17.良薬口に苦し
──二人の食事が終わりかけたのを見計らい、セレスがハーブティーを、慣れた手つきでティーカップに注ぐ。
極上の磁器に注がれた深緑色のお茶をセレスがにっこり微笑みケビンの前に置いた。
一口含んだケビンはあからさまに眉をひそめた。
「ッぐ……! 苦っ……! なんだこれ、毒でも盛ったのか!?」
「失礼ですね、コンラッド二等兵。第一騎士団特製の滋養強壮薬茶ですよ。筋肉の疲労回復と傷の血行促進に絶大な効果がございます。まあ……良薬口に苦し、と申しますから」
セレスは胸に手を当て、どこまでも心痛な面持ちを装ってみせる。
しかし、その眼鏡の奥の瞳は完全に面白がっていた。
完璧に整えられた執事の身なりと、昼間地下でケビンを叩きのめすよう命じた 冷酷さのギャップが、再びケビンの神経を逆撫でする。
「くそっ……どいつもこいつも……!」
ケビンはバツの悪そうにお茶を飲み干すと、ガシャンと激しい音を立ててカップをソーサーに戻した。
全身の打撲痕がハーブティーの効能か、それとも直前の動揺と興奮のせいか、熱を帯びてじくじくと痛む。
先ほどレオナルドに手首を撫で回された感触と、耳元に吹きかけられた甘い熱気が、皮膚の表面に残っているようで気持ち悪い。
対するレオナルドは、上品にナプキンで口元を拭うと、長い脚を組み替えてケビンをじっと見つめていた。
とろりと濡れた光を宿すその瞳はまるで、新しく手に入れた珍しい玩具の耐久性を確かめるかのように冷たく、そして狂おしいほどに濃厚だった。
「どうだ、コンラッド二等兵殿。絶望の味は?」
「……ハッ、絶望? 冗談言うなよ。俺が絶望するのは、お前を殺す前に俺が死んだ時だけだ」
ケビンは痛む首筋をさすりながら、生意気に顎を上げ、鼻で笑ってみせた。
「あの黒騎士ども……確かに圧倒的だったよ。腕は痺れるし、一撃ごとに骨が軋む。だがな、見えたぜ。あいつらの身体の癖も、踏み込みのタイミングもな。次はあんな風に一方的に叩きのめされはしない」
「ほう……」
レオナルドの眉がかすかに跳ね上がった。
嘘や強がりではない。ケビンの瞳の奥には、過酷な訓練で身体を痛めつけられながらも消えることのない、ギラギラとした「生の執念」と「狂気」が宿っていた。
ルクシアン王国が滅び、両親を自らの手で殺すという誓いが消えたあの日から、ケビンの命を繋ぎ止めているのはこの暗い情念だけだ。
絶望に飲まれて死ぬことすら許されず、復讐という狂気に身を焦がす美しく儚い少年のような姿。
(やはり……俺と同類だな)
レオナルドは心の中で密かに呟いた。
陰謀が渦巻くこの暗黒の城において、ケビンを「黒の騎士団」という最も頑丈な檻の中に隔離した真の理由など、この生意気なリトルバニーは知る由もない。
「言っておくが、レオナルド。俺は二等兵のままで終わるつもりはないからな」
ケビンは痛む腰を浮かせ、身を乗り出しながら食卓越しに皇帝へ指を突きつけた。
「さっさと階級を上げて、第一騎士団のトップになってやる。そして……お前のすぐ後ろに立つ『最側近の護衛』になってやるさ。そうすれば……油断したお前の首を掻き切るなんて、朝飯前だろ?」
「フッ……ハハハ! 威勢のいいことだ!」
レオナルドは心底おかしそうに肩を揺らした。深みのある艶やかな茶色い髪が、燭台の光を受けて微かに金色に揺らめく。
「良いだろう。ならば見せてみろ、コンラッド二等兵。お前が這い上がり、俺の首に刃を届かせるのが先か……あるいは、アーサーたちの容赦なき鍛錬に叩き潰され、犬死にするのが先か」
その言葉に、ケビンが怪訝そうに眉をひそめた瞬間、レオナルドはそれ以上何も語らず、優雅な動作で静かに立ち上がった。
「今夜はゆっくり休むといい。明日からは……今日のようなおままごとではない、本物の地獄が始まるのだからな」
「……チッ、言われなくてもそうしてやるよ!」
ケビンは吐き捨てるように立ち上がると、キシキシと悲鳴をあげる足に鞭打って、足早にダイニングルームを後にした。
重厚な木製のドアが乱暴に閉まる音が、静まり返った廊下に虚しく響き渡る。
嵐のように去っていった少年の背中を見送り、室内には重々しい静寂が戻った。
◇◆
「……随分とお気に入りのご様子ですね、陛下」
セレスが静かにワイングラスをさげ、銀のトレーを手にしながらレオナルドへ語りかけた。
「黒の騎士団の苛烈な修練に、あの華奢な身体で耐えうるとお考えで? 本日の歓迎訓練でも、アーサーは本気で骨を折るぐらいの勢いでおりましたよ」
「耐えれなければ……それまでだ」
レオナルドは窓辺へ歩み寄り、漆黒の闇に包まれた帝都を見下ろしながら、冷たく目を細めた。
窓に映るその顔容は、甘い戯れを見せていた男とは思えぬほど、苛烈で冷酷な支配者のそれであった。
「向こうも……そろそろ痺れを切らして本格的に動く頃だ。あの毒はその警告だ」
レオナルドはセレスに背を向けたまま低い声で呟いた。
「それまでに弱点となる……ふふっ。どこまでも酷いお方だ。ですが……お言葉とは裏腹に楽しそうですね陛下」
「お喋りな男は嫌われるぞ? セレス」
月光が照らし出すレオナルドの横顔には、冷血で美しく、そしてどこまでも残酷な皇帝の笑みが浮かんでいた。
「コンラッド様の訓練メニューの作成しました」
「おやつを追加してやれ、リトルバニーに」
「承知しました」
背を向けたまま発したレオナルドの声に、セレスはにっこり微笑んで、暗闇に消えるように部屋を出て行った。




