25.秘密(2)
──「いいですか、世間知らずの王子殿。お前が『父親』と信じ込んでいるあのフレデリック大公は、レオナルドの『実の兄』ですよ」
地下室の冷たい空気が、一瞬で凍りついた。
「な……にを言ってるんだ……?」
ケビンの頭の中が真っ白になる。公爵は口元の血を指で拭い、それを舌でねっとりと舐めとりながら、狂気じみた薄笑いを浮かべた。
「あの男は先代皇帝……レオンハルト・オーウェンが外で作らせた落とし子なのだよ。あいつが生まれたその日から、実の兄であるフレデリックは猛烈な嫉妬に狂った。我が身を脅かす存在として、幼いレオナルドの命を毒と刃で執拗に狙い続けたのだ」
公爵の言葉が、ひとつひとつケビンの胸を重く抉っていく。
「毒を盛られ、刺客を放たれ、身内の血の海を這いずり回りながら、あいつは皇帝の座を奪い取った……。お前が信じているあの冷たい男の正体は、実の兄と殺し合いを続けてきた怪物なのだよ!」
あの毒事件の朝、目の前で真っ青になって倒れたレオナルドの顔が脳裏に浮かぶ。
誰にも本心を見せず、氷のような仮面を貼りつけていたあの佇まい。
その背後にあったのは、幼少期から身内同士で血を流し合ってきたという、あまりに暗く恐ろしい地獄だったのだ。
胸の奥がぎゅっと固く絞めつけられ、ケビンの目からポロリと一筋の涙がこぼれ落ちた。
「……だったら、なおさらレオナルドは関係ねぇだろ……っ!」
ケビンは胸の痛みを押し殺し、血の混ざった声で叫んだ。
「あんたが憎いのは、そんな酷いことをさせたオーウェン家だろ!? なのに、なんで関係ないレオナルドまで巻き込むんだよ!」
「関係ないだと……? 黙れ! 黙れ黙れ黙れぇ!!」
公爵の激怒の声が狭い地下室に跳ね返った。公爵は狂暴な眼差しでケビンの髪を強く掴み上げると、顔がくっつくほどの至近距離で血走った目を剥いた。
「あいつが……あのレオナルドが無関係なわけがあるか!! あいつの母親が誰なのか、お前は何も知らんのだな!?」
「……っ……母親……!?」
「私の妹……マリアだ!!」
公爵の口から飛び出した叫びに、ケビンは息を呑んだ。
「マリアはな、かつて皇太子だったフレデリックの『正妻』……皇太子妃だったのだよ! だが、あの悪魔……先代皇帝レオンハルトは、息子の妻であった私の妹を力づくで奪い、無理やり陵辱したのだ! そうして孕まされ、産み落とされた忌々しい呪われた血……それがレオナルドなのだよ!!」
「つっ……!? なに……言開いてんだ……!?」
想像を絶するおぞましい真実に、ケビンの全身の血が凍りついた。
フレデリックから見れば、実の父親に最愛の妻を奪われ、その結果生まれたのが腹違いの弟レオナルドであり、憎悪の対象そのもの。
そしてレオナルド自身もまた、そのおぞましい血の呪いの中で生まれ、実の兄から命を狙われ続けて育ってきたのだ。
「妹はその罪に狂い、苦しみの中で命を落とした! オーウェンという呪われた血が、私の愛する妹を殺したのだ! だからこそあいつが許せん! あの忌まわしい血でできた悪魔の子を……オーウェンの一族を、一人残らず地獄へ叩き落としてやらねば私の気が済まんのだよ!!」
髪を千切れるほど強く引っ張られながら、ケビンはあまりに暗く深い狂気の深淵に震え上がった。
「ふは……ははは! だが、もうすぐ私の夢が叶うのだよ。あいつがここへやって来れば、全てが終わる……!」
高らかに笑い声を上げる公爵の姿を見つめながら、ケビンの視線がふと部屋の隅へと向かった。
部屋に入った瞬間から感じていた、鼻を突くあのくどい匂い。
そこには、巨大な壺がいくつも並べられていた。床の石畳には、薄くテカテカとした油が滲み出ている。
(……油だ。あの壺、全部油が入ってやがる……!)
背筋を血の気が引くような冷たい恐怖が駆け抜けた。
(こいつ……正気じゃねぇ。レオナルドをここに呼び寄せた後、俺たち全員を道連れにして火を放つ気だ……!)
巻き込んで爆殺、焼殺する気だという公爵の恐しい企みに気づき、ケビンの全身がガクガクと激しく震えだした。
(俺が……俺が甘かったんだ……!)
激しい後悔が、波のように胸に押し寄せてくる。
自分の手で真実を暴くんだと意気込み、まんまと公爵の誘いに乗ってしまった。
強がって一人で飛び出した結果がこれだ。助かるどころか、レオナルドを誘い出すための完璧な『餌』にされてしまったのだ。
(助けてほしい……本当は、助けに来てほしい……!)
本音が胸の底から叫び声を上げる。
怖くてたまらない。
誰かにこの暗闇から救い出してほしい。
けれど、それ以上に強い想いがケビンの胸を激しく突いた。
(でも……来ないでくれ! 来るんじゃない! レオナルド……!)
ここに来れば、あの男は罠にはまり、火の海の中で死んでしまう。
自分のせいで、あの男を死なせるわけにはいかない。
(俺のことなんて捨てろ! 頼むから……ここに来ないでくれ……!)
葛藤と恐怖で胸が押し潰されそうになり、ケビンは奥歯をガチガチと鳴らしながら、必死に心の中で祈り続けた。
その時だった。
「――父上! もうおやめください……!」
重々しい鉄格子の扉が開き、泣き叫ぶような悲痛な声が地下室に響いた。
ドレスの裾を汚しながら駆け込んできたのは、一人の美しい女性――エリノアだった。
その顔には、ぼろぼろと大粒の涙が溢れ落ちている。
「エリノア……!? なぜお前がここに……! 出て行きなさい、今すぐにだ!」
公爵の顔から余裕が消え、狼狽したような声が跳ね上がった。
亡き妹の面影を残す愛娘にだけは、この醜く惨めな復讐の姿を見られたくなかったのだ。
だが、エリノアは首を激しく横に振り、泣きながら父にすがりついた。
「嫌です! 父上、お願いです……こんな恐ろしいことはもうやめてください! お願いですから……!」
娘の必死の哀願に、公爵の瞳が一瞬揺れた。
だが、すぐにその瞳には、より一層ドロドロとした狂気の光が宿り始める。
「エリノア……よく聞きなさい。お前は何もわかっていないのだ」
公爵は娘の肩を両手で強く掴むと、耳元で恐ろしい言葉を囁きかけた。
「ここにいるウサギ殿はね、あのレオナルドに随分と大事にされているようだ。……だがね、ここでこのケビン・コンラッド殿が消えていなくなれば、どうなると思う?」
「え……?」
「お前が長年想い続けてきたあの男……レオナルドが、ついにお前のものになるのだよ! 正式に婚約を結んでやろうじゃないか!」
エリノアが息を呑み、絶句する。
「ハハハっ! まあ、あの男にはいずれ、地獄へ落ちてもらうことになるのだがねぇ!!」
地下室全体を揺るがすような公爵の狂気高笑いが、暗闇の奥へと気味悪く響き渡っていた。




