4.0勝2敗
朝日が重厚なカーテンの隙間から立ち込め、大理石の床を冷たく白く照らし出す広大なダイニング。
長テーブルの上には、湯気を立てる焼きたてのパンや色鮮やかな果物、琥珀色に輝くスープが美しく並べられていた。
だが、そこに漂う空気はどこまでも重く冷たい。肌を直接刺すような刺々しい緊張感が、空間を満たしていた。
「昨夜は良く眠れたかい? 待っていたのに——愛しいリトルバニー」
主席に優雅に腰掛けた男——レオナルド・オーウェンが、銀のナイフをそっとスープスプーンへ持ち替えながら、低く甘い声を落として微笑む。
その瞳に宿るのは、すべてを手中に収めた絶対者の、深く冷ややかな余裕だった。
「……っ」
向かい側に座るケビンは、フォークを握りしめた指先が一瞬で固まった。
背筋を、嫌な冷や汗がすっと伝い落ちていく。
昨夜の中庭、命乞いの哀れな演技も、ポケットに隠していた煙草も、喉元を狙った暗殺の企みすらも——すべて、見透かされていた。
それなのにこの男は自分を裁かず、鎖で拘束しもせず、あろうことか耳元で密やかに囁いてみせたのだ。
脳裏に焼き付いて離れない、あの妖しい白檀の香りと、肌を焼くような熱い吐息。
(……待ってたのに? なにを……っ!? 誰がアンタの寝室なんかに行くかよ……ッ!)
心の中で激しく叫び散らすが、顔の筋肉ひとつ動かすわけにはいかない。
圧倒的な格の差を見せつけられ、赤子の戯れのようにあしらわれた屈辱が、ドクドクと血を逆流させる。
そして何より——ほんの一瞬でも、あの男の大人の色気に気圧され、ドクンと胸を跳ねさせてしまった自分への、耐え難いほどの自己嫌悪。
一晩中イライラと葛藤で眠れず、精神はズタズタにすり減り、はらわたが煮えくり返るような思いでこの朝食の席についていたのだ。
そんなケビンの揺れる動揺など、レオナルドは最初から掌の上で見透かしているかのように、優雅な動作でスプーンを置くと、頬杖をついてケビンをじっと見つめた。
その美しい瞳の奥で、甘く妖しい光が揺れる。
「夜風に当たりすぎて風邪でも引いたかと心配したのだが……顔色が少し赤いな。ふむ……やはり私の部屋へ来ればよかったのに。あそこなら暖炉も温かく、お前をいくらでも『歓迎』してあげられたというのに」
耳元で直に囁かれている錯覚に陥るほど、魅惑的で、そして恐ろしいほど怪しい言葉の響き。
朝の爽やかなダイニングには不似合いなほど濃密な色気が、容赦なくケビンへと浴びせられる。
「つっ……!?」
ケビンの喉が跳ね、耳の裏まで一気にカッと熱くなった。
(こ、このクソ皇帝……っ! わざとだ! 朝っぱらから何言ってやがる……っ!!)
目の前のレオナルドは、ケビンの動揺を愛おしいおもちゃでも眺めるがごとく、心底愉しげに薄い唇を歪めている。
「……ふふ、どうした? スープが冷めてしまうよ」
(は? お前がいるから飯が不味くなるんだろうが!)
だが——ここで化けの皮を剥がすわけにはいかない。ここでキレたら、すべてが終わる。
ケビンは喉の奥で荒い息を呑み込み、いつもの可憐で儚い仮面を完璧に貼り直した。
カチャリとフォークをそっと置き、青い瞳に涙ぐむような不安げな光を揺らす。
首を小さくかしげ、守ってあげたくなるような愛くるしい「リトルバニースマイル」を咲かせた。
「は、はい……っ。陛下のお心がけがあまりにも嬉しくて……僕、なんだか胸がいっぱいになってしまって……っ」
かすかに語尾を震わせ、上目遣いでレオナルドを見つめる。
「僕のような哀れな身の上に、そんな陛下の私室だなんて恐れ多くて……っ。でも、お言葉だけでとても……とても光栄です、陛下……っ」
だが、その愛くるしい瞳の奥で、ケビンの内面は激しい苛立ちと黒い怨念でドロドロに渦巻いていた。
(見てろ……! 今はせいぜい上から目線で弄んでろ……! その綺麗な顔を、絶対に絶望と屈辱でぐちゃぐちゃにしてやるからな……っ!!)
