだけです。
こうなってきますと、不満を覚えますわ。
「皆さんの口は飾り物ですか?問いかけに対して返事をしないのはよろしくなくてよ」
ほんの少し、感情の乗った声になってしまいました。
「……エリザベート様、申し訳ございません。私たちが至らないばかりに、ご迷惑をおかけいたしました。すぐに、開けます」
1人の使用人が、声を震わせて答えました。
俯いていますので表情はわかりません。
「エリザベート様、馬車寄せへ向かいましょう」
クラリスの声で、使用人が急ぎ扉を開きます。
扉の向こう側にいた使用人たちも、控えめながらこちらに視線を寄こしています。
何かを、隠している、のかしら。
妙な違和感を抱えながら馬車寄せに向かっておりますと、わたくしに気が付いていない使用人たちが立ち話をしておりました。
「ねえ、あそこに立っておられる方って」
「うん。エリザベート様の元婚約者様、よね」
「そうそう。とても整ったお顔立ちよね」
「ね。それに、お側におられるご令嬢もとても素敵。お似合いじゃない?」
「わかるわ。穏やかなお2人だから、絵になるわよね」
「本当に。エリザベート様だと、ほら……ねえ」
「ええ、気が強そうなお顔立ちだもの。フィリクス様を従えてますって感じがしていたからね」
フィリクス様が、近くにいる。
ええ、それはいいのです。
側にご令嬢が、いらっしゃる?
急にいろんな情報を聞いてしまい、少し混乱しております。
思わず、立ち止まってしまいました。
「エリザベート様、道を変えましょう」
わたくしが口をキュッと引き締めたのを見て、クラリスが気を使ってきました。
「いいえ。かまいませんわ」
思わず、強がってしまいました。
「ですが……」
「大丈夫、です」
少しだけ、呼吸を整え、再び歩みを進めました。
心の中で、何度も「大丈夫。大丈夫」と唱えながら。
王城をもう少ししたら出るというところで、楽しそうな声が聞こえてまいりました。
控えめに話す声は、わたくしが聞いたことのある人でした。
まさか、そんな……。
ですが、わたくしが目にしたのは
シャルロッテ・バロニン・フォン・カッシュ男爵令嬢と、フィリクス様の楽しそうな笑顔でした。
「っ!!」
胸が、苦しくなりました。
大好きな、フィー。
初めてお友達になった、令嬢。
その2人が、なぜ……。
またも、足が止まってしまいました。
言葉が出てきそうになり、下唇を噛みます。
「エリザベート様……。シャルロッテ様と、……婚約を、結ばれたと、聞いております……」
「……そう――」
クラリス、どうして言ってくれなかったの?
何も知らずに、この光景を目にするのは、辛すぎますわ。
わかっているのです。
侯爵家を継ぐ方ですものね。
世継ぎが、……必要ですものね。
手を離したのは、わたくしです。
とやかく言う資格がないのも、知っております。
ですが、まだ心構えが、できていなかったようです。
諦めなくてはいけませんのに。
諦めたつもりですのに。
まだ、心が苦しいのです――。




