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愛しい人は復讐相手〜囚われ姫?は冷血皇帝の溺愛に抗えない  作者: 蒼良美月
第三章 忍びよる影

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20.招待状

 ──地下訓練場の空気は、疾風と鉄の擦れ合う乾いた音で満ちていた。


「ハッ、捉えたぞウサギさんッ!」


 巨漢の団員、カルロが繰り出した鋼の大斧が、空気を叩き破ってケビンの上体へ襲いかかる。丸太のような腕から繰り出される一撃は、受けて止めれば骨ごと砕かれる暴威。


 だが、ケビンの表情には焦りすら浮かんでいない。


 カルロの大斧が肌をかすめる直前、ケビンは両膝を折り、羽毛のように地を滑った。

 巨漢の懐――その絶対的な死角へ、影のごとく滑り込む。


 大斧の重さに引っ張られたカルロの体勢がわずかに崩れた一瞬、ケビンは小さく地面を蹴った。しなやかな身体を跳ね上げ、男の太い手首の関節へ自身の柄頭を叩きつける。


「ガっ……!?」


 手首の痺れにカルロの大斧が滑り落ちる。その刹那、ケビンは相手の胸元を蹴り台にして宙へ躍り出ると、空中で優雅に回転しながら、演習用の剣を男の喉元へピタリと突き立てていた。


 トン、と軽やかに着地する金髪の少年。


「……終わりだぜ」


 静寂の後、訓練場に爆発するような大歓声が巻き起こった。


「うおあぁぁッ! 見たか今の回転!? カルロの大斧を逆手に取りやがった!」


「すげえぞケビン! 巨漢殺しのウサギさんだな!」


「ハハッ、降参だ降参! 参ったぜ、二等兵殿!」


 斧を落としたカルロが頭を掻きながら笑うと、周囲の騎士たちがケビンの肩や背中を威勢よく叩く。最初は敗戦国の気取った王子と嘲笑っていた男たちが、今や一目も二目も置く仲間として、その成長と勝利を讃えていた。


 ケビンは荒い息を整えながら、口元の汗を拭って不敵に笑う。


「ふん、当然だ。アーサーのヒゲを刈る前に、お前らに手こずってられるかよ」


 長年培った天性のカンの良さとその身軽さ。相手の油断を誘う可憐な身構え。そして一瞬の隙を逃さず喉元を食いちぎる圧倒的なスピード。黒の騎士団という最強の砥石によって、ケビンの牙は研ぎ澄まされ、急速にその鋭さを増していた。





 ◇◆





 だが――その地下の熱狂とは対照的に、帝国の最上階に位置する執務室には、冷徹な暗雲が立ち込めようとしていた。


 バサリ、と重厚な木製ドアが勢いよく開く。


「……陛下」


 滑り込んできたのは、秘書官セレスだった。常に完璧な身だしなみを崩さず、いかなる緊急事態でも優雅な微笑を絶やさない男の額に、冷や汗が浮かんでいる。呼吸すらわずかに乱れていた。


 デスクで書類に目を通していたレオナルドが、静かにペンを止めた。


「……珍しいな、セレス。お前がそのような顔で駆け込んでくるとは」


「笑い事ではございません……! これをお確かめください!」


 セレスが差し出したのは、高級な羊皮紙に金箔の封ろうが施された一通の書状だった。差出人の紋章を見た瞬間、セレスの眼鏡の奥の瞳が激しい怒りに揺れる。


「……大公フレデリック様からの手紙です。十日後に控えた、ご自身の生誕祝賀夜会への招待状……! いくら血の繋がった実(・)の(・)兄(・)、いえ……お(・)父(・)上(・)であろうと……! 現皇帝であられる陛下を、己の私邸に呼び出すなど無礼千万! 万死に値します!」


「ふ……」


 レオナルドは鼻で短く笑うと、背もたれに深く身体を預けた。


「ついにあの大公(たぬき)も、なりふり構っていられなくなったか。毒では殺せぬと悟り、直接の誘い出しに出たわけだ」


「笑っていらっしゃる場合ですか! 明らかに不穏な企みです! 断りの返書をすぐさま送ります。こんな見え透いた罠に――」


「待て」


 レオナルドの静かな制止に、セレスの言葉が詰まる。


「ここで断れば、皇帝が怯えて逃げたと大公派を勢い付かせるだけだ。それに、大勢の貴族たちの眼前で、俺に直接刃を向ける度量があの男にあるかどうか……確かめてみるのも一興だろう」


「何を仰るのですか! あの『毒事件』の惨劇をお忘れですか!?」


 セレスの声が不意に荒だった。滅多に見せない激昂。


「あの毒杯は警告だったのです! 今度は確実に陛下の息の根を止めにくる……! 遊びで済む相手ではないのです!」


「落ち着け、セレス」


 余裕を崩さないレオナルドに対し、セレスは唇をかみ締めると、胸の懐からもう一通、赤いリボンで括られた小さなカードを取り出した。


「……問題は、それだけではございません。こちらをご覧ください」


 セレスの手が微かに震えている。差し出されたカードを開いたレオナルドの視線が、そこに記された数行の金文字を追う。


『──追伸。我が愛しき弟(・)、レオナルドへ。お前が手元で可愛がっているという、ルクシアンの可憐な人質……ケビン・コンラッド殿の同伴を心より願う。我(・)が(・)息(・)子(・)の大切な友を、この父にもぜひ紹介してほしいものだ──』