「そうか。お前にそう言ってもらえると、私としても用意した甲斐があったというものだ」
一口、また一口と進む食事が、ケビンにとっては胃を削られる拷問のように長く感じられた。
空気は重く、胃の奥がキリキリと痛む。
「……陛下、あの……僕、少し頭がクラクラしてしまって……お部屋で休ませていただいてもよろしいでしょうか……っ?」
「ああ、構わないよ。無理をせず、ゆっくり休むといい」
「ありが……ございます……っ」
許しが出た瞬間、ケビンは深く頭を下げ、逃げるように足早にダイニングを後にした。
引きつった可憐な笑みを張り付けたまま、廊下を去っていくケビンの背中。
その後ろ姿を、レオナルドはワイングラスを傾けながら、じっと見送っていた。
そして、その姿が完全に角の向こうへ消えた瞬間——
「……フッ」
レオナルドの酷薄なほど美しい唇から、低く、愉悦に満ちた笑いが漏れた。
「まったく……実に良い顔をする」
グラスの赤を揺らしながら、男は満足げに目を細めた。
◇
「はぁっ……! はぁっ……! くそっ、くそがぁっ……!!」
ダイニングを遠く離れ、人通りのない裏、城の物陰へと滑り込んだ瞬間。
ケビンは可憐な王子の仮面を投げ捨て、ヘロヘロになりながら壁に突伏した。
そのまま崩れ落ちるように湿った地面へ倒れ込む。膝と肘を突き、荒い息を吐き出した。
「あのクソ皇帝……っ!! なんだあの面は! なんだあの余裕はよぉっ!!」
屈辱と惨めさで脳みそが沸騰しそうだった。全身の毛穴から怒りの火花が吹き出しそうだ。
ケビンは荒々しく立ち上がると、苛立ちに任せて近くに転がっていた拳大の石ころを勢いよく蹴り飛ばした。
「ウゼぇんだよチクショウッ——いっだぁぁぁッ!?」
角度が悪かった。思った以上にズッシリと重い石だったらしく、足の指先に鈍い激痛が走る。
「痛っ! 痛たたたっ! くそっ、石まで俺をバカにしやがって……!」
片足でピョンピョンと跳ねながら爪先を押さえ、涙目で地面に悪態をつく。
壁に背を預けてズルズルと座り込むと、ケビンは胸ポケットからクシャクシャになった煙草とライターを取り出した。
ジッ……ジッ……と震える指で火をつけ、紫煙を深く胸一杯に吸い込む。
「ふぅぅぅーーーっ……」
紫煙を荒々しく天に向かって吐き出し、深く舌打ちをした。
「弄びやがって……『寝室へ招待しようか』だぁ? 戯け言ぬかしてんじゃねえぞ、スケベ皇帝が……!」
(正面突破がダメなら……弱点を探すしかねぇ。どんな人間にも、絶対にひとつや二つは穴がある……!)
食べ物の嗜好、アレルギー、過去のトラウマ、あるいは夜の警備の明確な死角。
何か一つでも「弱点」を握れば、あの絶対的な余裕を打ち砕く毒針になるはずだ。
(待ってろよクソ皇帝……次こそはお前のその気取り腐った顔を、恐怖で引きつらせてやる……!)
ケビンは紫煙の向こうで、鋭い殺意に満ちた瞳をギラリと光らせた。




