28.救出(2)
――天井が耐えきれずに裂け落ち、けたたましい轟音とともに無数の火の粉が視界を埋め尽くす。
崩壊するグラント公爵邸の内部は、もはや人間の居場所ではなく、すべてを呑み込む赤き地獄そのものだった。
熱風が肌を焼き焦がし、呼吸をするたびに肺がヒリつく。その業火の只中を切り裂くように、漆黒のコートを纏ったレオナルドが、その腕の中にケビンを抱きすくめたまま飛び出した。
「っ……!」
すんでのところで崩落を免れた中庭の石畳へ着地した瞬間、逆巻く黒煙の向こうから、血相を変えたセレスと黒の騎士団の精鋭たちが影のように躍り出る。
「陛下……っ! ご無事で……!」
駆け寄ってきたセレスの瞳に浮かぶ尋常ならざる焦燥。だが、レオナルドはその鋭い隻眼を一切ブレさせることなく、腕の中のケビンをしっかりと固定したまま一喝した。
「セレス、二階の西翼だ! エリノアを確保しろ! この屋敷の構造はもう保たん、一歩も遅れるな!」
「御意に!」
セレスが迷いなく炎の渦中へと身を投じるのを確認し、レオナルドは燃え盛る邸宅の巨大な影を背に、ゆっくりと視線を下ろした。
恐怖など微塵もない。だが、その冷徹な双眸の奥底には、手中の獲物を誰にも渡さないという猛獣の狂気が、黒々とした炎のように燃え上がっていた。
「……離せよ、いつまで抱いている気だ」
煤と汗に汚れながらも、ケビンは強がりを滲ませた冷ややかな笑みを唇に浮かべる。
だが、その細い指先はレオナルドの胸元の布地を無意識に、しかし痛いほど強く掴んで離さなかった。
「先程までの可愛さは、何処へ行ったのだ。リトルバニー」
低く唸るような声で笑ったレオナルドは、ケビンを抱きかかえたまま、庭の闇に控えていた漆黒の軍馬へと滑るように歩み寄った。
暴れる馬首を片手で押さえつけ、そのまま軽々と鞍へと飛び乗る。横抱きのまま自身の胸元へすっぽりと収められたケビンは、逃げ場のない圧倒的な体格差の前に、小さく息を呑んだ。
「帰るぞ。我が家へ」
頭上から降ってきた低く穏やかな声。
パカパカと乾いた蹄の音が、地獄のような喧騒を置き去りにして夜の静寂を切り裂いていく。
夜風が肌を冷やすが、それ以上に、密着した二人の身体から立ち上る熱気があまりに濃厚で、皮膚が溶け合うような錯覚を覚えた。
馬上の疾走感に身体を揺らしながら、ケビンは濡れた睫毛を伏せ、行き場を失った感情を呑み込むように、レオナルドの胸元にこつんと額を預けた。
「……ねぇ」
「なんだ」
「……もう一回言って?」
「何をだ」
「……はぐらかすなよ。分かってるくせに……っ」
素っ気なく返された言葉に苛立ったように、ケビンはレオナルドの硬い胸板を軽く拳で突いた。
だが、そこに込められた力など微塵もない。ただの甘えと、張り詰めた糸が切れたあとの弱さが、その細い身体を小さく震わせていた。
「……怖かったんだぞ。……本当に、あのまま焼け死ぬかと思った……あなたが、来てくれないかもしれないって……」
誰にも聞いたことのない、か細く震えた本音が零れ落ちる。
消え入りそうな小声で毒づくケビンの首筋に、レオナルドは手綱を握る腕の力を一段と強め、その逃げ場のない体を自分の体温で完全に閉じ込めた。
「愚問だ。くだらない心配をするな」
そのままレオナルドは、馬の疾走音に紛れるような低い声で、ケビンの耳元に唇を寄せる。
「続きは、ベッドの中でだ」
「え?」
一瞬で顔を真っ赤にしたケビンが、信じられないものを見る目でレオナルドを見上げた。
「……は?」
不意に落とされた甘やかな毒に、ケビンは反射的に顔を跳ね上げさせた。
「あ? なんだ、嫌なのか」
「嫌とか……そういうことじゃなくて……っえ? えっ、ちょっと待て、何を……」
真っ赤に染まった頬を隠そうと、ケビンが身をよじって抗議しようとする。だが、レオナルドの大きな手は容赦なくその頭部を包み込み、一切の逃げ道を塞いだ。
「どっちなんだよ」
「そういう問題じゃ――っ!」
言葉を最後まで紡がせる気などないかのように、レオナルドはそのままケビンの乱れた髪に深く唇を埋めた。
先程までの冷徹な皇帝でも、謀略を巡らす冷酷な男でもない。ただ一人の男として、その存在のすべてを奪い去るような熱だけを込めて。
「愛している、ケビン」
夜空を焦がす炎の明かりが遠ざかり、完全に闇に包まれた馬上で、ふたつの影が重なり合う。
逃げ場を失ったケビンは、溢れ出そうになる熱い感情を押し隠すように、無言のままレオナルドの首筋に両腕を回し、その体温にしがみついた。
冷たい夜風を切り裂きながら疾走する馬の上、二人の鼓動が激しく混ざり合い、すべてを焼き尽くした嵐の夜の底へと、深く、甘やかに溶け込んでいく――




