21.危険な誘い
──夕闇に染まる城の中庭、今日の稽古を終えたケビンはおもむろにポケットに手を伸ばす。
手すりにドカリと身を預け、握りしめたのは小さな銀のケース。
美しい細工が彫られたその表面には、所々無数の細かな傷が走っていた。
それは普段から、レオナルドが愛用しているタバコケースだった。
そして角のあたり、流れるような刻印――『Leonard』の文字。
ケビンは無意識のうちに、その文字をそっとなぞっていた。
胸の奥がぎゅっと痛む。
あいつが日常的に指先で触れていたあと……。
追いはらわれるように渡されたはずなのに、ケースひとつ手元にあるだけで指先が微かに震えてしまう。
ケースから引き抜いたタバコを不機嫌にくわえ、火もつけずに苦い葉の匂いだけを噛みしめていた。
従うつもりなんかない。
だが……
『ほどほどにしとけよ』
「ちっ。子ども扱いしやがって……」
ケビンは、咥えたタバコを大事そうにケースにまた戻した。
ポケットへしまう指先はケースの重みを確かめるように愛おしげに沈んでいく。
◇
「おいケビン! 何カッコつけてんだよ!」
背中をどんと叩かれ、ケビンは弾かれたようにポケットの上から拳を握りしめた。
振り返ると、大柄なカルロが汗臭い腕を首にまわして豪快に笑っている。
「アーサー副長が言ってたぞ! 今日の足さばき、俺様の大斧をかわすたびにキレが増してるってな! 黒の騎士団でも指折りのスピードだぜ!」
「……ふん。当たり前だろ、俺を誰だと思ってんだ」
強がって口元を歪めると、カルロは「はいはい、生意気なウサギさん!」と笑って去っていった。
遠ざかる背中を見送りながら、ケビンは自身の拳を固く握り直す。
(見てろよ、レオナルド……。もう『ウサギ』扱いはさせねぇ)
ケビンの誇りと燃えるような自負が、胸を熱く焦がした。
◇◆
――その時だった。
「……コンラッド殿下」
ゾクッと、全身産毛が逆立つ。
なぜなら、全く気配が感じられなかったのだ。
驚き、振り返った眼前に立っていたのは、洗濯籠を抱えた下働き風の小柄な男だった。
だが、その濁った刃のような目つきは、すれ違いざま――瞬き一つの隙に、胸元へ「何か」が滑り込ませてきた。
「……真実を知りたくば、誰にも見られぬよう」
耳元で囁かれた掠れ声。気付いた時には、男の影は廊下の暗がりへ溶けるように既に消えていた。
「なっ……!?」
物陰へ滑り込み、胸元から引っこ抜いた一通の手紙。
そこに捺された血のように禍々しい深紅の蝋――百合の家紋であった。
(え? 百合の紋章だと?! グ、 グラント公爵家の……本物の家紋……!?)
心臓が跳ね上がる。
爪で蝋封を叩き割り、畳まれた紙を一気に開いた。
そこに躍り出た黒い文字が、視界を強烈に焼き尽くす。
『――皇帝の手元で、牙を抜かれた可憐な『小うさぎ』として飼われ続ける日々は退屈ではございませんか殿下?』
「……っ!」
『あの「毒事件」の真相。そして皇帝レオナルドと我が娘エリノアの「本当の関係」について、真実を知りたいとは思いませんか?』
頭の中で、何かがけたたましく弾けた。
『毒事件』『エリノア』
あの、かつての恐ろしい夜が脳裏に浮かぶ。
セレスの口から出た「エリノア様」の名。胸が引きちぎられるような惨めさに狂い過ごした眠れぬ夜。
そして翌朝、真っ青になり、氷のように冷たくなって倒れた、レオナルドのあの苦しそうな顔。
――お前には関係ない。
冷酷に自分を突き放したあの男の瞳。
喉の奥がカラカラに乾き、激しい眩暈が襲う。
(あの事件の真相……!? エリノアと、レオナルドの『本当の関係』……!?)
あの女は他に何かあるのか?
俺に見せない甘い顔を、あの女に向けているだけじゃなく……
俺を遠ざけ、子供扱いするのは、あの女ともっと何か特別な関係があるからなのか?
『三日後、大公邸にて生誕夜会が催される。主要な近衛はすべてそちらへ向かうはずだ。つまり、我がグラント公爵邸は手薄であり、真実を語るに最も適した夜となる。一人で我が館へ来られたし』
バサァッ! と紙を握りつぶす手が、激しく震えた。
「公爵……っ! 地獄の老狐が……!」
罠だ。匂い立つほどの毒の罠。
だが――胸のポケットにある、あの男の銀のケースが熱を持ったように重たく主張する。
三日後の夜会。
初めて知る話……。
あの男はまた、俺に何も言わずに城を空けるつもりだ。
また俺を置き去りにして、あの時みたいに毒を盛られて冷たくなって戻ってくるのか?
あの冷酷な男の秘密も、あの女との関係も、全部暴いて俺だけのものにしてやりたい。
「……ふざけるな」
噛み破った唇から、鉄の味が広がった。
もう指をくわえて待つだけの『小兎』じゃない。
カルロの重斧をかわし、黒の騎士団で牙を研いだんだ。今の俺なら――罠ごと叩き潰せる!
「乗ってやるよ……!」
ケビンの瞳に、ギラギラとした狂暴で切ない光が宿る。
「三日後……あいつらが城を空けた瞬間に、行ってやる! あの男の隠し事を全部引きずり出して、今度こそ、俺のこの手で鼻を明かしてやる!!」




