5.暗殺計画(1)
──その時だった。
「おや……? そこにおわすのは、コンラッド様ではございませんか……?」
「ッ!?」
突如として、すぐ背後からしわがれた老人の声が鼓膜を揺らす。
瞬間、ケビンの背すじを冷たい戦慄が駆け抜けた。
反射的に指先を滑らせ、咥えていた煙草を地面へ落とすと、靴の裏で素早く踏み潰して消煙させた。
そして、そのまま間髪入れずにポケットへ押し込む。
直前までの怨念に満ちた表情を瞬時に瓦解させ、影ひとつない純真無垢な少年の顔立ちへと変貌させた。
何事もなかったかのように、おずおずと振り返る。
視線の先にいたのは、大きな剪定バサミを大事そうに抱え、腰を深く折った老庭師だった。
「あ……っ、びっくりしたぁ……! ごめんなさい、僕、こんなところに勝手に入り込んじゃって……っ」
ケビンは胸元に小さく手を当て、ほっと胸を撫でおろすような仕草をしてみせる。
首をわずかに傾け、親しみやすさを前面に出した笑顔を向けた。
「あのね、おじさん! お庭のお花が本当に綺麗で……近くで見たくてつい迷い込んじゃったの。えへへ……お仕事の邪魔になっちゃったかな……?」
可憐で人懐っこく、見る者の警戒心を瞬時に打ち砕く「完璧なリトルバニースマイル」
案の定、老庭師の目尻が一気に下がり、好々爺そのものの温かな笑みが顔全体へ広がる。
「おお……なんと可愛らしいお方じゃ。いいえいいえ、滅相もございません! あなた様のようなお方が大切なお花を愛でてくださるなんて、庭師冥利に尽きますじゃ」
(よし……あっさり落ちたな)
ケビンは胸の内でほくそ笑みつつ、小走りに老庭師の足元へ歩み寄った。
(ここからが本番だ。アイツの余裕を打ち砕くための、弱点探しの聞き込みを開始するぞ。見てろ? 俺様のテクニックを!)
「ねぇねぇ、おじさん。僕を助けてくださった優しくて格好いいレオナルド陛下に、何かお礼がしたいんだ……! でも、陛下がどんなものを喜ばれるのか分からなくて。たとえば……苦手な食べ物とか、お嫌いな匂いとか、そういうのってあったりするのかな……?」
無邪気で健気な疑問を装い、無害な存在になりすまして探りを入れる。
だが、庭師は眉根を寄せると、困ったように申し訳なさそうな顔を作った。
「いやあ……申し訳ございません。わしらのような城の下々の者には、陛下の好みなどさっぱりわかりませんのじゃ……」
「え……? そうなの……? 毎日お庭の手入れをしてるのに……?」
「はい……。陛下がお姿を見せることすら滅多にございませんでな。お食事もすべて執務室へ運ばれますし、わしらが直接拝見することなど年に数回……。まるで雲の上の神様のようなお方でして、何がお好きで何がお嫌いなのか、誰も知らんのです」
「そ、そうなんだ……」
ケビンは可憐な笑みを張り付けたまま、引きつる頬を必死で固定した。
(チッ……使えない奴だな。まったく情報にならねぇよ……! まぁいい、次は従者どもだ)
「おじさん、教えてくれてありがとう! お花、これからも大切に見せてもらうね!」
「おお、いつでもお越しくだされ!」
手を振って老庭師と別れると、ケビンは即座にターゲットを切り替えた。
今度は豪華な廊下ですれ違う女給や、部屋の清掃を担当している若い従者たちに狙いを定め、次々と声をかけて回る。
「ねぇ、ちょっと教えて? 陛下はお夜食に何を召し上がるのがお好きなのかな?」
「陛下がお一人で過ごされる時って、どんなご様子なのかな? 寂しそうにされたりしないの?」
庇護欲を激しく刺激する儚げな王子様として愛嬌を振りまき、言葉巧みに誘導しながら聞き込みを重ねていく。
話しかけられた給仕の少女たちも、若い従者たちも、ケビンの愛くるしい仕草に頬を染め、親身になって答えてくれた。
——だが。
返ってくる答えは、どれもこれも絶望的なまでに同じだったのだ。
「申し訳ありませんコンラッド様……。陛下はいついかなる時も完璧でいらっしゃって、私どもの前で隙をお見せになることなど決してございません……」
「お食事も出されたものを常に完璧にお召し上がりになりますし、アレルギーや苦手なものなど聞いたこともありません……」
「お顔を拝見できること自体が滅多にないことでして……本当に、傷ひとつない神様のようなお方なのです」
誰も彼もが口を揃えて「何も知らない」「つけ込める隙がない完璧な皇帝だ」と答えるばかり。
人間なら誰しも持っているはずの個人的な癖や弱点、嗜好など、この城の誰一人として知る由もなかったのだ。
◇
「……」
橙色に染まり始めた夕刻。城の長い廊下の窓際にポツンと立ち、ケビンは重い吐息を漏らした。
周囲に人の気配がないことを念入りに確信すると、貼り付けていた可憐な笑顔を綺麗さっぱり消し去った。
青い瞳から光が消え、冷ややかな殺意が戻る。
(誰も……何一つ知らねぇのかよ……! 隙がない? 完璧超人? ふざけんなよあのクソ皇帝が……ッ!!)
庭師、給仕、従者、清掃員……城中の下っ端をどれだけ当たっても、収穫は完全にゼロ。
皇帝レオナルド・オーウェンの弱点を影から探り出し、陰湿に追い詰めようという計画は、最初の段階で木っ端微塵に打ち砕かれた。
弱点を握って裏から崩すという選択肢すら、最初から封じられていたのだ。
「くっそがぁぁぁ……ッ!!」
誰もいない離れの静まり返った廊下で、ケビンは低く怨念のこもった声で吐き捨てた。
胸ポケットからクシャクシャになった煙草を引き抜くと、苛立ちに任せて噛みつけるように咥える。
ライターの火をつけ、紫煙を苛烈に吐き出した。
弱点がないなら、どうする?
あの男の完璧なガードを破り、あの気取った余裕な面を絶望と恐怖でぐちゃぐちゃに歪ませるには、一体どうすればいい?
(……直接、奴の懐に飛び込むしかねぇのか……?)
脳裏に過るのは、昨夜、あの男が耳元で甘く囁いた密やかな言葉。
『夜の執務室は、いつでも鍵を開けて待っているよ。望むなら寝室にも招待しようか』
ケビンは苛立ちを込めて紫煙を吐き出すと、猛毒を宿した鋭い瞳をギラリと光らせた。
「いい度胸だぜ、クソ皇帝……。そこまで言うなら、お望み通り……その毒ウサギを部屋に招き入れたことを、死ぬほど後悔させてやる……ッ!!」
夕闇が城を深く呑み込んでいく中、捕らわれの毒ウサギは、皇帝の待つ「夜の執務室」へ直接乗り込むという、命がけの危険な暗殺計画を練り始めるのだった。