 ピキッ、と。


 執務室の空気が凍りついた。


 温度が一気に数十度も下がったかのような激しい殺気が、レオナルドの全身から爆発的に噴き出す。茶褐色の瞳から光が消え、底知れぬ虚無と冷酷な暗黒が支配する。


 美しい指先が、ケビンの名前が記されたカードを握り潰そうと力を込めた――その瞬間。


 ガチャリ!


「おい、レオナルド! タバコくれよ。俺の切れちゃったんだ」


 ノックもなしに扉が跳ね上がり、汗拭き用のタオルを首にかけたケビンが呑気に姿を現した。


「……ッ!」


 レオナルドはとっさに手元を翻し、握りつぶしかけた招待状をデスクの書類の下に滑り込ませた。一瞬で冷絶な殺気を押し殺し、呆れた顔で眉をひそめてケビンを見つめる。


「……コンラッド二等兵。皇帝の執務室にノックもなしに入ってくるとはな。セレス、この不良王子に禁煙の手ほどきと、礼儀作法を一から叩き込め」


「ははぁ……。申し訳ございませんコンラッド様、あいにく当執務室は未(・)成(・)年(・)の煙草の補給所ではございませんで」


 セレスも瞬時に完璧な秘書官の笑みを貼り直し、肩をすくめて見せる。


 先ほどまで部屋を埋め尽くしていた死の緊迫感が、ケビンの無邪気な乱入によって、拍子抜けするほど霧散していく。


 ケビンはあからさまに不満げな顔をし、胸の前で腕を組んだ。


「はぁ? 誰が未成年だよ! ふざけんな。あんただっていつも吸ってるくせに」


 ケビンは口元を生意気に歪め、レオナルドのデスクにドカッと腰を落とす。


「それに、ノックして入ってくる暗殺者がどこにいるんだよ?」


「……フン、口だけは達者だな。人質の分際で」


 レオナルドは溜息をつきながら、デスクの引き出しから上質な細身の紙巻きタバコが入った銀のケースを取り出すと、ケビンへ軽く放り投げた。


「ほどほどにしとけよ。さっさと失せろ」


「へいへい。ごちそうさま、陛下」


 ケビンはタバコのケースをキャッチすると、嬉しそうにニッと笑って、パタンと乱暴にドアを閉めて去っていった。




 ◇




 ……足音が遠ざかり、再び室内に静寂が戻る。


 セレスの笑みが消え、元の深刻な面持ちに戻った。


「……陛下。コンラッド様を、あの夜会へ?」


「連れて行くわけがないだろ」


 レオナルドの声は、地の底から響くように静かで、そして途方もなく冷たかった。


 セレスは静かに胸に手を当て、深く頭を下げた。


「……御意。当日までに大公派の裏の動き、配置される私兵の数まで全て洗い出します。……ですが陛下、どうか以前のような無茶だけはなさらないでください」


「あぁ。下がれ」


「失礼いたします」


 セレスが静かに部屋を退出していった。




 ◇




 一人残された執務室。


 レオナルドの口元から、完璧にコントロールされていたはずの呼吸が、わずかに荒く乱れる。

 組まれた指先が微かに震え、整った眉間に深い苦痛と不快感が刻まれていた。彼は無言のまま、デスクの書類の下から大公からの招待状を引き抜いた。


『ケビン・コンラッド殿の同伴を願う』


 冷徹な仮面の下で、感情を殺し続けてきた男の内に、抑えきれない煮えたぎるマグマのような激高が込み上げる。


 己の命を狙われることなど、幼少期から日常だった。どんな卑劣な罠も、冷笑とともにあしらってきた。

 だが――あの男(ちち)(実兄)が、一線を超えて己の不可侵領域に足を踏み入れようとしている。


 レオナルドはゆっくりと立ち上がると、卓上の燭台の炎へ、大公(ちちおや)からの招待状を押し当てた。


 パチパチと音を立てて紙片が黒く焦げ、赤黒い炎となって燃え上がっていく。揺らめく火の粉が、レオナルドの氷のように冷たく端正な横顔を妖しく照らし出す。


「……老いぼれが」


 静かに吐き捨てられた一言には、深く暗い狂暴な殺意が凝縮されていた。


「戯れは終わりだ」


 燃え尽きる灰がデスクへ舞い散る中、レオナルドは底知れぬ琥珀色の瞳を細め、恐ろしいほどに冷酷で、甘く危険な笑みを暗闇に浮かべていた。

※大公=フレデリック・オーウェンについて。公式にはレオナルドの父と公表されているが、実際は実の兄にあたる。レオナルドの出生の秘密については後に作中にて公開します。

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